<学問的淫売>製薬大手ノバルティスファーマ高血圧薬「ディオバン」の不正操作はなぜ起きた
青柳有紀(米国内科専門医・米国感染症専門医)
米国で臨床医としてのトレーニングを受けるために日本を離れてから、7年が経った。アフリカで活動している今も、日本の医療を取り巻く環境について、常に関心をもってメディアからの情報に接している。今回は、昨年から大きな問題となっている、製薬大手ノバルティスファーマの高血圧薬ディオバンの臨床研究をめぐる不正操作疑惑について考えてみたい。
この問題では、関与したとされる5つの大学の研究室が、同社から総額11億円以上の「奨学寄付金」を受けていたと報道された。一連の研究データが論文として発表された学術誌は『ランセット』をはじめ、どれも医学界ではかなりの影響力のあるもので、論文が次々と撤回されるに至った経緯は、国内外の多くの医療関係者に衝撃をもって受け止められた。
英語では、金や権力のために不正な学問的行為に関与することを“academic prostitution”(学問的淫売)という言葉で表現することがある。ディオバン問題はまさにその一例だ。薬の効果を誇大に強調し、売上げにつなげたい製薬会社の思惑と、多額の研究費確保と影響力のある学術誌に論文を載せることで自らの業績につなげたい医師や研究者の思惑が一致して、今回のような問題が生じたと言っていいだろう。
高血圧患者の治療にあたる臨床医にとってみれば、医学的なエビデンス(根拠)に基づいて処方したつもりの薬剤が、実際には患者の利益につながるものではなかった可能性があるのだから、自らの無知を悔やみ、患者に対する罪の意識を多かれ少なかれ感じた人もいただろう。だが、この問題の一番の被害者は、言うまでもなく、その効果について疑問符が付いた薬を飲まされ続けた、一部の高血圧患者たちであることを忘れてはならない。
莫大な「奨学寄付金」とは無縁の臨床医でも、薬の名前が派手にプリントされた販売促進のためのボールペンの授受から、医局主催の症例検討会の際に提供される幕の内弁当や開業医向けの宴席に至るまで、製薬会社との癒着が生じうる機会は数多く存在する。
若い医師の教育に従事している自分が心がけていることの一つは、こうした機会をまずは可能な限り避けることである(といっても、そもそも医療資源が限られたルワンダではそのような「誘惑」は皆無なのだが)。また、医学論文、特に新薬の効果について検証した臨床研究については、とりわけ批判的に吟味する姿勢が重要だ(こうした研究の多くは、製薬会社がスポンサーとなっていることが多い)。
医学論文を批判的に読みこなすには専門的かつ継続的なトレーニングが必要だが、少なくともディオバン問題に関しては池田正行医師が指摘したように、「まやかし」を論文上で見抜くのは簡単だったとする見方もある(日経メディカル「氾濫する思考停止のワナ」2013年8月6日)。
ディオバン問題で表面化した、“academic prostitution”は、医師や研究者と製薬会社の癒着を生み出す構造的な問題が改善されない限り、繰り返されるだろう。だが、患者の治療に携わる臨床医に、高いモラルとエビデンスを見極める能力が備わっていれば、患者への直接的な影響はより少ないものに留めることができたはずだ。
【あわせて読みたい】
- <優れた医者が育つ条件>下手な料理人は客を失うだけだが、臨床医は患者の命を失わせる(青柳有紀・米国内科専門医・米国感染症専門医)
- 世界の医療は、なぜこれほどまでに不均衡なのか?〜容認することができない「命が平等に扱われていない」という現実(青柳有紀・米国内科専門医・米国感染症専門医)
- 37兆円の医療費〜高水準の国民皆保険はいつまで続くのか(石川和男・NPO法人社会保障経済研究所理事長)
- <小保方晴子と佐村河内守の共通点>“ストーリーづくり・キャラづくり”のうまさ(熊坂仁美・ソーシャルメディアプロデューサー)
- <「博士論文の下書きを製本」の矛盾>小保方氏の「下書き」博士論文は誰の責任?(藤本貴之・東洋大 准教授)