[青柳有紀]ルワンダ〜圧倒的な暴力によって、たった2ヶ月間に80万人以上の人々が虐殺される狂気を、イメルダは生き延びた。
青柳有紀(米国内科専門医・米国感染症専門医)
ルワンダで働くことになって、最初に思い出したのは、イメルダのことだった。
15年前、僕が国連教育科学文化機関(UNESCO)のスタッフとして、南部アフリカにあるナミビア共和国の首都・ウィントフックの地域事務所に赴任した時、彼女はそこで現地職員の一人として働いていた。
彼女はルワンダ出身で、とても美しく、当時20代半ばだった僕とあまり年も変わらないように見えた。でも、僕がそこで過ごした日々で、彼女が笑ったのを見たことは一度もなかった。そして、僕はそのことをずっと不思議に思っていた。
2年が経ち、パリ本部に異動することになった僕と、結婚して国連職員の夫とカリブ海のトリニダード・トバゴに移住することになったイメルダのために、事務所の所長がオフィスで送別会を開いてくれた。そして、彼がそこで口にした言葉から、僕は彼女の過去について知ることになった。
「イメルダの叔父は私と同じ国連職員で、彼と私は旧知の仲でした。1994年のジェノサイドで、イメルダの両親は殺されました。何とか助かったイメルダが、定年後の余生を過ごしていた叔父を頼ってこの国に逃れてきた時、私は、何とか彼女の力になりたいと思いました。私は彼女にここで私たちのために働くことを提案し、以来、彼女は今日まで私たちの大きな力になってくれました」。
僕らが生きていることは、ただの偶然でしかない−−。当時、僕の中に浮かんだのはそんな言葉だった。そして、以降の人生で、僕は何度もその言葉を思い出すことになった。圧倒的な暴力によって、たった2ヶ月間に80万人以上の人々が虐殺される狂気を、イメルダは生き延びた。今、僕はそれから20年が経過したルワンダで、人々の死と生に毎日向き合っている。僕が彼女について思い出していることを、彼女は知っているだろうか。
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