母親の、母親による、社会のための活動〜母親の起業をいかに「母親と社会との接続」が達成させるのか
江藤真規(サイタコーディネーション 代表)
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女性が元気である。平日の昼間、どこのホテルにいってもランチを楽しむ女性で一杯だ。かつては特別な人のみが行く場所だったエステも、普通に通える場所となった。まさしく女性の時代。女性のもたらす経済効果は相当なものであろう。
そんな中、社会に出て仕事をしたいという女性も急増している。それも、どちらかというと生活のため、報酬を得るためにというよりも、「自分のために」という、今までとは少し違う欲求から仕事を求めている女性が増えているように思う。彼女たちの口癖は、「自分らしく働く」。何を隠そう私もその一人であったかもれない。
子育てが一段落して、さてこれから何をやっていこうか…、そう考えたときに、とてつもなく社会と繋がりたい欲求が増してきた。そして仕事を探した。しかし、当時の日本社会では、ある程度年齢を重ねた女性が組織にはいるには、まだまだハードルがあった。仕事をしたい、社会に出たい、しかし自分が願う環境が見つからない…。そんなジレンマを抱えながら、結局私はしばらくの間学ぶことにエネルギーを費やし、そしてその後起業をした。
時代の後押しもあったかもしれない。当時は人気女性誌などでも女性の起業をあおるような記事がよく目についた。プチ起業というかわいらしい言葉も流行した。私の周りにも、自宅をサロンにして趣味のお教室を開いたり、今までに身に着けてきた知識を発信していく、そんな仕事を始めた友人が数多くいる。人の役に立ちたい、後輩ママ達の役に立ちたいという思いに女性特有の共感性も相まって、彼女たちの行動力に加速度が増したのだろう。
私はこういった女性たちの活動を、非常にポジティブに捉えている。母親が家庭から一歩外に出ることによって、経済効果はもちろんのこと、家庭という狭い空間にも活気がみなぎってくるからである。母親が視点を広げることによって、子どもにも間違いなくいい効果がある。母親の目が子どもだけに向けられることを回避し、食卓での話題も広がるだろう。
しかし、懸念事項も一つある。それは、母親のプチ起業が「母親の、母親による、母親のための」活動に留まっていないか、と言うことである。「母親の、母親による」活動であることは素晴らしい事実であるが、それが「母親のため」だけに留まってしまえば、結局のところ内輪盛り上がりとなり、持続性に欠けてくるように思うからである。
母親による活動、なんとか母親以外のためにも向けていけないだろうか。社会のために向けていけないだろうか。彼女たちが生活をしながら培ってきた抜群のセンスを生かして、その活動を社会につないでいきたい。それが出来たときに本当の意味での、「母親と社会との接続」が達成できるのではないかと思うのである。
母親の、母親による、社会のための活動を切望する。
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