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.国際  投稿日:2017/4/27

「超法規的殺人」比大統領を告発


大塚智彦(Pan Asia News 記者)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

■「人道に対する罪」「大量虐殺」の疑い

フィリピンのドゥテルテ政権が薬物犯罪対策として実行しているいわゆる超法規的殺人について、「人道に対する犯罪」「大量虐殺」の疑いがあるとしてフィリピン人弁護士が国際刑事裁判所(ICC)にドゥテルテ大統領をはじめとする政権幹部、治安組織トップなどを提訴した。

超法規的殺人を巡っては人権団体や欧米が繰り返し非難してきたものの、ドゥテルテ大統領は聞く耳を持たず依然として殺人行為が続いており、この問題が初めて国際司法の場に持ち込まれることになった。

4月24日にICCへの訴状を提出したのはジュード・サビオ弁護士で、ドゥテルテ大統領がミンダナオ地方ダバオの市長時代に同様の麻薬犯罪容疑者に対する殺人を実行した「ダバオ処刑団」の元メンバー、マトバト氏の代理人として提訴に踏み切ったという。

訴状によると、ドゥテルテ大統領はダバオ市長時代に1400人以上、大統領就任(2016年6月)以降現在までに8000人以上が正式な司法手続きによらずに不法に殺害されたとしている。超法規的殺人には

①国軍や国家警察の関与疑惑

②身元不詳の暗殺者が殺人を実行し、報酬が現金で支払われている

③犯人はオートバイに乗った2人組で覆面をしている

④殺害された遺体にはテープ巻きにされ、犯罪容疑を記した紙片が置かれ、脇には銃や違法薬物が残されている

・・・などの共通点があり、殺人リストに基づく「組織的、計画的」な「犯罪」であると指摘。こうした「犯罪容疑」の根拠として同弁護士は国際的な人権団体「アムネスティ・インターナショナル」による調査、報告などを挙げている。

■政府側は激しく反論

サビオ弁護士がICCに提訴したのはドゥテルテ大統領のほかにアギレ司法長官、デラロサ国家警察長官、アルバレス下院議長、スエニュ前内務自治長官、ゲラン国家捜査局長、上院議員、警察関係者などと多岐にわたっている。同弁護士は「人権団体などの非難、抗議を政権は無視するのみならず、事実を隠蔽し、犯罪をねつ造している。この提訴でフィリピンの暗黒時代に終止符を打ちたい」とその熱い思いを吐露した。

提訴の発表を受けてパネロ大統領顧問は即座に反論。「提訴には根拠もなく、ICCの管轄権もない。そもそもICCの(構成・管轄犯罪・手続きに関する国際条約である)ローマ規定は“国民に対する犯罪”を想定しているが、フィリピンの行っていることの対象者は(国民一般ではなく)薬物事犯の犯罪者である」と述べた。さらに「ドゥテルテ大統領のイメージ悪化を狙った悪質なプロパガンダだ」として同弁護士を非難した。

アベリア大統領報道官も「このタイミングでの提訴は4月29日にマニラで開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議を妨害する意図が明白である。政府が主導して行っている超法規的殺人などはない」と同弁護士に反論した。

29日開催予定のASEAN首脳会議では域内の経済、安全保障問題などが協議され、各国の個別内政問題には言及されることはないとみられるが、今後予定される日米韓などが参加するASEAN地域フォーラム(ARF)ASEAN拡大外相会議などで超法規的殺人を個別に取り上げる国も予想される。それだけに議長国フィリピンのドゥテルテ大統領にとってはタイミングも内容も「不愉快」な提訴となったことは、政府側の素早く手厳しい反論をみても明らかだ。

■強権姿勢が招く相次ぐ造反、反発

ICCは提訴を受けてICC検察局が提訴内容を捜査して起訴相当かどうかを今後判断することになる。起訴相当になった場合はICCがドゥテルテ大統領以下に逮捕状を発行することもありうるという。ICCは2016年10月に声明を発表してフィリピンの超法規的殺人への懸念を表明、状況次第では予備的捜査に着手するかどうかを判断する、としていたこともあり、今回の正式提訴を受けて早急に捜査に乗り出すことは確実とみられている。

ドゥテルテ大統領を提訴したマトバト氏は「ダバオ処刑団」の元団員で、2016年9月15日には上院司法人権委員会の聴聞会に証人として出席し、ダバオ市長時代のドゥテルテ大統領が「麻薬犯罪容疑者を直接殺害した」などと証言した経緯がある。

この上院同委の聴聞会を開催したのは当時の委員長デリマ上院議員でドゥテルテ大統領の超法規的殺人の違法性をダバオ市長時代から追究してきた大統領の「天敵」といわれた人物だ。聴聞会の直後にデリマ議員は委員長を解任され、その後愛人の存在や薬物犯罪への関与が疑われ2017年2月には逮捕、起訴に追い込まれている。

また同じ今年2月にはトリリャネス上院議員がドゥテルテ大統領と家族が24億ペソに上る不正蓄財の証拠を発見したと告発する事態も起きている。かつての部下、味方や上院議員などによる追究、告発はドゥテルテ大統領の強引な政治手法が招いた結果とも言われているが、4月17日に公表された民間調査機関によるドゥテルテ大統領の満足度は78%と依然として高い支持を維持している。

■問われる政権の対応

国際的人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」はフィリピンの超法規的殺人に関する報告書「殺しのライセンス、ドゥテルテ大統領の麻薬戦争におけるフィリピン国家警察による殺人」(117ページ)を公表して国際社会にその「不法殺人」を強く訴えている。米政府も3月に発表した国務省人権報告書の中で超法規的殺人への強い懸念を表明するなど、国際社会でのドゥテルテ批判は高まっており、今回のICCへの提訴はこうした流れを一気に加速するものとみられている。

ドゥテルテ政権は南シナ海南沙諸島の領有権問題で中国を国際仲裁裁判所に提訴し、勝訴した経緯がある。その際「裁定は紙屑」と反応した中国に対して「国際社会のルール、裁定の尊重」を表明したのはドゥテルテ政権である。今回のICCへの提訴に対し「管轄権がない」「証拠がない」などという反論に終始しているだけでは、中国の「裁定は紙屑」という姿勢と何ら変わりはない。それだけにICCという国際司法の舞台で今後進むであろう捜査にどういう姿勢で臨み、どう対応していくのか、政権の基盤が問われることになる。


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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