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.社会  投稿日:2013/11/16

[江藤真規]社会で『活躍する女性/期待される女性』に“母親”は入っているか?〜母親の社会復帰に制限をかける「抑止力」〜


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江藤真規(サイタコーディネーション 代表)

執筆記事プロフィールWebTwitter|Facebook

 

女性の力が注目を集めている。女性の力が経済を動かす、社会を動かすと様々な業界で囁き始められている。実際に私の周りにも、社会で活躍をしている女性がたくさんいる。「女性の方が優秀だ」「女性ならではの視点がいい」など、女性にとって心地よい言葉もよく聞こえてくる。また、女性を応援して下さっている経営者層も数多くおいでになる。本当に女性にとってはいい流れが来てきていると実感する。

この波に女性がうまく乗り、そして本当にその力を社会に活かしていくことができれば、女性にとっても、そして社会にとってもwin-winの関係が構築できるのではないかと、大いに今後の女性の活躍に期待をよせている。しかし、ここで言われている「女性」に「母親」は入っているだろうか。母親の中でも主に専業主婦として子育てに一生懸命取り組んでいる母親たちはどうだろうか。

まだ子どもが小さいから家で子育てをする、これはこれでもちろん立派な考え方であり、そのように出来る環境があるならば是非とも貫いてい頂きたいと思いつつ、その方々が子育てを終えてから、社会に復帰する際に出来上がっている高いハードルが気になって仕方がない。子育てをするためにいったん家に入り、主婦業に専念しだした女性には、社会との間に大きな溝が出来てしまっているように見えるのだ。子育てのために家庭に入る直前までは、社会でバリバリと活躍していたにも関わらず、この溝は存在するように思う。

この溝は一体何からできているのだろうか。

受け入れ側の社会が求めている労働力と、母親層が提供できる力との不一致もあるだろう。母親が働く事の出来る時間的な制限やスキル不足などから来るものは、ある程度仕方がないのかもしれない。しかし、もう一点そこには精神的な問題も潜んでいるのではないだろうか。母親の社会復帰に制限をかける、「抑止力」となっている力だ。

例えばママ友達と話をしていると、彼女たちがある言葉を頻繁に使うことに気づく。それは「うちの主人が…」という枕言葉だ。ジェンダーバランスについて語り始められて久しいが、一部の母親達は未だそのアンバランスの中に生活をしているように見える。「主人がこう言うので…」「主人の許可がなければ…」「主人はこういう人なので…」…。

働く女性、女性の時代、ウーマノミクス、確かにその流れはあるものの、未だ「主人」という隠れ蓑の中に身を潜めている優秀な女性たちがたくさんいることも事実である。そしてその女性たちが子育てをしている。次世代を担う子ども達を育て、その子ども達の価値観を作っている。

そして面白いことに、彼女たちは決して「主人」の後ろに身を置くことをネガティブには捉えていない。むしろポジティブに受け入れ、上手にその「隠れ蓑」を使いこなしているようにさえ見える。「うちの主人が…」は恰好の断り文句になる。都合のいい代弁者にもできる。責任は全て取ってくれる好都合な存在だ。しかし私は「うちの主人が…」を、「私は…」に変えなくてはいけないと強く思う。

女性の時代は、女性が「自分を主語とした会話」を始めない事には、いくら社会が居場所を作ってくれたところで、うまく機能しないように思うのだ。母親の言葉が、「私が…」にならない限り、本当の意味での女性の時代はやってこないのではないだろうか。いずれにしても女性の力は果てしなく大きい。この力を社会に活かさない手はない。

いろいろな意味で、社会で活躍する男性、そして既に社会で活躍をしている女性には、周囲にいる「うちの主人が…」と会話を始める母親達を感化していって欲しいと思う。母親の持っている潜在的な力は、今後世の中を変えていくことが出来るくらい大きいものだと確信している。

 

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