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.社会  投稿日:2015/7/30

[為末大学]【“しょうがない”の真髄は執着しないこと】~過去の悔しさを後ろに流し、今を生きる~


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

執筆記事プロフィールWebsite

祖母は時々”しょうがない”と口にする。僕が子供の頃、高熱で危なかった時”しょうがない。もう一人産んだらええ”と早々に諦めの言葉を発した人だ。祖母は平成の世に旅人と称する人に旅のお金を工面したりと、人に渡すことやあげることの方が多い人生を生きてきた。その度にしょうがないと言っていた。

しょうがないは諦めの言葉だと思う。納得いったわけではなくても、もうどうにかしようとしたってどうにもならないわけだから踏ん切りをつけようとしている時に出る言葉で、自分の中で全部えいやと後ろに流してしまおうという意味合いが強いと思う。

なんでもかんでもしょうがないで流してしまって、ちっとも考えない人もいるだろうし、しょうがないとも思わずに生きている人もいると思う。一方でしょうがないと言えなくて苦しんでいる人もいるように思う。忘れられない人、諦められない人、許せない人。

しょうがないが多い人生は、ダメな人生かもしれないが、本人の中には少なくとも深刻な悩みがない。なにしろしょうがないと言ってしまって流してしまうのだから溜まっているものがない。阿呆に見えるかもしれないが、少なくとも今を生きてはいる。

ところがしょうがないが言えない人生というのもあってこれは辛い。なにしろ過去に起きた何か自分に引っかかっていることがずっと流せないで心に残っている。あの人が許せない、どうして自分ばっかりに、あれさえあればもっと幸せだったのに。過去に悔やんでいることがしょうがないと流れていかない。

執着の強い人間にとって(私もそうだが)しょうがないは最も意志力がいる。しょうがないと流した後はそれを振り返ってはならないと自分に誓うわけだ。これはなかなか根性がいる。しょうがないと言われたってそんなこと到底納得できないと思っていても、ある時しょうがないで無理やりそれを後ろに流してしまう。それは結局自分の意志の力でしかない。

しょうがないの真髄は、執着しないことだ。執着とは滞ることだと思う。


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