.社会 投稿日:2014/9/16
[為末大]【許しと諦め】
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
僕は人々の切なさや苛立ちは自分を許せてないことからくるものが大部分だと思っているのだけれど、一方で自分を許すという行為がどれだけ難しいことなのだろうかとも思っている。許しは優しいようでいて、そうとう厳しい話じゃないだろうか。
頭がいいから偉いね、優しいからいいね。人は人を褒める時、意識的かどうかは置いておいてある価値観で評価していると思う。それは親子の関係でもそうであって、自分が認められるということは相手の軸で評価に値したということでもある。
物心着いた頃に価値観が自分の中に根付いている。価値観を手にした時、様々な素晴らしさが生まれる一方で素晴らしくなさも生まれる。素晴らしいかどうかを決めているのは自分の価値観。そして人生を進めていく中で自分の評価を自分でしていく。
さてある年齢に達したところで、自分の人生の大方の方向性が見えたところで、自分の人生が自分の価値観では素晴らしいとは言えないものだった時私達はどうしたらいいのだろうか。周囲からみてどうかではなく、自分自身が強固にそう思っていた時どうしたらいいのだろうか。
許せなかったり、悲しかったり、どうしようもないその心根の底は、自分が自分を蔑んでいることに起因する。蔑む根拠になっている自分の価値観は実はさほど根拠がない。自分という主観がなければ、ただの人間がそこにある。
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