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スポーツ  投稿日:2016/3/19

自分を笑い飛ばす生き方 自滅型からの脱却


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

本来想像力が豊かなことは人生にプラスになるが、想像力が豊かすぎて自滅しているパターンをよく見かける。

往々にして想像力が豊かすぎて自滅する人は、全てに意味があると思っていて、そして世の中は悪意の方が多いと思っている。例えばクラスメイトが帰り際に自分の名前を出しながら友達と笑って変えるところを遠くから見かける。自分の噂話をしていたのではないか、馬鹿にしていたのではないか、もしかしてあの時のあれがみんなからは馬鹿みたいに見えていたのではないか、と想像が膨らんでいく。

もしかして、ただ名前が出ただけかもしれないし、いい話だったかもしれない。さらに言えば馬鹿にされていたとしても、よく考えればその人は自分にとってさほど重要ではない人だからどうでもいいんじゃないか。そういう発想に自滅型思考は向かわない。意味を考えてしまい、さらにそれが自分の頭の中で加速し、ひどい時はもうおしまいだというところまで行ってしまう。

スポーツの現場でも、自滅型の選手は、いざ本番の試合を外すことが多かった。よく緊張をどう克服したらいいですかと質問を受けるが、緊張はむしろ体をいい状態に持って行ってくれる役割も果たす。問題は、もしこうなったらどうしよう、失敗したら馬鹿にされないか、一生後悔するんじゃないか、と想像力が膨らみすぎることだ。

ライバル選手のちょっとした仕草に目をとられ、その意味を想像してしまい、勝手に怯え、勝手に警戒したりする。相手と接触のない陸上においては、パフォーマンスの低下は全て自滅と言える。勝手に自分で自分を追い込んで泥沼に引きずり込んでしまう。

超ポジティブな選手もいて、そういう選手は何が起きてもいい面ばかりを見ることができる。それは素晴らしいし、できることならそうなりたいが、私はそう生まれた選手以外はなろうとしても難しいと思っている。一番厄介なのは本当はネガティブなのにポジティブぶろうとして、そのうちにポジティブでなければならないのにネガティブに考えてしまう自分を必要以上に裁くようになる。

私はネガティブでもないが、超ポジティブでもなかったから、最終的に、能面になることに決めた。試合の時に起きる出来事は全て違う世界の出来事で自分には関係ない。映画の中に観客が一人紛れ込んだような気分で、淡々と試合を想定し、それを実行するという感覚だった。いまここ以外を一切遮断するというやり方を私はとっていた。

さて、想像しなければならないこともたくさんあるが、どうでもいいことの方がもっとたくさんある。ほとんどのことは自分にとっては関係ない。そういうつもりで生きていけば、若干自分勝手に見えるかもしれないが、自滅型の人にはちょうどいいのではないかと思う。

スランプの最中、みんなが自分を馬鹿にして笑っているような気分になって辛かったことがあった。ある日、どうせならと自分も一緒になって自分を馬鹿にして笑ったら、すっきりして淡々と日々を過ごせるようになった。自滅型の人は全てに向き合いすぎているのかもしれない。

為末大HPより)


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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