「死ね」とまで書かれた国 日本の待機児童問題 その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
「保育園落ちた政局」は、まだ当面、収まりそうにない。
事の発端は3月始め、ネットの匿名投稿サイトに「保育園落ちた 日本死ね」という、いささか過激な書き込みがなされたことである。すさまじい勢いで拡散し、ついには国会での論戦にも引き合いに出された。さらに国会前では、待機児童問題への政府の取り組みの遅れを糾弾する意味で、
「保育園落ちたの私だ」
というプラカードを掲げたデモ隊まで出現した。
安倍首相は国会の予算委員会において、過去に待機児童の増加を「嬉しい悲鳴」と表現したことを不適切だと論難され、
「安倍政権になってから、就業者が99万人増えた。その意味で、待機児童問題は嬉しい悲鳴ではあるけれど……と述べた。待機児童ゼロは必ず実現する」
などと答弁している。
私としては、有権者・納税者の一人として、この答弁は受け容れがたい。理由は至って簡単で、待機児童問題はきわめてスパンが短いということを、この人は理解できていないのではないか、と思えてならないからだ。
保育園が預かるのは、おおむね1歳児から3歳児で、その先は幼稚園、そして6歳(満7歳になる年)からは小学校で、これは義務教育だから「待機」はあり得ない。つまり、今からたとえば5年後に保育所の数が揃っても、時すでに遅し、なのだ。
現在、行政が把握している待機児童=保育園の受け入れ枠から漏れた子供の数はと言うと、45,315人である。一方、小規模保育所の定員は19名であるから、単純計算で2,385カ所の保育所を確保しなければ、待機児童ゼロは実現し得ない。
これを何年がかりで実現するのか、そのための予算処置はどうなっているのか、国民が納得できる説明がなされてはじめて、必ず実現する、という意気込みが説得力を持つ。
ちなみに、保育園は厚生労働省、幼稚園は文部科学省の管轄となっているが、これもまた、待機児童問題にとって持つ意味が大きいことなので、覚えておいていただきたい。
もうひとつ、この問題を考えるに当たって知っていただきたいのは、およそ30万人という数字である。潜在保育士人口……と言われても、すぐにはピンと来ないかも知れぬが、要するに、保育士の資格を持ち、過去には保育園などで働いた経験があるにも関わらず、現在は離職している人たちの総数(概算)がこれなのだ。
よく知られる通り、保育士は短大出の若い女性が大半を占め、いわゆる「寿退社」のケースが非常に多い。実は私の古い友人の奥さんも、その一人だ。だいぶ前の話になるが、男性保育士がものした手記の書評を手がけることになった際、参考までに電話でコメントしてもらったことがある。
「やはり安月給で重労働だと感じてましたか?」
という私の問いに、
「みんなそうですよ。特に男性にはきついでしょうね」
と語っていた。給料の安さもさりながら、年功を重ねても地位や給与がそう上がらない。つまりは出世の展望がないので、古い言い方をすれば「男子一生の仕事」とするのは厳しい、ということのようだ。
全く同じ理由で、自身の子育てが一段落した時点でも、主婦パートなら、もっと割のいい仕事がいくらもあるから、ということになるそうだ。
お分かりだろうか。
待機児童問題とは、保育士の待遇の問題と表裏一体なのである。
前述の、待機児童問題にからんだ国会前デモの呼びかけ人の一人は、将来は保育士になりたいと考えている男子高校生であった。体験学習でこの仕事のやりがいと大変さを同時に知り、待遇改善のためになにかできないか、と思い至ったそうだ(TBS系『報道特集』の取材などによる)。
民主党は、維新の党と合流して新たに民進党を旗揚げする直前、
「保育士の給与をただちに5万円引き上げる」
との政策を打ち出した。
これに対して自民党サイドはどのように反論しているか、また、私はこの政策案も、無条件で支持するわけには行かないと考えているが、それはどういう理由か。
次回から、具体的な政策論争に斬り込んで行く。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。