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.国際  投稿日:2016/5/7

北方領土が帰ってこない3つの理由


文谷数重(軍事専門誌ライター) 

「北方領土が帰ってくる」と本気で信じる人はいるのだろうか?

ロシア南部のソチで5月6日(日本時間7日未明)日露首脳会談が行われた。報道によれば。安倍首相は領土問題について「今までの思考にとらわれず、新しいアプローチで交渉していく」と述べたとのことだ。

だが、交渉しても北方領土は帰ってこない。その理由は次の3つである。

第一は、北方領土はロシアにとっては貴重な生活可能地帯であり手放せないためである。

第二は、両首脳の政治力は既に減退しており領土問題を解決する政治力を持たないためである。
第三には、どのような結果になっても両国民は納得しないためである。

 

■唯一の居住可能地域

北方領土はロシアにとって貴重なため手放せない。サハリンから東では唯一の生活可能な地域であるためだ。北方領土には、農耕が可能であり安定した海上輸送が確保できる利点がある。意外かもしれないが極東ロシアで農耕可能な地域は少ない。このため極東部は食料は他地域からの供給に頼ってきた。シベリア鉄道以前は米国からの輸入、以降も戦前や冷戦期には敵であったはずの日本との沿岸貿易に頼っていた。そして冷戦終結後の今では中国と韓国に依存している。

北方領土はその数少ない例外である。低緯度であり日照時間が長く、比較的温暖な気候により本格的な農業ができるためだ。漁場も近いため食料には困らない。そのような地域は沿海州南部と樺太南部と北方領土しかない。また、冬季に海上輸送ができる点でも居住地域としての北方領土の利点である。

オホーツク海は結氷する。このため冬季には海上輸送はできない。沿岸にあるマガダンやオホーツクといった都市は、夏の間に濃霧を縫ってほぼ一年分の物資を海上輸送で溜め込み、冬を凌ぐ形になっている。

だが、北方領土諸港は基本的に流氷に閉塞されない。国後島の古釜布や択捉島の単冠湾は太平洋側に面しており、流氷に閉じ込められない。つまり冬でも津軽海峡を経由しナホトカとの海上交通が確保できるのである。その生活環境の優位は人口密度でも如実に現れている。

ロシアは極東部に広大な領土を擁しているが、居住可能な地域は極めて狭い。これは沿海州から東になると顕著である。人口密度はそれを如実に表している。アムール河口から東の各州は1平方キロに0.1-0.7人程度しか居住していない。

だが、北方領土は違う。これはロシア統計で北方四島を含むサハリン州の人口密度が5.7人であることからも理解できるだろう。そのような貴重な島をロシアは手放せないのである。

 

■両首脳の政治力低下

北方領土は解決できない。その第二の理由は両首脳の政治力低下である。簡単にいえば、指導力を失った首脳に領土問題といった難問が解決できるか?というものだ。

プーチン大統領の指導力は既に低下している。プーチンは就任から2014年まで絶大な支持を得てきた。これは原油価格の高止まりによる経済成長と生活水準の改善によるものである。また、ウクライナ問題もそれを支えた。ロシア人の目からすれば「領土を取り返した」功績も大きいものがあった。

だがその原油とウクライナ情勢の変化が、プーチンを不利な立場い追い込んだ。

原油価格は低迷し、引きづられる形で天然ガスもスポット価格を見れば記録的安値となっている。これは一次資源に依存したロシア経済の足を引っ張るものであり、地域によっては深刻な問題(モノグラード経済)も生まれている。

また、ウクライナ問題に端を発する西側の経済制裁もロシア経済を圧迫している。結果、プーチンは従来のような圧倒的支持は得られなくなった。おそらく、シリア介入や親衛隊創設はその焦燥感の裏返しである。国民の目を逸らすためシリアに積極介入した。また経済不振からの大衆抗議行動を警戒し、直接指揮できる国家親衛隊つまりは大統領親衛隊を作ったのである

指導力低下は安倍首相も変わらない。経済の行き詰まりに加え、その政治姿勢も批判を浴びており、かつての力はない。欧米の批判を浴びながらのロシア訪問や、現実的に解決できると思ってもいない北方領土問題への言及も、その指導力恢復を狙ったものだ。

 

■両国民は納得しない

最後が国民感情の問題である。日本人が北方領土を自国領土と信じているように、ロシア人も「南クリル」を自国領土と信じている。

そのため北方領土問題は、どのような解決案であっても両国民は納得しない。つまりは実現せず、問題は解決しない。領土は神聖であり、他国に奪われることは許されない。自国領土は血を流してでも守るべきものと信じており、実際に両国民ともそのための流血を厭うものではない。この状況では、どのような解決策にも日露両国民はいきり立つ。

四島返還はロシア人を激昂させるものであり、それを許したプーチン体制を倒すだろう。 実際にソ連崩壊直後であっても、ロシアは日本経済援助との引き換えとして北方領土「売却」を進めることができなかった。それをすれば「金で領土を売った」と政府が打倒されるためだ

逆に、北方領土放棄は日本人を激怒させるものとなる。安倍首相がそれを決めれば、政権はその日のうちに打倒されるだろう。日本人も政府の弱腰を詰問した例はある。例えばポーツマス条約での日比谷事件はがそれだ。そして問題が金ではなく領土となれば、その感情の爆発は日比谷事件をこえる。

その中間の二島返還とすれば、今度は両国民は同時に激憤に至る。つまり、北方領土問題は双方の国民感情の面からも解決はできない。しようとしても政権は打倒され、実現には至らないだろう。

 

■結局はリップサービス

以上が北方領土問題が解決しない理由である。この状況で「今までの思考にとらわれず、新しいアプローチで交渉していく」(安倍首相は日本国民向けのリップサービスにすぎない。

そもそも今の日本には、ロシアに北方領土を返還させる力はない。世界トップの経済大国であった頃でも、ソ連崩壊後のロシアに飲ませられなかった。そして今の日本にはかつての経済力はなく、ロシアもかつてのような惨めな状態にはない。

また、プーチンが「領土交渉への言及に異議を挟まなかった」ことも、ロシア側の対日リップサービスにすぎない。ロシアは北方領土を返す気もないし、プーチンには返還を決断する力もない、そもそも国民感情から返すこともできない。

つまり、北方領土は帰ってこない。これは安倍首相もわかっているし、報道機関もわかっている。国民も薄々は気づいている。だが、それを「領土問題の進展」としてニュースとして扱い、帰ってくる見込みがないことを誰も明言しない。これも奇妙なことだろう。


この記事を書いた人
文谷数重軍事専門誌ライター

1973年埼玉県生まれ 1997年3月早大卒、海自一般幹部候補生として入隊。施設幹部として総監部、施設庁、統幕、C4SC等で周辺対策、NBC防護等に従事。2012年3月早大大学院修了(修士)、同4月退職。 現役当時から同人活動として海事系の評論を行う隅田金属を主催。退職後、軍事専門誌でライターとして活動。特に記事は新中国で評価され、TV等でも取り上げられているが、筆者に直接発注がないのが残念。

文谷数重

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