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スポーツ  投稿日:2016/9/16

自分にふさわしいコーチとは


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

ぼんやりと五輪を眺めていて、コーチと選手が抱き合って喜ぶ瞬間を見ていて、自分が何でコーチをつけられなかったのかを久々に思い出していた。

もともと人に何かを指示されるのが嫌なのもあってか、高校を出てからコーチらしいコーチをつけず、一人で練習をしていた。30代からは本当にグラウンドでも一人になって週の半分は誰もいないグラウンドで練習をしていた。特にそうすべきだと強く感じていたわけでもなくて気がついたらそうなっていた。

20代の初めの頃、アメリカ人と練習している時に、コーチを変えるという話を聞いて驚いたことがある。彼曰く、今のコーチは自分に合わないから、もう少しぴったりきそうなイギリスのコーチに見てもらうんだと。練習後にコーチにその話をしに行って、コーチもさらっとああそうなのという感じで、次の日から彼は練習にこなくなった。

日本も今は違うかもしれないが、私が知っているアメリカとヨーロッパではコーチにお金を払って指導してもらうのが一般的だった。コーチにとって選手はクライアントになる。だからといって別にそこにへり下るような空気はないけれど、お互い提供し合って、目標となるものを目指していきましょうよ、合わなければ解消しましょうという空気だった。日本で言えばコンサルティングとかに近いのだろうか。

それが日本では一旦指導者と選手がパートナーを組むと、それを解消することが非常にむずかしくなる。コーチはボランティアであることが多いので、お金じゃない対価を求めて指導する。選手もそれをわかっているので対価は成果で返そうとする。しかも、日本のコーチは教育者であることがほとんどで(アメリカのコーチは教育者の空気が薄かった。私生活や生き方に口を出すことはほとんどない)、それも相まってまるで先生と生徒の関係のようになってしまう。

ただ、このスタイルがしっかりとハマると、ビジネスを超えた信頼関係が結ばれ、普通では考えられないパフォーマンスをすることがある。特に選手が指導者を信じ切れた時は本当に凄まじい。それをいつもいいなと思いながら、自分にはそれができないなとも思って難しい感情で様子を見ていた。

そういう空気の中では、私のような選手は、指導者に議論をふっかけるわ、チームの空気を壊すわで、とてもじゃないけれど、面倒を見てもらえない。結果として一人になっていったのではないかと思う。他人とうまくやれないタイプだったから。

選手の練習を普段見ているコーチは五輪の現場にいないこともよくある。代表のコーチと、普段のコーチは別であることが多いからだ。昔、五輪期間中、選手村の外のカフェで一緒にあるコーチとテレビを見ていて、選手が優勝した瞬間に彼がにやっと笑ったことがある。どうしたのと聞くと、あれは俺の指導している選手だと言っていた。現役も終盤だったので、ふとこういうコーチとならもしかしたらうまくやっていけてたのかなと思ったことがあった。五輪はいろんなことを思い出させる。

為末大HPより)


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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