“模倣”という行為の奥深さ
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
久しぶりに浜辺でスタートダッシュとそれから簡単なサーキットトレーニングを行っていたら、横で1歳と3ヶ月になる息子が、腕立て伏せの真似をし始めました。し始めたのはいいのですが、頭が上下しているところだけ強調して見えていたようで、ただ頭を上下させて体を伸び縮みさせるというなんとも滑稽な動きを繰り返していました。
人間には模倣という素晴らしい能力があります。この能力がなければスポーツの技能上達は成り立ちません。まず、模倣をするためには、目の前で起きている動きのポイントをつかまなければなりません。ピッチングの動作を模倣したいのに、足の親指と膝の連動ばかりを見ていてはうまく模倣できません。適切なポイント(しかも一つではなく二つ以上のポイントの関係性)をしっかりとつかむ必要があります。私たちは点ではなく、関係性を模倣しています。
さらにつかんだポイントを、今度は体で表現しなければなりません。そう動かそうと思うことと、本当にそう動くことと、のずれがあるとうまく模倣ができません。誰しも初めて自分が走っている時の映像を見てショックを受けますが、これは自分の中ではこう動いているつもりでも、実際はそうではなかった、というギャップから受けるものです。なるほどああやって投げればいいんだと頭では合点がいっても、そのように体を動かすには“思ったように体を動かすことができる”スキルが必要になります。
まずポイントがわかること、そしてそれを体で表現できること。この二つが模倣には必須ですが、更に高度な模倣の世界では、抽象化してそれを模倣することができるようになります。この世界では必ずしも対象と動きが似てくるわけではありませんが、力を入れるポイントや流れ全体を模倣するようになります。人間の骨格は違いますから、むしろこちらの方が本質的な模倣と言えるでしょう。これができるようになるには、目に見えている動きの奥でどんな意識でどこに力を入れているかがうっすらとでも見えるようになる必要があります。見えている現象ではなく、奥にあるみえないものを模倣するわけです。
見えないものを模倣できるようになると、動きを抽象化して捉えそれに体を乗せることができるようになります。おそらくは中国拳法の五獣拳などは、動物の動きや性質を抽象化したものを体現するということではないかと思います。現象のみを追いかける模倣は、決してオリジナルを超えることはできません。現象の奥にあるものを抽象化して模倣できる感覚が生まれると、世の中全ての物事が動いている様が(私にとっては)走りに見えるようになりました。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。