日本解凍法案大綱 12章 初めての株主総会
牛島信(弁護士)
向島運輸株式会社は、創立以来、定時株主総会をまともに開いたことがなかった。そもそも取締役会にしてからが、社長に言われて取締役が集まる会議を取締役会と呼んではいても、それとても取締役が集まるから取締役会と呼んでいるというだけのことに過ぎないのだ。社長の梶田健助はもちろん、取締役の肩書きを持っているどの人間も、取締役会なるものがなんなのか、よくわからないままやってきていた。
株主総会はもっとお粗末だった。
取締役会らしきものがあったときに、年に1度だけ、社長の後に座った総務課長が、「続けて株主総会を開催してください」と社長にささやく。社長がおもむろにうなずくと、総務課長が予め作っておいた式次第を読み上げ、配当の額を確認する。取締役に新任や退任があるときにはその者の名前を社長が読み上げる。それで終わりだった。誰にも発言を求めないし、誰も発言しようとする者もない。
株主総会らしきものがあるときには、予め株主名簿にしたがって一応招集通知を総務課長が発する。しかし、株主の誰も出席したりはしない。
それで、誰もなにも困らないでやってきたのだった。
顧問税理士に言われて、取締役と代表取締役の登記は法律どおりにやっていた。そのために必要な株主総会議事録や取締役会議事録という名前のついた書類を2年に1度は中川顧問税理士が作成していたが、それも実際に何が起きたのかとは関係のない書類に、総務課長が手元にある取締役や監査役のハンコを勝手に押してできあがったものに過ぎなかった。
それ以外にはなにもなかった。向島運輸ではすべてそれで済んでいたのだ。
今回はそうは行かなかった。
社長の梶田健助は大木忠弁護士以下6人もの弁護士が並んだ配達内容証明郵便を受け取り、中味を読んでみると自分の解任請求を議題にするよう記載されていることにギョッとした。若い弁護士が二人で会計帳簿閲覧だと言って乗り込んできたときには不愉快な気はしたが、顧問の中川税理士がすべて取りしきってくれた。「会計帳簿はキチンとなっています。税務署もとおってます。何も心配することはありませんよ。」そう中川税理士は言ってくれた。
しかし梶田健介は、どうも今回はとんでもないことが起きているような気がした。それで慌てて顧問の中川税理士に電話をかけ、弁護士を紹介してくれるように頼み込んだ。
数日して、中川税理士から電話があり、平河町のマンションの一室にある前原弁護士を訪ねるように言われて、指定された日時に前原弁護士の事務所へ独りで出かけていった。中川税理士が先に着いていた。
前原俊剛弁護士は15年の経験を有する40歳を過ぎたばかりの弁護士で、7年前に独立したのだという。前原弁護士のほかにはごく若い弁護士が独りだけの事務所だった。
梶田健助があらかじめPDFで送ってあった配達内容証明郵便についてたずねると、前原弁護士の顔が曇った。
「法的には権利がありそうですね」
「先生、三津田沙織という方は、いったいなにをしたいのでしょうか?
株は完全に女房と私で固めてますから、解任なんていってみたって通るわけがないんです」
前原弁護士の言葉に梶田が胸を張ってみせると、前原弁護士は、
「そうですか、奥様と梶田さんで固いんですね。じゃあ大丈夫だ。
梶田さん、すると、敵は本能寺にありじゃないでしょうかね。
株主提案をしても通りっこないのに提出してくるのは、間違いなく、議題を否決されることを前提としてのことです。
梶田さん、この大木法律事務所っていうのは弁護士業界では知らないものはいない事務所です。ビジネスローの分野では一流との定評がある、80人も弁護士のいる大きな弁護士事務所です」
と言い、さらに、
「その事務所が引き受けたからには、なにか勝算があってのこととしか思えません。
それがいったいなになのか」
そこまで言うと前原弁護士は小さな溜息をついた。
「え、どういうことなんですか」
梶田は勢いこんで質問した。中川税理士も隣で首をひねっている。
「いえね、このやり方からすると、否決したら間違いなく30日以内に解任の訴えを提起してくるつもりだと読めます。相手は、定時総会での否決なんて通過点だとしか思ってませんよ。
でも、そう考えると、大木事務所が梶田さんについて『不正の行為または法令もしくは定款に違反する重大な事実』があると信じるに足る証拠を握っている可能性が高いということになります。
帳簿閲覧されたけれど、なにも問題はないというお話だったんでしょう?」
「はい。中川先生がそう断言してくださいました」
中川税理士が、こんどは大きくうなずいた。
「そうでしたよね。私も中川先生にうかがいました。
しかし、ねえ」
前原弁護士は言葉を濁した。目の前にいる梶田が不正行為をしていると決めつけることは、さすがにはばかられたのだ。といって、前原弁護士にしてみても、知り合いの中川税理士から株主総会のことなのでよろしく、と言って頼まれただけの関係に過ぎなかったから、梶田とうい人物をどこまで信用して良いのか、かいもく見当がつかなくもあったのだ。
弁護士にはそうした依頼が舞い込むことが時としてある。気をつけていないと悪事を働いた人間が弁護士の名前だけを借りて悪用しようと狙ってくることもあるのだ。今回は間に知り合いで、それなりの評判を持っている税理士が入っていたからまさかとは思ってみても、前原弁護士にしてみれば、
(大木先生の事務所が引き受けている以上、きっと何か根拠がある。自信を持っているに違いない。だから、こちらもその前提でことに当たらないと、自分が思わぬケガをすることになりかねない。
それに中川税理士が問題ないと言ったとしても、それは税務上の、それも実務的なことに過ぎない。税理士さんなのだ、弁護士とは専門分野が違う。税務上はとおっても、法的な分析が十分とはかぎらないからなあ)
と思ってしまうのだった。もちろん、中川税理士が目の前にいたから、そうは言わない。
「梶田さん、私も弁護士ですから一応お話をうかがわないわけには行きませんので、こんな失礼なことをうかがうのをお許しください」
やわらかい声でそう前置きをしてから、前原弁護士は、
「なにかそう思われてしまうような、誤解であってもですね、相手にそういうふうに思われてしまいかねないようなことって、思い当たりますか?」
と問いかけた。
「え?」
一瞬、梶田健助は意味がわからなかった。自分の弁護士に、まるでお巡りさんに尋問されるような目に遭わされるとは考えもしなかったのだ。
直ぐに前原弁護士が質問した理由が健助に不正なことがあるかという趣旨なのだと理解すると、
「いいえ」
と、できるだけ穏やかに答えた。それが紳士としての、この種の無礼な質問に対する回答の仕方だと思ったのだ。少しも思い当たらないということを強調するには、答は単純なほうがいい。
「そうですか。いや、そうでしょう、そうでしょうね」
前原弁護士はそう答えると、少し間を置いてから、
「先ほど、最近、会計帳簿の閲覧をされたというお話がありましたね。
そのときには相手は何を見て行ったのですか?」
とたずねた。
「ああ、なにか経費の明細とか言ってました。私はよくわからないのですが、中川先生がおわかりです。中川先生のお手伝いをしている経理の人間に聞いてみましょう。後でご報告します」
「なんでもありませんよ」
中川税理士が口を添える。
そう二人に言われて、前原弁護士は一応の納得がいったのか株主総会の説明に移った。
前原弁護士は、以前には大手の法律事務所にいて株主総会の仕事をたくさんこなしていたとのことで、株主総会の実務に詳しかった。議事の進行のしかたから机のならべ方まで、実際の現場で必要になりそうなことを一切合切、こまごまと丁寧に教えてくれた。
最後に、
「向島運輸の株式の51%を持っている会社、梶田さんが社長をされている会社です。その向島不動産という会社の株はどなたが持っているのですか?」
と訊かれた。
「家内と私の会社です。ま、子どももいますが」
とありのままを答えると、前原弁護士は、
「そうですか。奥様と。それなら安心ですよね」
と答えた。
帰り際に報酬についてたずねたら、株主総会のこともありますし後でと言葉を濁した。
向島運輸株式会社の株主総会は、いつもと違って取締役が集まる会議室ではなく、その隣の大きな会議室に設営された。事前にも当日にも前原弁護士が会社まで来てくれて、いちいち点検してくれ、リハーサルまでやったから、梶田健助は自信を持って当日に臨むことができるような気がした。
(大船に乗った気分だな)
梶田は声に出さないで自分に言い聞かせた。微笑みがうかぶ。
前原弁護士には議長の梶田の後にいてもらうことにしていた。当日の出席の話になったとき、梶田健助は、こいつは金がかさむな、と感じた。前原弁護士が金額について言葉を濁していた理由がやっとわかった気がしたのだ。どれほどの世話なるか、なにひとつ理解していない依頼者と報酬の話をしてもらちがあかない。前原弁護士は15年の経験で知っているのだ。
梶田健助は、これまで不動産の取引でトラブルがあってもすべて税理士に頼って解決してきていた。訴訟は自分からしかけることなど考えたこともなかったし、訴えるといわれたときにも中川税理士に頼んで円満に処理してもらっていた。
健助にしてみれば、今回初めて弁護士に頼んでみて、案外弁護士も親切に対応してくれることに軽い驚きを感じたほどだった。弁護士といえばいかめしいのはもちろん、いかにも尊大な態度の白髪混じりの男に違いないという思い込みがあったのだ。
会議室に机が並らべられている。学校のように、先生の席が一列だけあってその他の席はすべて先生の席に向かっている。いわゆるスクール形式だった。
梶田健助が議長として先生の列に座った。定款で社長が議長になることに決まっているのだ。左右に取締役の肩書きがついた部下がそれぞれ3人ずつ座っている。社長の席の向かい側の3列目に三津田沙織が座って総会の開始をまっていた。議長席との間に2列が空き、後ろにも2列が空いている。取締役と従業員で株主の者はいるが、三津田沙織のほかには株主としてだけの出席者はいない。いつもと同じだった。
梶田の後には総務課長と経理課長、それにその部下が2人、前原弁護士とともに小さな机を前に控えていた。
三津田沙織は88歳だったが、グレーと黒の小さな四角を不規則に組み合わせた上品な柄の洋服に身を包み、遠慮がちの化粧をほどこした顔の唇に、ここだけは別といった趣の明るい紅色のルージュを引いていた。今日のためだった。灰色の細長い事務テーブルの前に置かれた折りたたみ椅子の上に小柄な体をそっと軽く乗せるようにして、まっすぐに正面の梶田健助を見てしずかに座っている。
創業者が未だ健在であったころ、三津田沙織はわけがわからないながらも、いつもその隣にいた。あのころはロの字型の席の配置だった。夫が死んで40年。昔はそういう人がいたとは知っていても、当時の沙織の姿を覚えている者は、梶田健助とその妻の紫乃を除けば、一人もいない。ただそうした連中も、三津田という姓に創業者を思い出し、きっとその妻だった女性なのだろうと半ば好奇の眼差しを向けていた。
沙織は、社長の梶田健助の隣に妻の紫乃が座っていることにすぐに気がついた。ああ、そうなのか、この会社では社長夫人に収まっているのは、今は梶田紫乃なのだと思うと、今の我が身に引き比べての感慨があった。
夫が創った会社なのに。私は誰ともしれない株主席に座っている。取締役という肩書きが印刷された大きな短冊形の白い紙が梶田紫乃の席の前に垂らされている。梶田紫乃は、この会場でいるべき場所のある人間だった。
それに引き比べて自分は、と三津田沙織は思った。落魄という二字が頭に浮かんだ。慌てて持参したA4の紙3枚のメモを机の上に広げ、黙って読み始めた。桃井弁護士がつくってくれたものだ。もう何度も読み、桃井弁護士と何回もリハーサルを重ねてあった。Q&Aもすっかり暗誦していた。
沙織はもう一度視線を前に座っている梶田紫乃に移した。紫乃が結婚する前からよく紫乃のことは知っていた。梶田紫乃のほうは遠くの壁を睨むように見つめ、決して沙織とは視線を合わせようとしない。
(13章に続く。最初から読みたい方はこちら)
あわせて読みたい
この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html