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.国際  投稿日:2017/7/28

主体思想の変質が拉致問題の源流 金王朝解体新書その8


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

英仏の総選挙について書かせていただいたため、このシリーズが中断していたが、再開させていただく。

ここまで読まれた読者は、北朝鮮が国際的に孤立していった理由は、朝鮮戦争後に同国の統治原理となった「チュチェ(主体)思想」に求められることを、すでに理解しておられるだろう。

もともと、世界初の社会主義国家としてソ連邦が誕生した当初、資本主義国家による包囲の中でいかに生き残るか、という命題から、一種の富国強兵政策と言うべき「社会主義建国路線」は存在した。

ただ、ソ連の一国社会主義が、その呼称とは裏腹に「革命の輸出」を積極的に推進してきた(北朝鮮の建国も、その一環である=シリーズ第1回参照)のに対し、チュチェ思想の根幹をなすのは民族自決の理念であった。

1970年に日航機「よど号」をハイジャックして、かの国に亡命した赤軍派のメンバーが、当時の北朝鮮高官に対して、マルクスやレーニンを引用して彼らの世界革命理論を説いたが、

「マルクスになんと書いてあるかなんて、知らん。こっちは、アメリカがいつミサイルを撃ち込んでくるかも分からないという状況の中で、国づくりをやってるんだ」

と一蹴されてしまった、という逸話がある。

その数年後にはキム・イルソン自身が日本のTVのインタビューに答え、赤軍派メンバーについて、

「彼らも、お嫁さんをもらわねばならない年だから、帰らせてあげたい。ただ、今帰したら、日本の警察に捕まってしまう。日本の警察の手先にはなりたくないので、今はまだ帰すわけには行かない」

などとコメントしたこともあった。

国家元首が自ら海外メディアで肉声を披露するなど、西側でも滅多にあることではなかったし、今の北朝鮮をめぐる状況と見比べると、まさに隔世の感がある。

ちなみに韓国において、キム・イルソンの映像が見られるようになったのは、1960年代になってからの話であるが、当時の韓国人の反応はと言えば、

「向こうの指導者は、こんなに見栄えがいいのか」

というものであったという。

またまた韓国人ジャーナリストであるヤン・テフン氏の解説を借りると、もともと半島の民族は、あのように体格がよく、やや下ぶくれの顔の男性を美男と見なす傾向があるのだそうだ。

言われてみれば、いわゆる韓流スターのさきがけとなった俳優も……などと,あまり具体的なことを書くと、女性読者からの反発を招く恐れがあるので、ひとまず話題を変えるが、わが国でも、昭和の映画スターと呼ばれた人たちは、結構みんな体格がよく、舞台映えという要素もあるのだろうが、今の基準で言えばいかつい顔立ちが多い。

それ以上に、キム・イルソンという人物は、イメージとして作り上げられたカリスマ性だけではなく、本当に統率力があったのだろうと考えられる。38度線を突破しての南進=武力統一が結果的に失敗に終わったにもかかわらず、権力基盤が崩壊しなかったことは、その証左と考えてよい。

ところが、なんたる皮肉か、1970年代以降、北朝鮮の統治理論が変質しはじめた。理由は、これまた皮肉と言うべきか、韓国の経済成長である。

建国当初の北朝鮮が、ソ連からの援助もあって、経済面で韓国を圧倒していたことはすでに述べたが、今度は、ヴェトナム戦争でともに血を流した見返りという要素もあって、米国から韓国への投資が急拡大し、日本の後を追うようにして経済が急成長しはじめた。

そうなってみると、もともと人口では3倍近くも多い韓国は、軍事面でも北朝鮮を上回る勢いとなってきた。

キム・イルソンは、この自体に焦りを感じはじめたらしい。

韓国、そして日本に対する諜報活動が強化され、テロ・ゲリラ戦の手段も多様化し過激化した。

拉致問題も、この文脈で順を追って理解して行く必要がある。

次回はその話を。


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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