環境を変えることで人は成長する
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
【まとめ】
・人間は環境の中に最適化する。従ってどんな環境で生きていくかで人生の幾分かは決まる。
・井戸の中に最適化された人と外に出て行く人の間にあるのは「勇気の差」。
・慣れは成長の鈍化を意味する。新しい環境に必死で適応している時の方が人間は伸びる。
もしそれなりに野心がある人であるならば、まずどのような環境で競いたいかを選ぶのが重要だろうと思う。環境を間違えると同じ努力をしても登れる高さがずいぶん違う。
人間は環境の中で競争をする。環境の中に最適化するといったらいいかもしれない。だからどのような環境で生きているかによって自分の人生の幾分かは決まる。昔は村で一番になれば一番だった。それ以上はないし、それで十分だったと思う。今は村の外には町があり、国があり世界がある。上には上がいるから、行こうと思えばどこまででもいけるが、難易度はそれだけ上がる。
私の人生で大きな転機だったのは、18歳の時、世界大会に出てトップと競争したことだ。当時はハードルではなく短距離だったので、一緒にレースをしながらああこれはただ速く走るだけだったら20年程度の競技人生では追いつかないと直感的に悟った。
本当は頑張れば追いつくのかもしれないが、わたしはそういう風に感じてしまった。だけど野心は燃えたぎっていたので、じゃあどうすればここの舞台で自分が輝けるかを考えると、ハードルが一番いいんじゃないかと思うようになった。層の薄さと、技術要素が大きいことが理由だった。
二つの変化がある。一つは、とにかく世界で一番のものと体感的に触れたことで、何が負けていて、何なら勝負できそうか、自分の立ち位置がはっきりしたことだ。もう一つは、世界を基準に全ての設定が始まったことだ。人間は環境に最適化するので、設定が国内か世界かでは違いがある。
人生は気がつくと、袋小路に入っていることがある。心地よさや有能感は、閉じられた世界で成り立つことが多い。井戸の中に最適化された人と外に出て行く人の間に努力の差があるのかというと、さほど大きな差はないのではないかと思う。
ただ結果には大きな差が出ると思っていて、その差は努力ではなく勇気の差だろう。人生で一度も井戸の外に出たことがない人がいきなり大人になって出られるかというと、かなり難しい。皮肉なのは一生懸命に頑張った人は、井戸の中では立場を築いて最適化してしまい、そのこと自体が足かせになり井戸から出られなくなる。
人間は有能で、本気になれば2、3年で新しい環境に慣れる。さほどストレスなく日々を過ごせるようになったら慣れたということだ。そしてそれは成長の鈍化を意味する。努力をしようと頑張るより、新しい環境に必死で適応している時の方が人間は伸びる。素振りだけでいける世界には限界がある。ただし、これらは野心がある人用の話であって、幸福感の最大化とは矛盾することもある。
野心のあるものにとって人生は山登りである。山登りにはいろんな手法があり、より自分の好む手法で登るのもいいが、高みに到達したければまずはもっとも高くまで行けそうな手段を使い、高みに登りそこからどう展開できるのかを考えるのもいい。
不思議なもので人間は、今考えていることを、場所を変えても同じように考えているかというと実はそんなことはない。人間の最大の能力は、可塑性であり、適応能力だ。
(この記事は2017年7月8日に為末大HPに掲載されたものです)
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。