北朝鮮の微笑工作 振り返れ「帰国運動」の悲劇
島田洋一(福井県立大学教授)
【まとめ】
・在日朝鮮人の、北朝鮮への「帰国」は偽計による「誘拐」に限りなく近い。
・「帰国運動」には日本の左翼学者やジャーナリストらも相当な役割を果たした。
・前のめりの宥和姿勢を見せる韓国文政権は、急速に北に取り込まれていくだろう。
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北朝鮮が平昌(ピョンチャン)五輪に参加を表明し、美女応援団や管弦楽団を送り込んでくる構えを見せている。ミニスカートとハイヒールの女性プロパガンダ・バンド「牡丹峰(モランボン)楽団」の派遣も持ちかけているという。露骨なイメージ戦略、安手の悩殺工作である。
一方、金沢市の海岸に漂着した木造船の中から、また新たに7人の北朝鮮男性の遺体が見つかったと1月16日各紙が報じた。北朝鮮当局により、危険な冬の日本海での密漁を命じられた人々であろう。死者が相次いでも気にも留めないのが北朝鮮政権の本質である。
美女を押し立てた宣伝工作の顔と、文字通り「死の船出」を強いる強制収容所国家の実態。このギャップに意識的に目をふさぐことがいかに巨大な悲劇を生むか、1959年に始まった在日朝鮮人の「帰国事業」を例に振り返っておきたい。
刑法226条は、「所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、2年以上の有期懲役に処する」と規定している。横田めぐみさんらの拉致は、典型的な「略取」である。一方、在日朝鮮人の北朝鮮への「帰国」は、一応自由意思に基づいているため「略取」には当たらないが、偽計による「誘拐」には限りなく近いと言えよう。
写真)日本を出港する帰還船
出典)パブリックドメイン 日本政府「写真公報(1960年1月15日号)」より
北を「地上の楽園」と宣伝した朝鮮総連による強引な勧誘はまさに「偽計」であった。「帰国運動」には日本の左翼学者やジャーナリストらも相当な役割を果たした。中でも、日本共産党員で運動体の中心人物でもあった寺尾五郎の北朝鮮見聞記『38度線の北』(1959年)の影響力は大きかったといわれる。この本については、菊池嘉晃氏が重要な指摘をしている(『北朝鮮帰国事業』中公新書)。
写真)寺尾五郎著 「38度線の北」表紙
出展)Amazon
写真)北朝鮮帰国事業「壮大な拉致」か「追放」か(中公新書)新書
2009年11月26日 菊池嘉晃(著)
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礼賛本の1つにくくられる同書だが、決して一本調子の記述ではない。「消費生活のいわゆる『文化性』などはおよそゼロである」「たしかに、朝鮮の生活は低いし経済はおくれているし、お義理にもモダンな社会とはいえない」などとマイナス面を指摘した上で、その「低くおくれているといわれる朝鮮が急激に変わってきた。……大変な勢いで疾走を始めている」などと希望を掻き立てる記述を続けるのである。そのため、「どうせ苦労するなら北で」という気分にうまく訴えたという。
もっとも、在日朝鮮人たちが単純に「理想の国作りに参加を」という偽計に引っ掛かったわけではない。まず、約60万人いた在日朝鮮人の内、8割以上は日本にとどまっている。北朝鮮行きを選択した人々においては、次のような複合的事情があったと言われる。
まず、帰国事業開始当初、在日朝鮮人の4割前後が生活保護受給者、すなわち「無職」であった。日本にいても職に就ける展望がないことが、渡航を後押しした大きな理由だったろう(なお、数年後には、北朝鮮当局は、一般人より科学者・技術者などを優先帰国させるよう総連に指示を出している)。
17歳で北に渡り、その後脱出に成功した鄭箕海は、父母の懇願に負けていやいや帰国船に乗ったが、編物学校やパチンコ事業などで一応生計の立っていた長兄の家族は日本に残ったと記している(鄭箕海『帰国船』文春文庫)。
写真)鄭箕海著「帰国船」文春文庫
出典)Amazon
金日成は、職と衣食住、無償医療その他の社会保障および子供の教育機会を繰り返し保証した。誇張はあってもまさか全面的にウソではないだろうと考えた人々の甘さを責めるわけにはいかない。
なお、在日朝鮮人のほとんどは半島南部の出身であった。北は厳密には「故郷」ではない。しかし、韓国の李承晩政権がデモの嵐で倒された(1960年4月)こともあり、遠からず南北が社会主義体制のもとで統一される、いち早く北で足場を築いておけば指導的立場で南入りできると計算した人々もいたらしい。
写真)第1-3代 大韓民国大統領 李承晩氏
出典)パブリックドメイン
写真)韓国の李承晩政権に対するデモ 1960年4月19日
出典)パブリックドメイン 전체
また、韓国で反政府運動に関わったため、追われて日本に密入国し、南への強制送還を恐れて北に渡った例もあったという。北の凄惨な実状が伝わり始め、帰国希望者が減って以降は、朝鮮総連の中央・地方幹部が範を示すため、身内を帰国させるケースも増えた。その中には朝鮮総連議長・韓徳銖の娘のように、特権階級入りできた例も少数ながらあったが、多くは事実上人質となり、在日家族はますます北朝鮮当局の言いなりとなっていった。
写真)帰還手続きをする在日朝鮮人
出典)パブリックドメイン: 日本政府「写真公報(1959年10月15日号)」より
北への渡航者には約1800人の日本人妻も含まれていた。帰国事業の開始当時、在日コリアン世帯の約2割に日本人妻がいたという。多くの場合、女性の家族は結婚に反対、いわんや北への移住には強く反対した。しかし総連幹部らの「3年もすれば日本に里帰りできる」という言葉に騙され、不安を抱きながらも船に乗ったケースが多かったと言われる。
帰国者たちは、総連最高幹部の親族を除き、塗炭の苦しみを味わうことになった。真面目で正義感の強い人ほど、不条理に抗議し、そのことで凄まじい迫害に晒された。強制収容所で虐待死ないし処刑された人も多いと伝えられる。
いまミニスカートで訓練された笑顔を振りまく美女軍団のそれぞれにも、背後にどのような悲劇があるか分からない。その悲劇の度合いは想像を絶するレベルのものであり得る。
写真)牡丹峰楽団(モランボン楽団)
出典)flickr:Son Junhoe
露骨に前のめりの宥和姿勢を見せ始めた文在寅政権の幹部にそのことへの感受性があるとは思えない。南は急速に、そして進んで北に取り込まれていくだろう。
トップ写真)牡丹峰楽団(モランボン楽団)
出典)flickr:Son Junhoe
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この記事を書いた人
島田洋一福井県立大学教授
福井県立大学教授、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。月刊正論に「アメリカの深層」、月刊WILLに「天下の大道」連載中。産経新聞「正論」執筆メンバー。