米安保エリートの危うい北朝鮮論
島田洋一(福井県立大学教授)
「島田洋一の国際政治力」
【まとめ】
・北朝鮮に対する「最悪の妥協」の1シナリオとして挙げられるのは、ロバート・ゲイツ氏の議論が実現した場合。
・彼は北朝鮮が「10数発から20数発まで」の核兵器を保有することを認め、北朝鮮を国家承認し平和条約締結の準備に入り、在韓米軍の再編成も行う。見返りとして北朝鮮はミサイルを「非常に短い射程」のものに留めると約束する。
・米国に届く長距離核ミサイルは認めないが、日本や韓国に届く核ミサイルは認める点で露骨に宥和的かつ「アメリカ第一主義」的な取引案。
ウクライナと台湾に国際的関心が集まる中、北朝鮮が忘れられがちとなっている。しかし北が核実験に踏み切った場合、一気に半島危機の再燃となりかねない。
バイデン政権はどう出るか。はっきり言って不分明である。日本としては、最悪の展開も念頭に、早め早めに米側に釘を刺していかねばならない。以下、「最悪の妥協」の1シナリオを提示しておこう。
共和党政権でCIA長官、国防長官、さらに民主党オバマ政権でも国防長官を務めた(その間、副大統領バイデンと同僚の関係にあった)ロバート・ゲイツの議論である。
ゲイツが回顧録に記した「ジョー(バイデン)は過去40年間、ほとんどあらゆる主要な外交安保政策について判断を誤ってきた」との発言はよく知られている。
しかし実は、ゲイツの判断力もあまり当てにならない。
数年前、ウォールストリート・ジャーナル紙(以下WSJ)に掲載されたゲイツの対北政策論を見てみよう(2017年7月10日)。
ゲイツにインタビューを行い記事にまとめたジェラルド・シーブ同紙ワシントン支局長は、冒頭、「いずれも不完全な対北オプションの中で、最も希望を持てるものは何か。この問いに答えるに、過去半世紀を通じて最も安全保障分野での要職経験が豊かなゲイツ氏以上の適任者はまず見当たらない」と持ち上げている。
ゲイツ(1943年生)は、CIAの分析部門で約26年を過ごし、副長官まで内部昇進した上で、ブッシュ父政権時にCIA長官に就任した。良くも悪くも米情報機関の主流派エリートを代表する人物である。
その後、ブッシュ長男政権の後半からオバマ政権の前半にかけて、継続して国防長官を務めた。すなわち、共和、民主にまたがる穏健派勢力一般から安保政策通として評価されてきたと言える。
さて、インタビューでゲイツはまず、朝鮮半島における全面戦争の危険と破壊の大きさを考えれば、軍事力行使は選択肢とならないと指摘する。そして「新たなアプローチ」として、中国に次の提案を行うべきだと言う。
まず、アメリカは北朝鮮が「10数発から20数発まで(no more than a dozen or two dozen)」の核兵器を保有することを認める。その上で、北を国家承認し、平和条約締結の準備に入る。在韓米軍の再編成も行う。
見返りとして北朝鮮側は、核兵器運搬システム(ミサイル)を「非常に短い射程」のものに留めると約束する。そして合意事項が守られているか、中国が責任を持って査察を行う。
「非常に短い射程」のミサイルといえば、朝鮮半島内に限定された戦術核のみとも聞こえるが、ゲイツは同時に「現状の凍結」を説いてもいる。
北が実戦配備済みの中距離ミサイル(ノドン等)を進んで廃棄するはずがない。結局、アメリカに届く長距離核ミサイルは認めないが、日本や韓国に届く核ミサイルは20発程度まで認める(両国を広範囲に廃墟とするに十分な量だろう)という露骨に宥和的かつ「アメリカ第一主義」的な取引案と言える。
ゲイツは、中国がこの提案を受け入れない場合、アメリカは厳しい対中措置に出ると明確にせねばならないという。その中身は、アジアにミサイル防衛網を敷き、太平洋艦隊を増強し、北が発射した大陸間弾道弾と思えるものはすべて撃墜する、というものである。「中国は、これらすべての措置が自らに敵対的であると理解するだろう。対処しようとすれば、何十億ドルという軍事コストが掛かることになる」。
ゲイツはこう胸を張るが、中国にとって別段ショッキングな話ではないだろう。
中国が受け入れなければ、要するに現状が続くわけだが、より重大なのは、北と中国がこのゲイツ案を受け入れた場合である。日本にとって、ゲイツ提案は論外以外の何物でもない。
しかし、インタビューをまとめたWSJ紙の有力記者は、ゲイツの案は外交アプローチとして比較的「賢明」だと評価している。
▲写真 ワイオミング高校で行われたオットー・ウォームビア青年の葬儀。家族らに見送られて出棺する様子(2017年6月22日、オハイオ州・ワイオミング) 出典:Photo by Bill Pugliano/Getty Images
このインタビューは、北で虐待されたオットー・ウォームビア青年の死(6月19日)からあまり日が経たない時期に行われた。にも拘わらず、人権に一言の言及もない点も、アメリカの主流派外交エリートの危うい感覚を示すものと言えよう。
トップ写真:マンハッタンのトランプタワーに入る、引退したマイケル・フリン中将(左)と元国防長官のロバート・ゲイツ氏(右)。2016年12月1日 ニューヨーク市・マンハッタン 出典:Photo by Drew Angerer/Getty Images
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この記事を書いた人
島田洋一福井県立大学教授
福井県立大学教授、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。月刊正論に「アメリカの深層」、月刊WILLに「天下の大道」連載中。産経新聞「正論」執筆メンバー。