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.国際  投稿日:2018/10/16

ロイター記者実刑に元軍高官異議 スー・チー氏に試練


 

大塚智彦(Pan Asia News 記者)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・ロヒンギャ虐殺取材のロイター記者実刑判決に元軍高官が異議。

・国軍勢力などの圧力の中、スー・チー氏は国政の舵取りに腐心。

・民主化の旗手さえ、表現の自由に理解を示せないミャンマーの現状。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=42475でお読みください。】

 

ミャンマーの元情報相で軍高官でもあった人物が、ロイター通信のミャンマー人記者2人に対してインセイン郡区裁判所が下した禁固7年の実刑判決に異を唱え、裁判のやり直しを求めていることが明らかになった。

この裁判では「司法の判断である」として介入を避けているアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相だが、国際社会からは「不当裁判だ」「報道の自由を侵す判決だ」などと手厳しい批判を招き、孤立を深めている。

それだけにこのタイミングで政治的影響力が大きく、スー・チーさん自身も指導力を十分発揮できないとされる軍の元中佐で、2014年から2016年まで情報相を務めたイェ・トゥッ氏の司法への注文は、大きな波紋を広げている。

▲写真 ミャンマー元陸軍中佐・元情報相のイェ・トゥッ氏 出典:VOA

ロイター記者の裁判は、西部ラカイン州の少数イスラム教徒ロヒンギャ族に対するミャンマー国軍兵士による虐殺事件を取材していたロイターのワ・ロン記者とチョー・ソウ・ウー記者国家機密情報法違反の容疑で逮捕され、7月9日に起訴された裁判で9月3日に禁固7年の実刑判決が下されたものである。

▲写真 ロヒンギャ難民(2013年9月24日 Rakhine State, Myanmar/Burma)。ロイターの2記者はロヒンギャ虐殺族虐殺事件を取材していた。出典:flicr(Mathias Eick, EU/ECHO)

事件は2017年12月12日に2記者が警察官から「重要な書類を渡す」と呼び出されて、書類を受け取った直後に警察官に呼び止められて、所持していた書類が国家機密に関するものだとしてその場で逮捕されたものだ。

 

■ 警察官の内部告発も裁判で採用されず

この裁判では4月20日の予審段階で検察側の証人として出廷した現職警察官、モーヤンナイン警部が「2人の記者の逮捕は警察が仕組んだものである。2人に書類を渡した後逮捕するように警察幹部から命令された。逮捕しないと刑務所にお前が行くことになると脅された」などと衝撃的な証言を行ったことで注目を浴びた。この証言について裁判所は5月2日に「信用に値する」との判断を示したことから2記者が無罪となる可能性が高くなったとみられた。

しかし、この警部の証言は最終的には証拠として採用されず、証言したモーヤンナイン警部自身も警察に身柄を拘束され、その後の消息は分かっていない。

裁判の過程で判決に至るまでの間に、何らかの政治的関与があったのは間違いないとの見方が現地では有力視されているが、さらなる弾圧を恐れて批判する声はこれまでミャンマー国内ではなかった。

 

■ 元軍人で元閣僚の発言の影響力

イェ氏はロイター記者2人への実刑判決への国際社会の批判が高まる中、10月初めに「警察官の(逮捕はでっち上げという)証言で何かがおかしいことに誰もが気づいた。この事件は根本からしておかしい。しかし、それを裁判官は正さなかった。判決は不適切であり陰謀に基づくものだったといえる」と断罪して、裁判のやり直し、再審を強く求めたのだった。

イェ氏はテイン・セイン政権時代に報道官や情報相を務めた元陸軍中佐。現在のスー・チー政権とは直接関係はないものの、2記者の裁判に関してスー・チーさんが「多くの人が判決文を読んだかどうかは疑問だ。この裁判は表現の自由とは全く無関係の問題で、国家機密に関する裁判だ」との立場を示しているだけに、スー・チーさんの立場とは異なる見解として大きく注目される結果となっているのだ。

スー・チーさんはさらに「法に従えば控訴することもできるのだ」とも述べている。事実2記者の弁護士は控訴する方向で現在検討を進めているという。

 

■ スー・チーさんが恐れるもの

民主化運動の旗手として軍政と闘い、返上を求める声が高まっているとはいえ、ノーベル平和賞を受賞したスー・チーさんが民主化や表現の自由、報道の自由といった価値観に理解を示しているとは言えないのがミャンマーの現状である。

こうした状況についてイェ氏は9月に「ラジオ・フリー・アジア」とのインタビューの中で「現在与党の国民民主連盟(NLD)はメディアや人権組織などによる政権批判、特に指導者のスー・チーさんへの批判によるダメージを気にしており、2020年に迎える総選挙への影響に配慮している結果であろう」との見解を示している。

▲写真 ロヒンギャ難民への適切な対応を求める集会。「スー・チー氏からカナダの名誉市民称号をはく奪するよう」求めるプラカードも見られる。(2018年8月25日 カナダ・オタワ)出典:Mike Gifford flicr

ノーベル平和賞受賞者としてスー・チーさんに欧米諸国などから与えられえた「名誉市民」などの取り消しが相次いでいるが、スー・チーさん自身は特に気にしていることはないという。それよりも国会に4分の一の議席を有し、政権への大きな影響力を残しているという国軍勢力、さらに支持母体でもある仏教徒組織などからの有形無形のプレッシャーの中でいかに「民主政権」として国政の舵取りをするかに頭を悩ませているといわれている。

ロイター記者裁判のような「表現の自由」「報道の自由」に関わる問題はまさに頭の痛い、そして覚悟が問われる問題として重くスー・チーさんにのしかかっており、正念場を迎えていることは間違いない。

トップ画像:アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相(2018年9月13日 ベトナム・ハノイ)出典 World Economic Forum on ASEAN 2018(flicr)


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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