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.国際  投稿日:2020/8/23

スー・チー氏、軍司令官と責任応酬


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・スー・チー氏と軍司令官が武装組織との和平で責任論の応酬。

・「総選挙へのポーズ」「真の民主主義への希求」などの観測も。

・スー・チー氏にも民衆の不満。氏の真の狙いは?選挙後に注目。

 

ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相と国軍トップのミン・アウン・フライン国軍総司令官とが反政府武装闘争を続けるミャンマー国内の少数民族を巡る問題で未だに全ての組織との和平解決の道筋がみえてこない現状に関して、お互いに責任を相手に押し付けるような発言をしていたことが明らかになった。

責任論の応酬は11月8日に予定される総選挙の投票に向けたスー・チー顧問の政治的なポーズに過ぎないとの見方もある一方で、政権の安定的運営に不可欠な軍の協力を得るために軍部に妥協してきたスー・チー顧問が決断した「軍への抵抗で真の民主主義実現を目指す」ための第一歩との肯定的な見方あるなど、観測が飛んでいる。

首都ネピドーで19日に開催された「21世紀パンロン会議第4回会合」の開会式でスー・チー顧問は、政府軍と依然として緊張状態、あるいは戦闘状態にある少数民族の組織や和平に前向きな組織など国内の少数民族組織との関係について「これまでのような軍による武力行使に頼った解決策では全面的な和平進展は難しい」として軍による武力行使や対立を煽るような作戦の停止を求めた。

ミャンマーの少数民族との和平交渉は、2015年の総選挙で自ら率いる「国民民主連盟(NLD)」が過半数を確保して実質的な国家指導者として政権を掌握して以来、スー・チー顧問が掲げる最重要課題の一つとして進めてきた政策だ。

しかし、何度か和解交渉のテーブルにつき、一部組織とは期間限定の停戦が実現しながらも交渉条件の不一致や軍による完全停戦の不履行、武装組織側の武装解除拒否など様々な理由で全ての組織との全面的な和解が実現には至っていない現状がある。

そうした現状への不満からスー・チー顧問は「こうした軍や武力を持つ者、組織だけが成功し尊敬を集めるような考え方は、平和への義務を果たし、平和を永続的なものにするためにも終わりにしなくてはならない」と強調して軍の現在のやり方に不信感を示した。

 

■  軍司令官は軍の役割強調

19日からの会合には政府関係者、議員、10の少数民族組織のメンバー、NGO活動家ら約230人が参加した。スー・チー顧問の軍への注文をつけるような提案に対して、同じく演説したミン・アウン・フライン司令官は1962年から2015年までの間、国を統治し国防、国境警備などに軍は大きな役割を果たしてきた」と直接的な反論を微妙に避けながらも軍の存在意義と役割を強調した。

そして現在の少数民族組織との関係については「武力衝突は少数民族側が起こしていることであり、政府に反対しているのも彼らである。そして歴史を客観的にみれば軍が歴代政権を保護してきたことは明らかだ」と指摘して、現在の状況の責任を少数民族側に押し付けた。

その上で1950年代の概念やイデオロギーに基づいて現在の和平プロセスを進めることは不適切だ」と指摘、具体的には言及しなかったものの、完全な和平実現には武装勢力側とともに政府側にも発想の転換が必要だという立場を示してスー・チー顧問への反論を試みた。

▲写真 ミャンマーのミン・アウン・フライン国軍総司令官(右)、左は茂木外相(2019年10月9日 東京) 出典:外務省ホームページ

■  「国軍は和平を望まず」の見方も

11月8日に投票が行われる総選挙では連邦議会上院(定数224議席)と下院(同440議席)の議席が争われるが、上下院ともそれぞれの議席の25%は軍人に割り当てられることになっており、実質的に有権者の投票で争われるのは上院の168議席と下院の330議席、合わせて498議席となる。

このように議会に特権的に議席を有して一定の政治的影響力、発言力を維持している軍が民主化運動のシンボル、旗手として軍政打倒を掲げて国民の圧倒的支持を背景に政権を担うことになったスー・チー顧問にとっては「目の上のたんこぶ」あるいは「喉に刺さったトゲ」として自由な政権運営の「障害」になっている、との指摘は根強い。

そうした指摘の背景には、軍がその存在感を誇示するために少数民族武装組織との緊張関係、対立関係の継続は不可欠であるとして、あえて「社会不安を煽り、それに対処する道を選択しており、軍は和平を実は望んでいない」とミャンマー民主化組織や人権擁護団体の間では以前から分析されている。

 

■  ロヒンギャ族問題解決を複雑化する軍

ミャンマーには北部カチン州やシャン州に最大組織といわれる「カチン独立軍(KIA)」や「ワ州連合軍(UWSA)」などが存在し、これまでの和平プロセスには「軍が信用できない」として参加拒否や極めて消極的な姿勢、武装解除拒否などの立場を取り続け、各地で軍との緊張関係が現在も続いている。

また、西部ラカイン州に多い少数イスラム教徒であるラカイン族の問題についても、武装組織である「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」の掃討作戦としてラカイン族の集落放火、略奪、婦女暴行、拷問そして虐殺とはなはだしい人権侵害事件を軍は繰り返し、国連や国際社会から「軍主導の民族浄化作戦」と厳しい批判を受けていることは記憶に新しい。

さらにラカイン州では仏教徒ロヒンギャ族の抵抗組織「アラカン軍(AA)」も軍との衝突を激化させており、治安の不安定化は軍の存在価値を高める「効果」を生み出し、隣国バングラデシュに逃れたロヒンギャ族難民約70万人の帰還問題も一向に進展しないなど、解決への道筋が複雑化しているのも事実だ。

▲写真 ロヒンギャ難民キャンプ(2013年2月20日) 出典:flickr; Foreign and Commonwealth Office

■  スー・チー顧問の真の狙いはどこに

こうしたスー・チー顧問とミン・アウン・フライン司令官のある意味での「責任の押し付け合い」という「溝」が公に明らかになることは珍しく、ミャンマー市民の間ではその真意を巡って様々な憶測が乱れ飛ぶ事態になっている。

11月8日の総選挙ではスー・チー顧問率いるNLDが有利で再び過半数を制するとの見方がある一方で、苦戦を予想する声も出始めている。それは民主化運動の旗手として大きな期待を背負いながらもスー・チー顧問が少数民族問題だけでなく、言論や報道の自由への制限、人権問題への消極的な介入などで十分に国民の期待に応えていない、との批判を受けているからだ。

NLDやスー・チー顧問に不満を抱くNLD党員は離党して独自の政党を結成して総選挙に臨む動きをみせるなど、NLD内部の結束にも乱れが生じているのだ。

こうした不満に応えるために、少数民族との和平問題で軍のやり方を批判することにより「軍と一定の距離を保つことで軍の政治的影響力を削ぎたい」との意向がスー・チー顧問にあるのではないかとの見方も出てきている。ただしそれは「単なる総選挙向けのポーズなのか、根本的な方針転換なのか」に関しては現段階では判断が難しく、総選挙の結果とその後の政権運営をみなければわからないというのが大方の見方だ。

ミャンマーの安定的な政権運営には、軍の意向への配慮と同時に圧倒的多数(約88%)を占める仏教徒の強い支持が不可欠といわれている。今回のスー・チー顧問の少数民族問題での軍と距離を置いた姿勢表明がどう総選挙に影響するか、選挙の争点のひとつになるのか、大いに注目されている。

トップ写真:ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相 出典:ミャンマー外務省ホームページ


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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