三人三様 元横綱の話 スポーツの秋雑感 その2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・様式美、品格を無視した相撲は単なるデブの取っ組み合い。
・甘やかされた輪島、相撲界改革で提言した形跡のない貴乃花。
・人気があればよいとの発想からの脱却、相撲道の原点回帰が必要。
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大相撲の元横綱・輪島大士(わじま・ひろし。本名は博)氏が亡くなった。享年70。意外に若かったのだな、というのが、報道に接した私がまず感じたことであった。
1948年生まれの輪島氏が、左下手投げを武器に(この技を得意とする力士は大成しない、というジンクスがあったそうだ)台頭してきたのは、私が小学6年生から中学生だった頃で、1973年五月場所の後(私の高校入学直後)に横綱昇進を果たしている。12歳の子供の目には、22歳の青年は立派な大人と映るのだが、実際の年齢差はたかだか10歳だったわけだ。
私の周囲には、輪島ファンを公言する少年も幾人かいたが、私自身は相撲自体にあまり興味がなかった。我ながらひねくれたガキだったので、まあ、この表現はご勘弁いただくとして、「デブが裸で取っ組み合ってるの見て、なにが面白いんだ」などとうそぶいていたのである。
その後、自らが武道を学ぶようになったので、関心を持つようになり、立ち技では恐るべき格闘技であることも理解できたのだが、輪島関はと言えば、1981年に引退して花籠部屋を継ぎ、後進の育成に当たる親方となっていた。つまり、私は「黄金の左」をリアルタイムでは見ていない。
その後の経緯はよく知られる通りで、年寄株(相撲部屋の経営権と思えばよい)を親族の借金の担保にしていたことが発覚し、廃業に追い込まれた。一時期はプロレスもやっていたが、30代も後半になってからの「再入門」で、芽が出なかったようだ。
廃業の経緯について、親しい記者には、親族を助けるためだったから後悔はしていない、などと語ったこともあるが、もともと入門当初から派手な生活ぶりは有名で、要は自分の金でなんとかすることができなかったのである。
年寄株の一件が発覚した際、相撲界のみならず世間一般からも「前代未聞の不祥事」であるとして非難囂々だったが、学生横綱として鳴り物入りで入門した際には、部屋住みでなく日大の寮から「通勤」し、ちゃんこ番も免除するという特別待遇を与え、言わば新卒者をいいように甘やかした相撲界には、なんの責任もないと言うのだろうか。
ちなみに、彼と同じ日大相撲部出身者の中に、悪質タックル問題などで指弾された「例の理事長」がいる。大学時代にどんな教育を受けてきたのか、おおよその察しはつこうというものだ。公平を期すために述べておくと、舞の海、高見盛といった、幅広い層からの支持を集めた力士も日大相撲部出身であるが。
輪島関はまた、入幕後、金色のまわしを着用したりすることも含めて「新時代の関取」などと持ち上げられたが、私に言わせれば、これこそ双方の(つまり着用した側も認めた側も)大いなる勘違いだ。真面目な話、様式美とか力士の品格といったものを無視した相撲など、それこそ単なるデブの取っ組み合いに過ぎないだろう。
▲写真 土俵は神がいる場所とされてきた。 出典:日本相撲協会公式ホームページ
話は変わるが、私が相撲に多少の関心を持つようになったのは、1980年代の終わり頃、英国ロンドンで暮らしていた当時のことである。
当時、千代の富士らが牽引していた相撲人気が、海外にまで伝播していて、BBCが相撲番組を放送していたのだ。日本の国技がどのように扱われるか、という関心の持ち方であった。千代の富士の特集番組が放送された直後、英国各地の若い女性から、「もしや、あのウルフが恋人募集中だということはないでしょうか」という、大真面目な問い合わせの手紙が殺到したことは、語り草になった。
もうひとつ、私が強く印象づけられたのは、大鵬親方(当時)のインタビューで、「心技体とよく言うが、全部揃った人間などいない。いるとしたら神様だ。人間はなにかひとつ足りない。足りないところを努力して補って行くのが、すなわち相撲道」だと語っていた。
▲写真 稽古総見での大鵬(2011年12月23日)出典:Wikipedia
こうした精神が、どうして日本国内でもっと広く発信され、また相撲界の内部で伝承されて行かなかったのかと嘆かわしく思うのは、私だけではあるまい。ただし私は、「さすがBBC!」などと持ち上げるつもりはない。番組そのものは、ふざけたものであった。
いや、ふざけていると言っては、それもそれで語弊があるかも知れないが、千代の富士の「ウルフ」はまあ、日本でも定着した愛称であるとして、三戸泉が「ソルトシェイカー(派手に塩をまく姿から)」、若島津は日本での「南海の黒豹」という渾名からだろうが「ブラックパンサー」などと、プロレスまがいの名前をつけていたのである。英国に相撲人気を定着させるための努力とは、こういうことではないだろう。
その後日本では「若貴ブーム」が起きるわけだが、つい先日、弟の貴乃花親方が相撲界から引退するという報道に接することとなった。言わずと知れた「平成の大横綱」で、たしかに土俵では立派であったが、引退して親方となってからは、どうであったか。
旧弊な理事達からイジメにあったのだと見る向きも多いが、私なりに調べて見た限りでは、最年少の理事という重責を与えられていながら、相撲界の改革という大命題について、具体的な提言をした形跡がないのである。
先代の貴乃花(元大関・貴ノ花)が亡くなった際に、実兄を「花田勝氏」などと呼び、遺産争いが起きていることを示唆しておきながら、その兄(現・花田虎上氏)が、財産は弟にあげる、と明言した途端、口を閉ざしたことを覚えていたので、ファンの方々には申し訳ないが、果たして言われているほどの人格者なのか、などと考えてもいた。
▲写真 貴乃花親方(当時)2014年3月1日 大阪・住吉大社 出典:Ogiyoshisan(flickr)
先日買った『週刊文春』10月18日号で、内閣特別参与の飯島勲氏が、過去にも貴乃花「元」親方に参院選出馬を打診したことがあると明かした上で、「来年夏の参院選に安倍政権の目玉候補として比例代表から出馬する確率は高くなったね」、「こうなったらぜひ政治家に転身し、国技を預かる公益財団法人たる相撲協会の抜本改革に、納得が行くまで突き進んでいただきたいぜ」などと語っているが、脳天気にもほどがあるとは、このことではないか。
と言うより、理事の立場にいた時にできなかった改革を、政治家の立場になったらできるだろうというのは、江戸の敵を長崎で討つよりも見当違いの発想だろう。
人気があればなんでもよい、という発想から脱却することが、相撲界の現状を変えて行く第一歩であり、そのためには、亡き大鵬親方がとなえた「相撲道」の原点に立ち返ることが、なにより必要なのである。
トップ画像:両国国技館 出典:Goki
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。