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.社会  投稿日:2018/11/4

高齢化対策と若き医療者の成長 福島からの発信


上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

・地方でケア施設は大きな雇用先、若い医療関係者の経験の場。

・彼らの活躍に、地域に根付く「プロデューサー」の存在不可欠。

・「廃校がケア施設に」論文は意義あり。情報発信が重要。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=42700でお読みください。】

 

10月29日、福島県田村市を訪問した。福島県石川郡平田村に本拠を置く誠励会グループが開設した特別養護老人ホーム「さくらの里」の開設式に参加するためだ。

さくらの里」は、東日本大震災後に閉校した菅谷小学校の跡地に建てられた(トップ画像)。11月1日オープン予定で、定員は100人だ。佐久間裕施設長は「すでに多くの方に申し込みをいただき、すぐに満床になりそうです」という。

田村市は阿武隈高地の山中の町だ。郡山市から国道288号を福島第一原発に向かって20キロほど進むと到着する。坂上田村麻呂伝説で有名な地域だ。ご多分に漏れず、この地域も2017年高齢化・過疎化が深刻だ。1970年に5万2,926人(合併前の該当する地域を合計)だった人口は3万7,742人(2017年1月現在)まで減少した。一方、高齢化率は33%。田村市は2025年には38%を超えると推計している。

「さくらの里」は、地域にとって貴重な存在となるだろう。同時に多くの労働世代を、この地域に招き入れる。「さくらの里」を開所するにあたり、約50名の介護職や看護職が、この地で働くようになった。

首都圏や関西のような都市部の住民には想像がつかないだろうが、地方都市では医療や介護施設が役所と並ぶ大きな雇用先というのは珍しくない。誠励会グループは、阿武隈高地において、まさにそのような存在だ。

ご縁があって、東日本大震災以降、筆者は誠励会グループとお付き合いしている。佐川文彦理事長は「故郷である福島を何とかしたい」と考え、地元が必要とする医療・介護施設を立ち上げてきた。現在、ひらた中央病院という急性期病院から訪問看護ステーション、介護施設、さらに内部被曝を検査する公益財団法人震災復興支援放射能対策研究所まで手がけている(参考:Business Journal 2015年7月6日)。地元住民は「誠励会のおかげで、地元で医療や介護を受けることができる」という。

誠励会グループのような存在は、我々にとっても有り難い。医師や看護師が一人前になるには、診療と臨床研究が必要だ。現場で経験を積んで、自分の頭で考え、論文として発表することを繰り返す。

高齢化社会で、どのように医療や介護を提供するかは世界共通の課題だ。福島県の阿武隈高地で起こっていることは、数十年後に東京は勿論、他の先進国でも起こる。特に深刻なのは中国だ

今年3月、上海市民政局などは2017年末時点での上海戸籍人口のうち60歳以上が占めるのは33.2%と発表した。対前年比で1.6%増だ。周辺地域から若年人口が流入しているため、福島と同列に議論することは出来ないが、一人っ子政策を続けてきた中国が急速な高齢化に直面していることは間違いない。日本の高齢化問題に中国人の研究者は大きな関心を抱いており、我々も上海の復旦大学などと共同研究を進めている。

高齢化対策は、若き医師や看護師にとって、最大の課題といっていい。下品な言い方だが、今後の成長が期待出来る領域だ。問題は、どうやって高齢化対策に立ち向かうかだ。

従来、若き医師や看護師は都市部の大病院に勤めて、高度医療を学んだ。かつて、患者の多くは50~70代だった。面倒をみなければならない未成年の子ども、あるいは年老いた親がいて、彼らを残して死ぬ訳にはいかなかった。少しでも長生きするため、自ら病院を受診し、手術などの侵襲的治療を希望した。医師や看護師は、病院で待っていればよかった。

ところが、最近は違う。患者の多くは8090代。単なる延命は望まない。住み慣れた我が家で、家族と過ごしながら、闘病したいと考える。彼らをケアしようと思えば、医師や患者が現場に出かけなければならない。普段、付き合うことがない病院職員以外の地域住民とも付き合わねばならない。

こうなると、経験が浅い彼らにはどうしていいかわからなくなる。彼らが活躍するには、地域に根付いた「プロデューサー」の存在が欠かせない。誠励会グループは、まさにそのような役割を担っている。私は、将来有望な若手医師や看護師を誠励会グループに紹介している。彼らの活躍の一部をご紹介しよう。

▲写真1 西川佳孝医師。誠励会グループのひらた中央病院(福島県石川郡平田村)で。©上昌広

10月11日、西川佳孝(写真2)、坪倉正治医師らの共著の論文が“Disaster Medicine and Public Health Preparedness”誌(DMPHP)に掲載された。2人は誠励会グループの非常勤医師で、同グループが経営する「サテライト大久田リハビリテーション・ケアセンター」が、閉校した地元の学校を介護施設に転用した経緯をまとめたものだ(写真2)。

▲写真2 廃校となった旧古殿町立大久田小学校が介護施設に生まれ変わった「サテライト大久田リハビリテーション・ケアセンター」。提供:矢内康彦氏

論文は、掲載された雑誌のインパクトファクターで評価されることが多い。2017年のDMPHPのインパクトファクターは1.22で、三流誌だ。ただ、私はこの論文を誇りに思う。それは、この論文が医学的な価値は兎も角、社会的に意味があるからだ。

西川医師たちの記録は具体的かつ詳細だ。例えば、「学校と長期ケア施設は、グループ生活の点で同様の特徴を共有しているため、施設に最小限の変更を加えるだけいい」と述べる。そして、「音楽教室と図書館をリハビリ室に改装し(写真3)、大きなホールをレクリエーションスペースに、教師の部屋をスタッフ室にし、各教室を2つの住居に分けた。廊下に手すりを設置し、新しい住民の安全のためにバスルームを広げた」と具体例を挙げる。

サテライト大久田リハビリテーション・ケアセンターは2012年に開設され、定員は29人だ。2014年には外来リハビリが始まり、2017年12月現在、18人の外来患者が利用している。

▲写真3 音楽教室と図書館を改装したリハビリ室。提供:矢内康彦氏

少子高齢化が進むわが国で、学校から介護施設への転用は続くだろう。この記録は関係者の参考になる。

この論文は、誠励会グループは勿論、地元住民の協力なしではあり得ない。私は、このような論文を発表したときには、ご協力いただいた関係者にお礼を述べるとともに、一人でも多くの人に知って貰うために「アフターケア」するように指導している。これは、若手医師がネットワークを形成する上で、有用だ。

まずは、研究成果をフェイスブックやツイッターで報告する。このようなSNSは、自らと交流がある人に直接、情報を提供することが出来る。その中にはすでに信頼関係がある医師や研究者が含まれる。同じような問題意識を持っていれば、コラボレーションは容易だ。

ついで、メディアへの報告だ。福島の研究の場合、地元紙である福島民友、福島民報、さらに全国紙の福島担当記者に情報をいれる。長期にわたり活動していれば、顔見知りであり、メールやフェイスブックメッセンジャーで送るだけでいい。日本語の解説文を作成しておけば、多くの場合、何らかの記事として、地元の人に伝えてくれる。ウェブにも上がるため、福島や高齢者問題に関心がある人は、全国どこにいようとも、グーグルアラートなどの手段で記事を知ることになる。

さらに、我々のグループの場合、これまでお付き合いした福島の関係者にメールで情報を配信している。対象は、地元の教師からマスコミ関係者、ビジネスマン、政治家まで幅広い。情報を送ると、「是非、紹介して欲しい」と連絡が来ることも少なくない。

さらに、海外メディア、欧米や中国の研究者を対象に情報配信リストを作成し、英語で論文の内容を報告することにしている。担当するのは、南相馬市立総合病院に勤務経験があるエジンバラ大学のクレア・レポードさんだ。このような情報配信を通じて、『ロイター』などの通信社、『ネイチャー』などの科学誌の担当者からコンタクトされることもある。彼らからは「現場の情報をダイレクトに知ることができ有り難い」と言われる。

さらに、私がもっとも重視しているのは、地域の人々に直接伝えることだ。今回のケースなら、誠励会グループの幹部は勿論、サテライト大久田リハビリテーション・ケアセンターの職員に伝える。これは筆頭著者の西川医師が直接やった方がいい。職員は西川医師を信頼して、研究に協力したからだ。このような職員は西川医師にまとめて貰った経緯を、改めて見直すことで、理解が深まることが多い。多くの場合は感謝され、我々との信頼関係も深まる。そして、次のプロジェクトへと進んでいく。

問題は常に現場で起こっている。若き医師や看護師が仲間とともに現場で問題に取り組み、解決していく。情報を発信することで、国内外のネットワークも構築する。現場の地道な作業が若手を成長させる。福島は、そのための格好の場所である。

トップ画像:誠励会グループが開設した特別養護老人ホーム「さくらの里」©誠励会グループ


この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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