英国新聞事情(下)~ロンドンで迎えた平成~その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・英国では昭和天皇逝去のニュースは戦争責任論へと転じられた。
・英国紙の昭和天皇病床時の記事はジャーナリスト・人間としての品格が問われるもの。
・天皇存命中の譲位は「日本国と天皇家の伝統」に良い前例となろう。
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ある年代以上の読者はご記憶のことと思うが、昭和天皇が重篤な病気だという報道が流れてからというもの、日本国内では多くのイベントが自粛された。1988年の忘年会、そして89年の新年会は、大半の企業が見合わせたと記録にある。
そして1989年1月7日、昭和天皇崩御が発表されてからは、TVが追悼番組一色になった。おかげで各地のレンタルビデオ店が大繁盛したと、これまた記録にある。
私は、すでに述べたように、ロンドンで現地発行日本語新聞の仕事をしていたわけだが、この日、午後11時のBBCニュースで、「ジャパニーズエンペラー・ヒロヒト死去」が伝えられ、以降『英国ニュースダイジェスト』編集部の電話は、深夜まで鳴り続けた。
宮内庁の藤森昭一長官が昭和天皇の崩御を発表したのが、東京時間の7日午前7時55分。9時間の時差があるロンドンでは6日夜10時55分のことであったが、5分後にはロンドンでニュースが流れたわけだ。インターネットこそ、まだ普及していなかったものの、高度情報化社会ということは当時から言われていて、たしかに大変な時代に我々は生きていたのである。
第一報は前述のようにBBCニュースで、当時の東京特派員だった、ウィリアム・ホーズレー氏が都内の様子なども織り交ぜて伝えていた。戦争責任問題については、「今でも論争が続いている」と述べるにとどめていたが。
ちなみに同氏は、この時の取材の経験もあったためかどうか、少し後に、お仕着せの情報ばかり流して自由な取材活動を規制する、日本の記者クラブ制度を痛烈に批判し、有名になった。
そして翌朝、新聞各紙が一斉に大見出しで報じたが、日本で最も有名な新聞であろう『タイムズ』紙は、一面トップではなく二番目の扱いだった。トップは、当時カダフィ大佐が率いていたリビアにおいて、化学兵器の開発に成功した形跡ありとする記事で、やはり特ダネに軍配が上がったということなのだろう。
昭和天皇の戦争責任問題にも触れているが、案の定、なかなか辛辣であった。「2700年間絶えたことがないと日本人が自慢する、王家の134代目ヒロヒトは、一度は世界で最も憎まれた人物となった。第2次世界大戦終結後、戦争犯罪人として訴追される一歩手前のところで、連合軍司令官ダグラス・マッカーサー将軍によって、再出発のチャンスを与えられた」前回紹介した『サン』に至っては、「第2次大戦に従軍した元軍人達は、彼の死を祝った」とまで書いた。
▲写真 第二次世界大戦中のイギリスで編成された民兵組織「ホームガード」の兵士 出典:元Wikipedia; Duncanogi
他にも『インディペンデント』紙は、戦争責任問題に直接言及はしていなかったものの、有名な「終戦の詔勅」の英語訳を掲載した。さらには複数のメディアが、終戦直後に英国はじめノルウェーやオランダなどヨーロッパの王家が、占領軍総司令部(GHQ)に対して昭和天皇の助命嘆願を行った、と報じてもいる。
とどのつまり、昭和天皇には戦争責任があった、という点では、英国のジャーナリストの「歴史観」は、おおむね一致しているものと考えられる。
私自身も、戦争責任ありやなしや、という論点に限れば、それは間違いなくある、という考えだし、色々な場所でそう公言してきた。たしかに、大日本帝国憲法というものが、矛盾した理念の上に成り立っていて、一方ではありとあらゆる権限が天皇に集中していながら、他方では権限の行使には内閣の補弼が必要とされ、拒否権が明記されていない。つまり、天皇機関説の立場に立って、直接の責任は問えないとする主張も、理解できる。
とは言え、あの戦争に際して「開戦の詔勅」「終戦の詔勅」が、いずれも昭和天皇の名において出されたことはまぎれもない事実なのであり、こうした「立場に伴う責任」は免れ得ないと、私は考える。
ならば英国のメディアと同じではないのかと言われそうだが、それは違う。昭和が終わらんとするまさにその時に、戦争責任問題を書きたてるという姿勢には、まったく同調するつもりはない。
彼らが問題にしたのは、大戦中に東南アジアおよびインド亜大陸で、多くの英軍兵士が命を落としたり、捕虜となった者は虐待を受けた、という事なのだが、そもそもどうして英軍がアジアにいて、そこでなにをしていたのか、という視点がまったく欠落しているからである。ましてや『サン』のごとく、瀕死の病人を罵倒する行為は、ジャーナリストの資質以前に、人間としての品格にもとるのではないか。
……このようにして、ロンドンでも昭和が終わり、平成という新元号も発表されたわけだが、その平成も、間もなく終わる。今上天皇が、即位に際して、「皆さんとともに日本国憲法を守り……」と述べたことを、どれだけの人が覚えているか知らぬが(政権幹部は、まったく忘れているか、無視しているらしい)、この30年間、少なくとも平和国家の立場は保たれた。
▲写真 平成天皇 明仁様(2009年カナダにて)出典:Wikimedia Commons; Shawnc
だからこそ、どこの国民とも、その地位についての論争などしないですむ。私見ながら、退位=存命中の譲位という形で新時代を迎えることに、憲法上の疑念なしとはしないが、と言って天皇の地位が終生のものとする規定があるわけでもなく、なにより、国民の多くが「ご高齢なのだから」と天皇の決断を支持した事実は動かない。
したがって、昭和が終わった時のように、イベントが一斉に自粛されるということもなく、祝賀ムードに包まれた新時代がやってくるに違いない。国際世論も、また後世の日本の歴史家も、「日本国と天皇家の伝統に、よき前例を残した」と評価するのではないだろうか。
トップ写真:昭和天皇御前の大本営会議の様子(1943年4月29日付朝日新聞掲載)出典:Wikipedia
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。