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.国際  投稿日:2019/2/28

バブル時代の歩き方(中)~ロンドンで迎えた平成~その2


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・80年代の海外赴任は「第2時15年戦争」と表されるほどのプレッシャー。

・実体経済と一致しない大型景気(バブル)を自分たちの実力だと勘違い。

・バブル期のロンドン駐在員は「勲章をぶら下げた進駐軍」。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全部表示されないことがあります。その場合、Japan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=44386でお読みください。】

 

日本航空に勤務した経験のある故・深田祐介が、高度経済成長時代を振り返ったエッセイの中で、自分たち日本人サラリーマンは「第2次15年戦争」を戦ってきたのではないだろうか、と述べたことがある。

海外駐在員が羽田空港(当時)を発つ際など、同僚たちが集まってロビーで万歳三唱することが珍しくなく、まさしく出征兵士を見送る姿であったのだという。歌手の矢沢永吉は、米国の音楽シーンで日本人が成功することの難しさについてTVで回想した際、「商社とか自動車メーカーの人たちは、ほんと偉いわ」などと述べた。

当初「オモチャじゃないのか」などと嘲笑された日本製の小型車が、ついには米国のハイウェイを埋めつくさんばかりになったことを引き合いに出しての表現である。どちらも、1980年代にロンドンで暮らした経験のある私には、なんとなく「思い当たるフシがある」表現だ。

まず後者について述べると、1970年代初頭からロンドンで暮らしている日本人男性から、彼が渡英した当初など、ロンドンの街頭で日本車を見かけたら感激したものだ、という証言を得ている。

▲写真 Nissan Laurel London(1980年)出典:Wikipedia; Charles01

今やヒースロー空港からロンドン中心部まで、賭けてもよいが日本車を見かけずに走り抜けるのは不可能だ。1980年代には、すでにそうであった。

前者については、韓国人ビジネスマンの姿を通じての伝聞ということになる。1980年代になると、ロンドンの随所で、カラオケを備えた日本人向けの飲食店が増えたのだが、そこに韓国人ビジネスマンもよく来るようになった。

彼らの飲みっぷり、騒ぎっぷりがなかなかすごく、最後は決まって、日本でもヒットした『釜山港に帰れ』という歌の大合唱になるのだが、そんなシーンを見て、たまたま一緒に飲んだベテラン商社マン氏が、決してヒンシュクという風情ではなしに、「あれは、20年前の僕たちの姿だよ」

と語ったことを、今でも覚えている。

つまりは1960年代の話になるわけだが、当時の英国は、80年代との比較で言っても対日感情がまだまだ悪く、そんな中で、下手な英語をなんとか操りながら日本製品の販路を開拓しようというのは、生半可なプレッシャーではなかった

そのような中、たまに日本人が集まっての宴会となると、まさしく日頃の鬱憤晴らしで、飲めや歌えやの大騒ぎになったものだという。そして1980年代末期の、バブル景気を迎えることとなる。もう少し具体的に述べると、1986年12月から1991年2月までが「バブル期」と定義される。この51ヶ月間に、株価と不動産価格の大幅な上昇が見られ、それによる資産価値の増大を背景とした大型景気が続いた

この呼称自体、1990年代になってから人口に膾炙するようになったらしいが、それは皮肉にも「バブル崩壊」と言われたのが始まりであるという。

別の言い方をすれば、バブル景気のまっただ中にいた当時は、これがバブルだと感じる人がほとんどいなかったことになる。

実はここに、大いなる問題があった。

不動産取引や株の売買というものは、当事者間での資金の移動があるだけで、それ自体がなにかを生産するわけでもなければ、多くの人を楽しませることもない。主として投機マネーによって、理論値(ファンダメンタルズ価格)とまるで一致しない資産価値の高騰が起きることを、経済学ではバブルと定義する。

ひらたく言えば、目に見える財物の裏付けがない帳簿上の好景気が到来したのであって、Bubble(泡沫)とは言い得て妙であった。

ただしこれは、繰り返しになるのだが、バブル崩壊後に皆が初めて気づいたことで、実体経済と一致しない大型景気を、自分たちの働きによるものと勘違いした人が大勢いたのである。

あくまでも伝聞であることを明記しておくが、1990年のロンドンで、まだ30代の日本人証券マンが、「100億円くらいなら、どぶに捨てたって構わないんですよ」と言い放ったことがあるそうだ。当時、大手証券会社の年間利益がトヨタのそれを上回った、という背景があってのことだと思われるが、「貴様の生涯賃金はいくらだ」とツッコミを入れる人はいなかったのだろうか。

金額的には、これよりかなり小さな話になるが、バブル崩壊後に名門と言われた証券会社が破綻して、社長が涙ながらに、「悪いのは私です。社員は悪くありません」とTVカメラの前で謝罪したことがある。あまり同情の余地もなかったが、同時に、(社員も、悪くないとは言えないだろう)

と私は思った。

ロンドン支店にまでわざわざ社員食堂を作り、それも、ロンドンでは最古参と言われた日本レストランの板長をヘッドハンティングし、鰻重など食べていたのはどこの誰だ、という話である。余談だが、証券業界では「うなぎ登り」に通じるとして、縁起のよい食べ物とされていると聞く。さらにどうでもよいことだが、シェイクスピアの故郷である、イングランド中部のエイボン川流域は、天然鰻の産地だ。

▲写真 エイボン川 出典:pixabay; InspiredImages

ロンドン支店でこれだから、日本国内で彼らが見せた成金趣味たるや、推して知るべし、ではあるまいか。

とどのつまり、バブル期の日本人ビジネスマンというのは、高度経済成長時代の「成功体験」を背景に、どう考えても思い上がっていた。私自身も、ロンドンの日系企業で働く駐在員について、「彼らは今や、敵前上陸を敢行する尖兵ではなく、勲章をぶら下げた進駐軍なのだ」と評したことがあるのだが、冒頭で引用した深田祐介のエッセイについては(言わんとするところは、もっともだと思いつつも)、少し訂正の余地がありはしないだろうか。

私の目には、高度経済成長時代の日本人ビジネスマンは、司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いた明治の日本軍人の再来で、日露戦争に辛くも勝利したことで「無敵皇軍」などと思い上がった日本軍の末路が、バブル崩壊後の惨状と二重写しに見えてならない

しかしそれでは、バブルの全てが否定されるべきなのかと言われると、私にも、然りとは答えられない部分がある。

次回は、その話を。

(本シリーズ。全3回)

トップ写真:羽田空港を飛び立つJAL Boeing 747-400D 出典:Wikipedia; Uryah


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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