バブル時代の歩き方(上)~ロンドンで迎えた平成~その2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・日本のバブルの波は地球の裏側の英国まで届いていた。
・1983年は1ポンド360円だったが80年代末期には220円になった。
・バブル期は英国にいる筆者ですらその恩恵を受けた。
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『バブルへGO!!』という映画をご存じだろうか。阿部寛演じる経済官僚が、タイムマシンで「あの時代」に乗り込み、バブルを崩壊させた政策にストップをかける、という設定のコメディで、2007年に公開された。
ただ、実際にタイムトラベラーに選ばれたのは広末涼子(以下ヒロスエ)演じるフリーターの女の子で、その理由は「タイムマシンはドラム式」というサブタイトルで暗示されている。ドラム式洗濯機にしか見えない外観で、サイズの制約から、「全長160センチ以下、最大直径80センチ以下の物体しか電送できない」ということで、つまり、ヒロスエのような小柄で細身の女の子でないと無理なのである。今なら、こういう描写自体がセクハラだと言われたかも知れない。余談だが、本物の(?)ヒロスエは161センチあるそうだ。
ともあれ、1990年3月の東京へとタイムスリップしたヒロスエ(役名は田中真弓)は、2007年の感覚では考えられない、バブルの空気を満喫する。当時、六本木のイタリアン・レストランでしか出してなかったというティラミスを一口食べて、「これ、やばーい」と歓声を上げた途端、マネージャーがすっ飛んできて、「なにか問題でも?」と心配顔で尋ねるシーンでは爆笑した。もっとずっと前から、若い女の子がああいう言い方をしていたようなイメージを持っていたのだが、バブルの時代には、まだ広まっていなかったのか。
色々なところで述べてきたが、私は1983年から1993年まで英国ロンドンで暮らしていたので、バブルに沸いた東京の様子を、リアルタイムでは見ていない。ただ、地球の裏側にも、波は打ち寄せてきていた。ひとつの例が、ヒースロー空港のターミナル3である。2015年に、老朽化したターミナル1が閉鎖されるなど、今世紀に入ってから大きく様変わりしているが、1980年代にはターミナル1から3まであった。
就航する航空会社によって出入国に利用するターミナルが異なるのは、どこの空港でも同じだが、当時のヒースローでは、BA(英国航空)と国内線が1、ヨーロッパ、北米、そして当時はソ連だったわけだが、アエロフロートが2,そしてアジア・アフリカの航空会社が3という風に分かれていた。
で、格差がいささかひどかった。ターミナル1には、ちゃんとしたテーブルでお茶やランチ、気が向けばソファに腰を下ろしてビールを一杯、ということができる店がちゃんとあったのに、3はと言えば、プラスチック製の椅子を並べた安っぽいカフェしかなかったのだ。
なので私は、日本から来る友人を出迎えに行った時など、ターミナル3で到着時刻を確認し、地下通路を通ってターミナル1へ行き、そこで時間を潰したりした。飛行機が到着してから乗客がゲートを出るまで、早くても30分近くかかることは、海外旅行の経験者なら誰でもご存じだろう。地下通路を歩きながら、こういうところにも、英国人の人種に対する考え方が表れるんだよなあ、などとよく思ったものだ。
ところが1980年代も終わりに近づいた頃、すなわち日本がバブル景気に突入した頃から、どんどん様変わりしはじめた。大規模なリフォームが行われ、「なんということでしょう。すっかり明るくなったロビーには、お洒落なカフェや、有名デパート〈ハロッズ〉直営の免税店まで開業して……」という具合になったのである。
▲画像 2000年代 ロンドン ヒースロー空港 ターミナル3 出典:Tom Murphy VII
本当のところ、日本のバブルと直接的な関係があるのかどうか、詳しいことまでは分からないのだが、金持ちの観光客が急に増えたことと無関係ではあるまい。
さらに言えば、予兆はあった。1983年に、初めてロンドンで現金10万円を両替した時、270ポンドとちょっとになった。1ポンドが360円ほどで、手数料やらなにやら引かれて、この金額になったのである。この前年、つまり1982年の暮れに、「ポンドが400円を切った」ということで、在英日本人の間で、ひとしきり話題になったと聞いた。
その後、1985年に一時帰国し、86年の春に再び10万円を両替したのだが、この時は330ポンドほどになった。1ポンドが300円近くになっていたのだ。
2年ほどの間に進行した円高のおかげで、私自身はなんの努力もせず、50ポンド以上の利益を得たことになるわけだ。当時、学食では2ポンドでステーキとポテトにありつけたから、決して小さな額ではなかった。
目下、英国はブレグジット=EU離脱問題を抱えているが、そのせいでポンドが下落している。日本人観光客にとっては福音だという話を、どこかで聞いたことはないだろうか。
実際、バブル期の1980年代末期には、ポンドは220円くらいになっていた。当時、私はと言えば、かなり偶然性の高い経緯でもって、ロンドンで現地発行される日本語新聞で働く身となっていたのだが、会社からもらう給料よりも「内職」で日本に原稿を送った方が、実入りがよかったほどである。
当時はまだ、インターネットがさほど普及していない、という事情もあって、海外在住の人間が書く「現地情報」には、高い値段がついていた。『地球の歩き方・ロンドン編』の執筆・編集で中心的な役割を果たしたのが私なのだが、その儲けで中古のジャガーが買えたと言えば、その一端が想像できるであろうか。
そう。地球の裏側を歩いていた私でさえも、バブル景気の恩恵を受けることはできたし、今さらそのことを隠そうとも思わない。まして私の場合、土地を転がしたわけでもなんでもなく、まっとうに働いて得た金なのだから、恥と思うこともない。
では、バブルの一体なにが問題だったのか。ロンドンでの検分を軸に、あらためて考えて行きたいと思う。
(中に続く。全3回)
トップ写真:1980年ころ 英国ロンドン トラファルガー広場 出典:geograph by Helmut Zozmann
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。