素人外交の怖さ 米朝首脳会談
宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)
「宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2019 #10」
2019年3月4-10日
【まとめ】
・米朝首脳会談決裂は北朝鮮の米内政の認識が不十分だったから。
・米韓合同軍事演習規模の縮小で在韓米軍の抑止力は徐々に低下。
・米国内政は下院民主党とトランプ氏との死闘一色となる。
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=44505でお読み下さい。】
先週第二回米朝首脳会談が、遂にと言うべきか、本来あるべき形でと言うべきか、やっぱり決裂した。先週の本コラムで「正直言って首脳会談にはあまり期待していない」とは書いたが、まさかここまで酷い結果になるとは思わなかった。最低の予想を更に下回る最悪の結果に終わったと言えるだろう。これだから素人外交は怖いのだ。
北朝鮮は「非核化」、すなわち北朝鮮が現在保有するものに加え、全ての核兵器・運搬手段を含む開発プログラムそのものを廃棄することについて譲歩することはないだろうと前回書いたが、この考えは今や確信となりつつある。一部本邦専門家は「金正恩は核廃棄を覚悟している」と言うが、それならこんな結果にはならないはずだ。
それにしても気の毒なのは北朝鮮外務省の女性次官・チェソンヒ(崔善姫)女史だ。彼女は数年前筆者が米国のアジア関係団体の訪朝団に紛れ込んで北朝鮮を訪問した際に会った覚えがある。会談決裂の後、異例の北朝鮮外相記者会見に同席していたが、その際の彼女はショックのためか、茫然自失で何か思い詰めたような表情だった。
次回の会合があるかどうかすら不明だが、彼女が責任を取らされる可能性は十分ある。今回の首脳会合決裂の最大の理由は北朝鮮の米国内政に関する認識が不十分だったからだ。トランプ外遊中に行われた下院公聴会でトランプ氏の元個人弁護士マイケル・コーエン氏が爆弾発言を連発し、大統領は政治的窮地に追い込まれた。
▲写真 マイケル・コーエン氏 出典:Flickr; IowaPolitics.com
トランプ氏にとっては、首脳会談の行方よりも、ワシントンでの彼自身の評判の方がはるかに重要だ。それにも拘らず、北朝鮮はサラミを薄く切り過ぎた(十分な譲歩をしなかった)。彼らはコーエン発言により生じたトランプ氏の窮地を過小評価し、従来通り強気でトランプ氏に経済制裁の大幅解除を求めたが、これは結果的に失敗だった。
この辺の詳細については火曜日のJapan Timesにコラムを書いたので、お時間があればご一読願いたい。但し、申し訳ないが、日本語版はないので、念のため。簡単に言えば、交渉決裂は今ではなく、昨年6月12日にシンガポールで起きてもおかしくなかった。逆に言えば、過去8か月の米朝交渉は一体何だったのかということだ。
更に気になることがある。米国防総省は米韓両軍が毎年春に実施する大規模合同軍事演習の規模を縮小し内容を絞り込んだ訓練に変更して実施する方針を決めたと報じられた。国防当局は北朝鮮との緊張緩和に向けた措置の一環というが、トランプ氏はこれで巨額の費用が節約されたと主張する。この人は何も分かっていないのだ。
▲写真 米韓合同軍事演習(2013)出典:Flickr; 대한민국 국군 Republic of Korea Armed Force’s photostream
規模縮小対象は野外機動訓練である「フォールイーグル」と、米軍増援・指揮態勢を点検する演習の「キー・リゾルブ」だそうだ。現在新たな訓練内容の策定を進めているらしいが、こんなことを繰り返していたら、在韓米軍の抑止力というか実戦作戦能力は徐々に低下していき、効果的な米韓統合運用自体もいずれ難しくなるのではないか。
練習をしないで金メダルを取れるオリンピック選手などいないが、同様に訓練をしないで効果的抑止力を維持できる軍隊など存在しないだろう。米国防当局者によれば、こうした方針は米朝首脳会談とは無関係であり、これまで長期間検討されてきたというが、北朝鮮が非核化の定義すら示さない今、一体これに何の効果があるというのか。
〇 アジア
米中の貿易協議が最終段階に入ったと報じられている。米中首脳会談開催は3月27日とも言われるが、先週の米朝決裂を見て今頃中国は戦々恐々だろうと思う。何しろ、中国ではハノイのようなドタキャンは絶対に許されない。国家指導者のメンツが潰れるからだ。しかし、トランプ氏はそんなこと全く意に介さないだろう。
▲写真 トランプ大統領と習近平主席 出典:Flickr; The White House
いずれにせよ今回米中は「合意」を求めており、何らかの「合意」なるものは出来るだろう。問題はそれが内容的に暫定的、限定的、表面的なものに終わる可能性が高いことだ。北朝鮮と同様、中国の貿易政策は中国の国家安全保障と直結しており、前者を変えるということは中国共産党の体制自体を変えることを意味するからだ。
〇 欧州・ロシア、中東
イスラエル首相が苦境に陥っている。4月9日の総選挙を前に、検察当局が汚職容疑で起訴する可能性に直面しているからだ。ネタニヤフは在職13年のベテラン政治家だが、この13年でイスラエル内政は大きく変わった。彼が率いるリクードは昔は極右に近かったが、今や中道右派に近いのだから、時代は変わったものである。
▲写真 ネタニヤフ首相 出典:Flickr; Chatham House
一昔前、イスラエル内政といえば小政党乱立で連立政権作りが難航するパターンが多かったが、これは現在も変わらない。全120議席のクネセット(イスラエル国会)で30議席しかないリクードは、これまで超保守や極右政党との連立で政権を維持してきたが、今回はどうか。こういう時に限って軍事的緊急事態が事態を変えるかもしれない。
〇 南北アメリカ
昨年最後の本コラムで筆者は、「司法省内で捜査活動を制止できても、民主党が多数派となった下院での動きは止められない。これからは下院のあらゆる委員会で、公聴会、召喚状、宣誓証言といった言葉が乱れ飛び、トランプ氏の身内や側近が多数、公開火炙りの刑に服するだろう」と書いた。これが今週遂に始まったようだ。
3月4日、民主党が支配する下院司法委員会はトランプ氏の息子、娘婿、ホワイトハウス、大統領選挙関係者、トランプ関連企業などを含む81の個人と団体につきロシア疑惑、司法妨害、権力乱用から個人的ビジネス活動にいたる大規模な調査を開始すると発表した。関係者には任意の資料提供を求める書簡が発出されるという。
これで駄目なら召喚状が出され、宣誓証言を求める公聴会が延々と、恐らく一年以上、続くことになる。当然これも2020年大統領選キャンペーンの一環だが、状況はますます1972-74年のウォーターゲート事件に似てきた。今週から米国内政は下院民主党とトランプ氏との死闘一色となるだろう。米国有権者はどこまで耐えられるのだろうか。
〇 インド亜大陸
特記事項なし。今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きはキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。
トップ写真:第2回米朝首脳会談 出典:Flickr; The White House
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この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表
1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。
2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。
2006年立命館大学客員教授。
2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。
2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)
言語:英語、中国語、アラビア語。
特技:サックス、ベースギター。
趣味:バンド活動。
各種メディアで評論活動。