米朝首脳会談と拉致問題
島田洋一(福井県立大学教授)
「島田洋一の国際政治力」
【まとめ】
・米朝首脳会談、北朝鮮の要求蹴ったトランプ氏の対応は正しかった。
・トランプ氏が金正恩に直接拉致問題の重要性伝えたこと大いに評価。
・「政治犯の釈放」は、ある体制が真に「改革」に向かったかどうかを判断する指標となる。
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決裂に終わった第2回米朝首脳会談について、米議会は超党派で、北朝鮮の法外な要求を蹴ったトランプ大統領の対応は正しかったと評価している。北の戦略ミスは明らかだろう。
ただし、野党民主党や民主党支持色の強い米主流メディアは、十分な事前調整なく甘い見通しで非人道的な独裁者と会い、いたずらに米国の理念と権威を傷つけたという意味で会談を「失敗」(failure)と形容する姿勢で一致している。
しかし少なくとも日本の立場からすれば、トランプ氏が安易な制裁緩和を拒否し、「経済発展を望むなら日本からの投資が不可欠で、そのためには拉致問題を解決せねばならない」との趣旨を複数回にわたって金正恩に直接伝えてくれたことは大いに評価できる。
民主党が下院の多数を握ったこともあり、トランプ氏は根拠なきロシアゲート疑惑でハラスメントを受け続けている。日本政府は、約束通り拉致問題を取り上げてくれたことに強く感謝する旨を、もっとアメリカ向けに発信すべきではないか。
保守ハードライナーが次々要職を去る中、対北宥和政策に転落していったブッシュ長男政権にあって、最後まで制裁緩和に反対したチェイニー副大統領は、後の回顧録でこう述べている。
▲写真 ディック・チェイニー氏、ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めた 出典:アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁HP
「将来の指導者にとってよいモデルは、ゴルバチョフとの1986年レイキャビク首脳会談におけるロナルド・レーガンのアプローチだ。彼は、得られるものなら何でも得たいと焦るようなことはなかった。ミサイル防衛に関するアメリカの権利で譲歩せず、ソ連側がその点を認めようとしなかった時点で、会談を打ち切った」
一歩一歩妥協する以外にどういう道があるのかという宥和派の反論に対しチェイニーは、「彼らが約束を守るよう主張し続ける」、「守らなければ締め付けを強めるという道を外れないのが答だ」と述べている。正しい発想だろう。
レーガンに、「答は常にシンプルだ。ただその答を揺るぎなく追求していくことが難しい」という言葉がある。チェイニーがここで言うのも同趣旨である。
▲写真 レイキャビク首脳会談(1986年10月11日)出典:ロナルド・レーガン・プレジデンシャル・ライブラリー&ミュージアムHP
なおレーガンは、2日間に亘ったレイキャビック会談で人権問題を明確に取り上げている。
特に2日目午前の、通訳のみを交えた首脳同士1対1の会談では、米ソ両国民間の結婚規制を緩和し、ユダヤ系市民の出国規制も緩和するなどと述べて人権討議を打ち切ろうとしたゴルバチョフに対し、レーガンは人権抑圧の数多の事例と釈放を求める政治犯の具体名を記したリストを手渡し、対応を要求。70分に及ぶ激論となり、結局午前の協議時間の大半が費やされた。
その際レーガンは、「我々の間で何を取り決めようが、人権で顕著な改善が見られなければ、議会が承認しない」と繰り返し強調している。
その場では何の言質も与えなかったゴルバチョフだが、会談決裂から約2か月後に最も著名な民主活動家サハロフ博士の僻地軟禁を解き、以後、次々に政治犯を釈放していった。
ある体制が真に「改革」に向かったか単なる見せかけをはかるメルクマールが政治犯の釈放である(拉致被害者の解放も広い意味でそこに含まれる)。ここにおいて翌1987年の訪米で、ゴルバチョフが、熱烈な歓迎を受ける下地が整ったと言える。
なおこの訪米の際の首脳会談でもレーガンは、再び人権問題を取り上げて更なる措置を求め、ゴルバチョフが「あなたは検察官か。私は被告ではない」と気色ばむ場面も現れている。
レーガンほど強硬執拗ではないにせよ、トランプ氏が、作年のシンガポール、今回のハノイと続けて、直接金正恩に拉致問題解決の重要性を伝えてくれたことの意味は大きい。
後は日本が揺るがず、北に対処していけるかどうかである。
トップ写真:第二回米朝首脳会談は、両首脳・側近によるソーシャルディナーで幕を開けた(2月27日、ハノイ)出典:flickr Photo by The White House
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この記事を書いた人
島田洋一福井県立大学教授
福井県立大学教授、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。月刊正論に「アメリカの深層」、月刊WILLに「天下の大道」連載中。産経新聞「正論」執筆メンバー。