高松丸亀商店街「まちを縮める」(上)
出町譲(経済ジャーナリスト・作家、テレビ朝日報道局勤務)
【まとめ】
・高松丸亀町商店街は商店街をSCに見立て居住者を取り戻した。
・瀬戸大橋の完成で大手スーパーが四国に進出で売上は1/3に減少。
・地権者と危機感を共有し、商店街の再開発を実施。
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全国いたるところで、シャッター街を見かける。かつては賑わっていたのだろう。しかし、大型店が進出し、客が流れる。人口減少が追い打ちをかけ、人通りが途絶える。売れないなら店を閉じる。
まさに今の日本の縮図と言える。時代の流れで、しかたがないと諦めるべきなのか。いやそうではない。危機感を抱き、行動に移せば結果を出せる。それを証明した商店街が香川県高松市の中心街にある。高松丸亀町商店街だ。古川康造は、高松丸亀町振興組合理事長として、再生の旗を振った。
成果となって現れる。売り上げは3倍近く。固定資産税の納税額は、再開発前の9倍となる。「税収の確保」を前面に打ち出した。
しかし、古川は楽観していない。「大型店との戦いは決して甘くはありません。お客さんの支持を失ったら商店街はおしまいです」。商店街全体を大型ショッピングセンターのように見立て、正面突破を図る戦略だ。
香川県は人口100万人を下回っているが、イオンなどの商業施設は5つもある。小さな湖に巨大なクジラが5頭泳いでいる感じだ。商店街はいかにして戦ってきたのか。
私の目に飛び込んできたのは、巨大なガラス張りの円形ドームだった。高さは33メートルだ。およそ9階建てのビルに相当する。日差しが降り注ぎ、明るい。何より驚くのは、平日にもかかわらず、人通りが多い。ドームの下には広場がある。年間200日以上のイベントが行われている。市民、企業、行政に貸し出される。結婚式やファッションショー、さらには立ち飲み会場などイベントが目白押しだ。
ショッピングセンターがそのまま商店街に場所を移したようだ。通りを歩くだけでは見えないが、再開発されたビルのテナントの上には、マンションがある。
つまり、住民が住んでいることが最大の特徴だ。「客を取り戻すのではありません。居住者を取り戻すのです」。それこそが、丸亀町の流儀だ。今では、人でごった返しているが、かつては閑古鳥が鳴いていた。
写真)高松丸亀町振興組合理事長 古川康造氏(右)
出典)著者提供
■ 瀬戸大橋開通の誤算
1988年、高松市はお祝いムードで一色だった。瀬戸大橋が全面開通したからだ。それは、四国の人々にとって悲願だった。
活性化の起爆剤と期待された。当時はバブル経済の絶頂期。商店街の売り上げもピークで、商店街の地価が急騰していた。中心市街地でマンションが乱立する一方で、郊外では住宅開発が行われた。
浮かれたムードだった。しかし、先行きに不安を抱く男がいた。前理事長の鹿庭幸男(故人)だ。古川ら若手に対して「このままだと商店街は10年ももたないぞ」と危機感を露わにした。月日がたつにつれ、鹿庭の予想が現実となる。
瀬戸大橋の完成で、トラックや鉄道を使った物流ルートが確立された。それまでは本州と四国を結ぶのは船だけだった。安定した物流は、大手スーパーにとって絶好の四国進出のチャンスとなった。大規模小売店舗法の規制が緩和されたのも、進出を後押しした。
さらに、多くの人が本州に買い物に出かけるようになり、商店街の売り上げが激減した。いわゆるストロー現象だ。商店街はみるみるうちに衰退した。
商店街の年間売上高はピークの1990年には300億円あったが、10年ほどで3分の1になった。居住人口も、1000人から75人にまで減少した。鹿庭の予言はピタリと当たった。
この間、イオンなどの巨大ショッピングセンターが次々にできた。消費者を一気に吸い寄せた。
■ 所有権と使用権の分離
若手だった古川らは全国を視察。「土地の問題を解決しないと、再開発計画は先に進まない」と判断した。そして作成した再開発計画は、前例のないものだった。土地の所有権と利用権の分離を盛り込んだ。地権者は土地の所有権を持ちながら、店の利用権を切り離した。
ただ、土地の問題は財産権に触れることにつながる。先祖代々の土地に手を突っ込むのは、極めてナーバスな問題である。
「反対する人を説得するには、精神論ではダメです。自分たちの利益を主張するより、再生計画に加わった方が得だというようにしなければならない」。
ちょうど時代はバブル崩壊に見舞われた。子孫に残せるはずの土地の価格が急落していた。最終的には、地権者全員が危機感を共有し、合意に至った。
合意の後は、いよいよ実行段階に移る。合意に4年かかったが、その後法律的な問題をクリアするのに、実に12年かかった。
トップ写真)ガラス張りの円形ドーム型の高松丸亀町商店街
出典)著者提供
(下につづく)
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。