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.社会  投稿日:2020/5/12

コロナ報道とメディアの課題


安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)

【まとめ】

・千葉市の熊谷俊人市長、「安易な報道から距離を」と投稿。

・市民はSNSなどでメディアを厳しくチェックしている。

・これを機に「建設的ジャーナリズム」への転換を。

 

千葉県千葉市の熊谷俊人市長が市の公式ホームページで発信した内容(新型コロナウイルスに関するメッセージ:5月1日付)がウェブ上で絶賛されている。「安易な報道から距離を置き、正しい現状理解を」と題したこの小文はメディアにとって重要な示唆に富んでいる。

 

 報道の価値をどこに置くか

新型コロナウイルスの報道に関し、熊谷氏が指摘しているのは行き過ぎた「ネガティブ」報道の蔓延だ。若者の行動や、自粛要請に従わない若者の行動や、パチンコ店とそこに通う人たちを批判する報道が多い。

日本の緊急事態宣言は法的拘束力がほぼないが、だからこそ我々は、欧米諸国のように外出禁止を強いられることなく、普通に買い物にも行けるし、公園で遊ぶこともできる。一定の制約の元、飲食店に出かけることもできる。自由を享受しながら、ウイルスと戦うという世界でもまれな戦略をとっている。

この、いわば「日本モデル」の素晴らしさにも焦点を当てるべきだろう。国民の自発的な自粛と、徹底的なクラスターつぶし対策で、新型コロナウイルス感染者・死亡者を、他国に比べ圧倒的に低水準に抑え込んでいることをなぜ評価しないのか。

そういう視点の報道がほとんどない。自粛破り批判報道ばかりだと、社会が「自粛警察」化し、「自粛をまもらない人間は罰せよ!」との極論がまかり通ることになる。

山梨県に帰省した女性についても、その行動は確かに軽率だったにしろ、名前や住所、勤務先まで晒す、「ネットリンチ(私刑)」は明らかに行き過ぎだ。そこまでいかなくても、企業が自社の感染者情報を逐一ウェブで公開するなど、果たして本当に必要なのか、冷静に考える時期だと思う。

熊谷氏は言う。

「この緊急時に「罰則を!」「自粛要請ではなく禁止してしまえばいい!」など、強権発動を期待する声が高まっています。私たちの国はあの太平洋戦争の苦い経験から、政治権力による強権発動には慎重を期したいとの国民の切なる願いを受けて様々な法制度を構築してきました。その歴史を忘れてはいけません。ただし、本当に爆発的感染となった時はそうは言っていられません。そうした究極の状況時に発動する法制度については十分議論することは当然だと思います。しかし、現状の感染状況、日本の国民性などを考えれば、この緊急事態宣言程度の制限行為が適切だったと言えます。」

たしかに、感染していると知りながら他人と濃厚接触していたことは問題だが、その人間をバッシングするだけでは何も解決しない。同じような行動をとる人はまた出てくるだろう。目に見えない恐怖は社会を混乱に陥れる。不要な対立や差別、分断などを生む。それを防ぐためには、正しい知識を広めるしかない。メディアはその役割を担っている。

 

■ 安易な報道

本来、ジャーナリズムにセンセーショナリズムの側面があることは否定しない。読んで(もしくは見て)くれなけば、そもそも商業的ジャーナリズムは成立しない。人目を引く見出しが当たり前のように付けられているのはもちろんその為だ。

権力の監視」がジャーナリズムの重要な役割であることは論をまたない。しかし、反対の為の反対では、もはや一般市民の支持を得ることは難しくなっている。

その最大の理由が、SNSの普及だろう。60歳以上の新聞購読者層は別にして、それ以下の年齢層では情報をSNSで知る方が早い。テレビも即時性と映像が持つ臨場感で活字に対して優位性があったが、即時性ではSNSに勝てず、ネット接続スピードの高速化により、誰もが中継や動画配信が可能になったせいで、映像における優位性も消えた。

なにより、市民が多様な意見をSNSで知ることができるようになったことが大きい。かつ、彼らは自分の意見を発信する術も手にした。市民一人一人がメディア化したのだ。

▲写真 イメージ 出典:pixabay

その結果、人々が既存のメディアを見る目は厳しくなった。報道の内容をうのみにせず、市民がチェックするようになったのだ。

これは既存メディアにとって本来、良い事であり、彼ら自身が変革するチャンスだったのだが、この10数年、それに気づかず、変化に対応できなかった。その結果、既存メディアは、熊谷氏が指摘したように「安易な報道」をつづけている、と市民・社会から見られてしまっている。

 

 建設的ジャーナリズム

こうした状況を打破する動きは既存メディアの中にはないのか?萌芽はある。ニュースを一面的に報道するのではなく、多面的に報道し、社会の問題・課題を解決するための方策などを提言する、いわゆる「建設的ジャーナリズム」を模索している若手ジャーナリストが出始めた。彼らは、メディア横断的にテーマごとに議論を重ねている。その活動と成果に期待したい。

政権批判を繰り返し、対案を出さない野党の姿勢にうんざりしている人は多いだろう。メディアも同じだ。一方的な政権批判だけでは市民はもはやついて来ない。

新型コロナウイルス報道でいえば、「今後どうしたら感染者ゼロに近づけることができるのか」に軸足を移さねばならない。

コロナ後の社会はどうなるのか、その移行期に起きる課題にはどのようなものがあり、国はどう対応していかねばならないのか、私たちが知りたいことは山ほどある。「建設的ジャーナリズム」とはどうあるべきなのか。新聞・テレビは内部で真剣に議論するべきだろう。

 

 テレビの問題点

自粛期間中、テレビの視聴時間は伸びているだろうが、テレビ関係者が喜んでいたとしたら大間違いだ。逆に、報道内容をシビアに検証される時間が増えたと危機感を持つべきだろう。

熊谷氏の言葉は直裁だ。

「世の多くの人が自粛を守っているために、自粛を守っていない人たちに対して、罪悪感を感じず、遠慮なく叩き、優越感に浸り、人々が共感を感じることができる、その深層心理をメディアは利用し、視聴率やアクセス数を稼ぐことのできるコンテンツとして利用しているのです。」

▲写真 イメージ 出典:pixabay

この辛辣な言葉はメディアの人間にはどう響いただろうか?

そんなつもりは毛頭無い、と反発した関係者もいるだろう。しかし、ネット上では医療従事者がワイドショーの新型コロナ感染症に関する報道ぶりをつぶさに検証し、リアルタイムで活発に意見交換している。専門家同士の議論は時にシビアで、番組自体の評価に直結している。このデータはミスリードなのではないか、コメンテーターの発言は科学的(もしくは医学的)に正確ではないのではないか、など重要な指摘は多い。果たしてどれだけのメディア関係者がそれをチェックしているだろうか?

もし自分が番組制作者だったら、それらの意見を参考にし、必要とあれば取材して、番組の方向性を日々軌道修正するだろう。視聴者をミスリードしないためにそれが必要だと思うからだ。しかし、テレビニュースやワイドショーを見る限り、そうした努力は行われていないようだ。

その理由の1つには、「慢性的なマンパワー不足」があるのは間違いない。朝から晩まで生放送を続けているテレビに、掘り下げた報道など無理だとの声もあるかもしれない。しかし、報道には第一線を退いた経験豊富な元記者はいるはずだ。彼らを中心にテーマごとに「調査タスクフォース」を組織したらどうだろう。日々の報道を内側からチェックし、どうしたらよりニュースが建設的になるのか、提言してもらうのだ。

繰り返しになるが、国民の既存メディアを見る目は日増しに厳しくなっている。心ある新聞記者は、より自由に解説記事が書くことが出来る、BuzzFeedなどのウェブメディアに転職している。Yahoo!ニュースのようなプラットフォーマーも、既存メディアのニュースを配信しているだけでなく、個人の書き手や映像制作者を発掘し、表現の場を提供し始めた。既存メディアが変わらない内に、周囲の環境変化は加速している。

コロナ前とコロナ後。すべての企業が変革を求められる。既存メディアだとて、その例外では無い。

 

トップ写真:パチンコ店(イメージ) 出典:Tischbeinahe


この記事を書いた人
安倍宏行ジャーナリスト/元・フジテレビ報道局 解説委員

1955年東京生まれ。ジャーナリスト、産業能率大学客員教授。慶応義塾大学経済学部、国際大学大学院卒。


1979年日産自動車入社。海外輸出・事業計画等。


1992年フジテレビ入社。総理官邸等政治経済キャップ、NY支局長、経済部長、ニュースジャパンキャスター、解説委員、BSフジプライムニュース解説キャスター。


2013年ウェブメディア“Japan in-depth”創刊。危機管理コンサルタント、ブランディングコンサルタント。

安倍宏行

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