みっともない政権支持派(下)再論・「正義」の危うさについて その5
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・学術会議任命拒否への菅首相答弁はもはや醜態。支持率下落は当然。
・「学術会議は国賊」論は反知性主義。愛国心を勘違いしている。
・民主主義国家で、説明責任を果たさない為政者こそ亡国の徒。
「日本学術会議の会員任命拒否問題」
と言われても、なんの話だか分からない、という読者も少なくないのではあるまいか。
これはこれで、無理もない。言い方は悪いが庶民の生活とは縁遠い存在だからである。
簡単に言うと、政府からの財政的支援や公認を受けて、研究活動や専門知識を生かして政府の施策や研究に適宜助言を行う「国立アカデミー」なのだ。
学術会議法に基づいて設置されており、その法律の第1条の2には、
「日本学術会議は内閣総理大臣の管轄とする」
と記されている。したがって内閣府に属する機関であり、会員は特別職、連携会員は一般職(ただし非常勤扱い)の国家公務員となる。
公務員試験を経ることなく、選挙や委託などによって任じられるのが特別職だが、国家公務員法では、防衛省職員のように特別な規律に服する公務員も特別職と呼ばれる。
設立は1949(昭和24)年。当時の日本は、敗戦国として占領下にあった。つまりGHQ(占領軍総司令部)の指示により、戦前の学術研究会議(管轄は当時の文部省)を改組する形で再出発したものだ。翌1950年のサンフランシスコ講和条約締結をにらんで、日本を国際社会に復帰させるための道筋をつける作業が始まっており、これもその一環だと考えられる。
そう。国立アカデミーは世界各国で組織され、多くの国が連携しており、学術会議はその中で「日本代表」の地位にあるというわけだ。事実、日本学術会議はアジア学術会議の事務局を置くなど、国際的な活動を続けている。
定員は210名で、任期は6年。半年ごとにおよそ半数が任命換えを受ける。参議院議員と違って、あくまで任命換えで「改選」ではない。また、欠員補充など特別な場合を除いて、会員の再任は認められない。
かつては自由立候補による選挙を経て会員が選ばれていたのだが、1980年代に入って、省庁再編の波が学界にまで押し寄せ、それまで7部門あった内部機構を3部門に、また、現役の会員が推薦し、最終的に首相の裁可を仰ぐシステムに改められた。推薦の条件は、会員の定年が70歳と定められているため、最低一期は務められること、というだけだ。今次問題になったのは、すでに大きく報じられている通り、105名の学者が推薦されたが、うち6名の任命を菅首相が拒否したことである。
これについて首相は当初、学術会議法が定めているのは、推薦された人を無条件で任命することではない、などと、木で鼻を括ったような答え方しかしなかったが、これが私の言う「驕り」の意味である。
任命拒否された6名とは、いずれも過去に安保法制や共謀罪の新設など、政府の施策に異を唱えた学者たちであり、要は政権の意に沿わない学者を排除しただけではないか、と多くの人が考えた。菅首相を応援している、と明言していた橋下徹・元大阪市長までもが
「残念なのは説明責任が果たされなかったこと」
と苦言を呈したほどだ。
その後、国会答弁では、
「総合的俯瞰的な判断によるもの」
などと意味不明なことを言ったかと思えば、
「旧帝大の出身者に偏りが見られるので、バランスをとる必要があると考えた」
などと、事実に合致しないことを口走ったり、醜態としか言いようがない。これでは支持率も下がろうというものだ。まあ、こんな問題しか追及できない野党もたいがいだが。
ところがネットの一部では、菅総理に対する「忖度」なのか、学術会議そのものを悪者に仕立てる傾向さえ見られる。いわく、
「日本に歯向かう学者たちに、なんで税金でいい思いをさせなくてはいけないのか」
「中国に協力する学術会議は国賊集団」
果ては、あの飯塚(幸三被告・シリーズその1を参照)もメンバーだったとか、なんの関係もない話まで持ち出される始末。
私がこうした人たちの言動を「みっともない」と断じるのは、あまりにも反知性主義的であるからだ。
たしかに学界の一部にも、学術会議はもはや不要、と考える人たちはいる。過去には政府に働きかけて多くの研究機関を新設したり、南極観測を推進するなどの功績があったが、科学技術庁(現在は文部省と統合し、文部科学省の一部)ができたことで、政府の諮問機関としての役割は縮小してしまった、というのがその理由で、決して「日本に歯向かう」学者がいるから、という話ではない。
さらに言えば、今さら政権応援団がそんな話を持ち出すのは、論点をずらして逃げを図ろうとする行為以外のなにものでもあるまい。誰かと論争して、自分たちに不利なデータを突きつけられると、幾度でも論点をずらして負けを認めようとしないのは、私の経験上、右寄りのネット民の常套手段である。
学術会議に毎年10億円もの予算が投じられていることを問題視する声もあるが、そもそもこれは、国際的な学術機関を維持運営するための分担金を含めた金額である。こういう国際的オツキアイに金を出すことは、立派に国益にかなうことだと、私は思う。右寄りの人たちには火に油を注ぐ話だろうが、たかだか戦車一両分の金額だ。
真面目な話、これまで基礎研究の分野に対する支援がお寒い限りであったから、学者がよりよい環境を求めて海を渡る「頭脳流出」が絶えなかったのだ。
中国も長きにわたって、この問題に頭を悩ませ、今や世界第二の経済大国になったのだからと、逆に世界中の優秀な研究者を中国に集めよう、というプロジェクトに乗り出した。
これが世にいう「千人計画」だが、学術会議がこれに手を貸している、という論法でもって、学者一般を敵視する人などは、それこそ頭脳がどこかへ流出してしまったのではないか、とさえ私には思える。
昨年暮れに『反日種族主義』(李栄薫・編著、文藝春秋)という本が話題になった。
日本による朝鮮半島支配を一方的に断罪するのは、歴史観として公正さに欠けると説いた本で、私なども、出るべくして出た本だと思った。
その後韓国内では、本の内容に対して学術的に反論するのではなく、単に著者らを「裏切者」呼ばわりして、猛バッシングを加える人が後を絶たないそうだ。
愛国心を勘違いし、反知性主義的な言動を「国のため」と思い込む人には、韓国の「反日種族主義者」を嗤う資格も、非難する資格もない。
民主主義国家において、説明責任を果たさない為政者など、それこそ亡国の徒と呼ぶにふさわしいのだ。
(続く。再論・「正義」の危うさについて その1,2,3,4)
写真:臨時国会が召集され、所信表明演説を行う菅首相(2020年10月26日 衆議院本会議場) 出典:首相官邸 facebook
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。