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.社会  投稿日:2021/3/11

震災から10年、石巻の記憶


安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)

【まとめ】

・東日本大震災直後、筆者は石巻市にボランティアへ。

・立ち会った女性はその実家から近くの中学に避難、乳飲み子と恐怖の世を明かした。

・津波の恐ろしさは後世まで語り継がれなければならない。

 

宮城県石巻市は震災後、初めて足を踏み入れた被災地だ。

私の母親は宮城県の出身、父親は福島県だ。震災後、居ても立っても居られず、ボランティアに向かったのだ。震災から2週間後だったろうか。

外資系銀行に勤める友人らが車で向かうというので一緒に向かった。石巻市まではものすごく時間がかかったのを覚えている。どこもかしこも渋滞だった。

石巻市の湊中学校の近くにその一軒家はあった。既に泥かきの作業を始めている外人たちに交じって作業を始めた。国籍はバラバラ、10人以上はいたと思う。泥は二階にまで達しており、それをかき出して土嚢袋に詰める作業だ。とにかく、泥を出さないことには何も始まらない。

泥は異臭を放ち、しかも水分を含んで重い。作業は容易には進まない。畳もぐっしょり濡れ、到底一人では運べないが、南ア出身の元ラグビー選手だという男性は片手でひょいと持ち上げて驚いた覚えがある。冷蔵庫も1人か2人で運ぶという怪力ぶりを彼らは発揮していた。

その家の持ち主か、若い女性が家の中にいた。私は当時BSフジのプライムニュースの編集長兼コメンテーターをやっていた。番組スタッフを連れて参加したのだ。

30代とおぼしきその女性に話を聞いたら、その家はもともと祖父母の家だったらしい。どちらも既に亡くなっていて、両親が住んでいた。嫁いで家を出た娘である彼女が孫を連れて里帰りしていた時に震災に遭ったという。

「震災直後に津波が来るというので近くの中学校に子供2人を連れて逃げたんです。下の子はまだ小さくてだっこして逃げました。津波が来たのでみんな屋上に逃げました。自衛隊のヘリコプターは飛んで来るのですが、救助は来ず。一晩中、屋上でみな震えながら待ちました」

どんなに心細かったことか。乳飲み子を抱え、ミルクも食料もないのだ。

「夜が明けてまだ水は引いてませんでした。でも何か食べるものを探さなきゃ、と思って水に浸かりながら家まで戻ったんです。そうしたら、海苔の入った缶とみかんがプカプカ浮かんでて・・・」

彼女はそれを掴んで中学校に戻り、子供に食べさせたという。なんという・・・

穏やかな声でそう話していた女性の顔を見ていたら、目から大粒の涙が流れ落ちていることに気づいた。泣いているわけでもないのに、涙が出ているのだ。

極限状態におかれ、ストレスに押しつぶされそうになっているのがわかって、こちらも胸が押しつぶされそうになった。

その人が我々の作業を見守っている時、こう頼んだ。

「祖父母の位牌を探してくれませんか。大切なものなんです」

丁寧に泥をかき、目を凝らして探すのだが、泥の中で黒っぽい位牌を見つけるのは至難の業。容易に見つからない。ただ、おばあさんの位牌は私が見つけた。

「見つかりました!」

手渡すと、彼女は嬉しそうに位牌を抱いた。が・・・おじいさんのものはとうとう見つからなかった。泥と一緒に棄ててしまったのだろうか。申し訳ないことをした、と心の中で頭を下げた。

泥が全部家の中からかき出されるのに丸4日かかったと記憶している。周囲の道路にはボランティアが家の中から運び出した泥とゴミ、それに家電などが溢れかえって小さな山が至る所に出来ていた。

▲写真 震災直後の石巻市 出典:noboru hashimoto/Corbis via Getty Images

ふと裏手の墓地に視線をやったら、何台かの車の残骸が墓石の上に乗っかっていた。津波が車をここまで運んだのだ。その破壊力に唖然とする。

我々の集団は被災地でとても目だった。

「なんで外人さんがこんなとこまで・・・ありがたいねぇ・・・」

そう近所の方がつぶやいた。

その家の泥かきを終え、私と番組スタッフはまた何時間もかけて東京戻った。付いたのは深夜だった。

その後もその女性とは何回かメールでやり取りした。

結局、その実家は解体したという。やはり土台から腐ってしまっているので、立て直すしかなかったのだと彼女は言った。

私はかける言葉が見つからず、「どうかご家族のみなさん、お体に気を付けて。一日も早い復興を願っています」たしかそんなメールを返したと思う。

彼女が返してきたメールは今でも忘れることができない。それが最後のやりとりになった。

「きょう、震災後初めて海を見に行きました。きらきらと輝いて以前のようにきれいな海でした。皮肉なものですね。人がさんざん汚した海の底の泥を、津波が綺麗に持っていったんですね」

▲写真 震災1年後、牡蠣の養殖業者(2012年3月12日) 出典:Daniel Berehulak /Getty Images

この地には昔からの言い伝えがあると地元の人が教えてくれた。

「津波が来た後、しばらくは牡蠣が太る」

海がきれいになってプランクトンが繁殖するからだそうだ。

トップ写真:震災直後の石巻市 出典:Hitoshi Yamada/NurPhoto/NurPhoto/Corbis via Getty Images




この記事を書いた人
安倍宏行ジャーナリスト/元・フジテレビ報道局 解説委員

1955年東京生まれ。ジャーナリスト、産業能率大学客員教授。慶応義塾大学経済学部、国際大学大学院卒。


1979年日産自動車入社。海外輸出・事業計画等。


1992年フジテレビ入社。総理官邸等政治経済キャップ、NY支局長、経済部長、ニュースジャパンキャスター、解説委員、BSフジプライムニュース解説キャスター。


2013年ウェブメディア“Japan in-depth”創刊。危機管理コンサルタント、ブランディングコンサルタント。

安倍宏行

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