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.国際  投稿日:2021/3/23

ブリンケン国務長官「北朝鮮の非核化」強調


朴斗鎮(コリア国際研究所所長)

【まとめ】

・ブリンケン国務長官、一貫して「北朝鮮の非核化」用語を使用

・「朝鮮半島の非核化」で合意図った共同声明破棄を意味する

・北朝鮮反発は、バイデン政権のCVID方針が要因か

 

バイデン政権による対中国、対北朝鮮政策の骨子の検証が、数週間以内に完了するとみられている中、アントニー・ブリンケン米国務長官とロイド・オースティン国防長官が、3月15日から18日にかけて日本と韓国を訪問し、日米、韓米の「2+2」会議を持った。韓国では10年ぶりのことだった。

この会議ではインド太平洋戦略のすり合わせが行われ、同盟の強化と共に、中国の覇権阻止問題、北朝鮮の非核化と人権問題、日本の拉致問題などが話し合われた。

日米、韓米の「2+2」会議で目をひいたのは、ブリンケン米国務長官が、対北朝鮮政策で一貫して「北朝鮮の非核化」との用語を使用したことだ。トランプ政権時代の「朝鮮半島の非核化」との用語は使わなかった。

この変化は単なる用語の変更ではない。北朝鮮が使用する「朝鮮半島の非核化」用語で合意を図った「米朝シンガポール共同声明」廃棄の意味が込められている。ワシントンではすでに2018年のシンガポール米朝首脳会談は「外交の失敗」の典型という烙印が押されているという。

日本の茂木外相も、2+2協議終了後の記者会見で、朝鮮半島の非核化とは言わず、「北朝鮮の完全な非核化」の実現のために国連安全保障理事会決議の完全な履行の重要性を確認し、日米(米日)および日米韓(韓米日)3か国が引き続き協力していくことを確認した、と述べた。

しかし韓国のチョン・ウィヨン(鄭 義溶)外相は、頑なに「朝鮮半島の非核化」用語に固執し、北朝鮮側に立った。それだけでなく、中国非難の言葉も共同声明に盛り込まなかった。

▲写真 ブリンケン米国務長官とチョン・ウィヨン(鄭義溶)韓国外相(右) 出典:South Korean Foreign Ministry via Getty Images

■ 当初は米朝共に「朝鮮半島非核化」を「北朝鮮の非核化」と認識

「朝鮮半島の非核化」という用語が初めて登場したのは、1992年1月20日に締結され2月19日に発効した「朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言」からだ。

この宣言は「南と北は、朝鮮半島を非核化することによって核戦争の危険を除去し、朝鮮半島の平和と平和統一に有利な条件と環境を醸成し、アジアと世界の平和と安全に貢献するため」として「南北基本合意書」とともに南北の総理が署名した6項目からなる合意宣言だ。

その内容は一言で言って朝鮮半島の南北から核兵器とそれを製造する一切の施設を撤去するというものだった。この時点では、韓国にも米国の戦術核が配備されていたために、南北の非核化を「朝鮮半島の非核化」としてとらえることに矛盾はなかった。

しかしこの宣言後、韓国に配備されていた米軍の戦術核がすべて撤去されたために「朝鮮半島の非核化」は、「北朝鮮の非核化」を残すのみとなった。そうしたことから、その後は「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」を意味する用語として使われたのである。

1994年のジュネーブ「米朝非核化交渉」でも、北朝鮮は、そうした状況を踏まえた上で「枠組み合意」を行い、対価として重油年50万トンの供給や、2基の軽水炉建設支援を受けた。

2002年に北朝鮮が秘密裏に濃縮ウラニウムを製造していたことが米国によって暴露され、一連の支援は中断されたが、その後2003年から始まった6カ国協議でも、「ジュネーブ米朝枠組み合意」の延長線上で、「朝鮮半島の非核化」は、「北朝鮮の非核化」の意味として使われた。

それは6カ国協議で、北朝鮮が非核化の対価として求めたのが、対北朝鮮経済支援や対北朝鮮不可侵及び米朝国交正常化などであったことからも明白だ。この時点でも「朝鮮半島の非核化」概念には、朝鮮半島周辺の米国の核の傘除去や駐韓米軍の撤退などの意味は一切入っていなかった。

 2016年に北朝鮮が変更した「朝鮮半島非核化」概念

ところが北朝鮮は2016年の朝鮮労働党7回大会直後になって、この「朝鮮半島非核化」の意味を根本的に変更したのだ。北朝鮮が、核保有国として、非核化交渉を核軍縮交渉に転換する意図からだ。

「朝鮮労働党第7回大会決定書」で「『東方の核大国』に輝かせていく」と記した直後の2016年7月6日に、北朝鮮は政府声明で「朝鮮半島の非核化」概念を「北朝鮮の非核化」ではなく、朝鮮半島周辺の米国の核の傘や駐韓米軍の撤退までも含めた5項目からなる概念に書き換えたのである。

こうして北朝鮮は、6カ国協議まで使われてきた「朝鮮半島の非核化=北朝鮮の非核化」という既定の概念とは根本的に異なる「朝鮮半島の非核化=米国との核軍縮」の意味に置き換えた。

しかし、トランプ政権はこの「変化」を知らなかったのか、文在寅政権の「金正恩は北朝鮮の非核化を決意した」とのウソに騙されたのかは定かではないが、北朝鮮が主張する「朝鮮半島非核化」の意味を吟味せず、シンガポール首脳会談に臨み、「朝鮮半島の完全な非核化に努力する」云々の文言を「共同声明」に盛り込んだ。

▲写真 決裂した2度目の米朝首脳会談(2019年2月28日 ベトナム・ハノイ) 出典:Vietnam News Agency/Handout/Getty Images

 ハノイ会談の決裂の根底に「朝鮮半島非核化」認識の違い

決裂となった、ハノイでの「第2回米朝首脳会談」の実務協議では、「朝鮮半島の非核化」の意味をめぐって米朝間で激しく議論が交わされたという。

この経緯について、アンドリュー・キム前米国CIAコリアミッションセンター長は、2019年3月20日、ソウルでの講演で、「“朝鮮半島の非核化”概念が、北朝鮮と米国の間で大きく異なっていた。北朝鮮はグアム、ハワイなど米国内の戦略資産をなくさねばならないと主張した」と明らかし、「北朝鮮は明確な非核化の定義は拒否し、事実上米国の対韓国核の傘除去とインド太平洋司令部の無力化を要求した」と述べた。

 北朝鮮、バイデン政権「北朝鮮の非核化」主張に早くも反発

キム前センター長が明かした米朝実務陣の「非核化概念」のやり取りから見ると、米国は「朝鮮半島の非核化」を「北朝鮮の非核化」とする6カ国協議の延長線上で理解していたようだ。しかし、北朝鮮側は、2016年に変更した「概念」で米国に迫っていたのだ。これでは噛み合うわけがない。

今回、日米の共同声明には「北朝鮮の完全な非核化」という明確な表現が入っていたが、やはりというか、3月18日の韓米声明には「北朝鮮の非核化」という語句はなかった。米国のVox放送は「『北朝鮮の非核化』用語の使用は、北朝鮮と外交チャンネルを続けようとしている韓国政府は拒否するだろう」と伝えていた。

北朝鮮が、バイデン政権による水面下接触の試みを無視し、金与正朝鮮労働党副部長が「眠りにつけないような事をしないほうがいいだろう」と、バイデン政権を牽制した背景には、昨年の大統領選当時、バイデン大統領が、金正恩を「独裁者」、「暴君」と表現したこともあるが、「北朝鮮の非核化」をCVID(完全かつ検証可能で後戻りできない核の廃棄)で進めようとしていることが主な要因としてあると見られる。

トップ写真:訪日後、訪韓したブリンケン米国務長官(2021年3月18日 ソウル) 出典:Lim Han-Byul – Korea Pool/Getty Images




この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長

1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統治構造ー」(新潮社)など。

朴斗鎮

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