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.社会  投稿日:2021/3/27

福島の財産、若き医療従事者達


上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

・福島でしかできない医療に携わろうと全国から若い医療従事者集まる。

・3.11以降、福島で数多くの意義深い医療・研究が行われいてる。

・やがて全国・世界へ羽ばたく若者こそ福島の財産・復興の姿。

 

「若者は異郷を経験して成長する」

私が常に言う言葉だ。今春、二人の看護師が福島県立医科大学で修士の学位を得た。これからの看護師のありかた、福島の復興を考える上で示唆に富むケースだ。ご紹介したい。

一人目は園田友紀さんだ。現在、いわき市のときわ会常磐病院に勤務している。ときわ会は東日本大震災以降、急成長中の医療機関で、全国から若い医師や看護師が集まっている。園田さんも、その一人だ。

園田さんは鹿児島県出身。鶴丸高校から首都大学東京に進んだが、医療の道に方向を転換し三重大学に入学した。2014年に卒業後は石巻市役所で保健師として勤務し、2016年4月から現職だ。園田さんは三重大学の学生時代から、当時、東京大学医科学研究所にあった私どもの研究所に出入りしている。

園田さんの仕事は、ときわ会が日本・ベトナム間の経済連携協定の一環として受け入れている10人のベトナム人看護師の日本の国家試験受験、合格後の就業支援だ。園田さんは「資格試験は座学なので、日本語を読解する能力と医学看護の知識が問われますが、現場では疾患や治療への理解や対応に加え、患者、家族、スタッフに合わせた迅速かつ的確なコミュニケーション能力が求められます。また仕事に慣れてきたところで、結婚や出産といったライフイベントでの選択に迫られ帰国する看護師もおり、彼らが現場で活躍し、中長期的に定着するにはどうすればいいか試行錯誤を繰り返しています」という。この問題の解決法は誰もわからない。試行錯誤を繰り返すしかなく、こういう経験を積むことでは若者は成長する。

園田さんは、このような仕事の傍ら、福島県立医科大学の修士課程に入学し、坪倉正治教授の指導を受けている。

坪倉教授は、東日本大震災以降、福島で診療・研究に従事し、これまでに160報以上の英文論文を発表している。3月5日、米『サイエンス』誌は「Nuclear Medicine」というタイトルで5ページにわたり、坪倉教授の活動を紹介した。現在、世界がもっとも注目する日本人医師の一人である。

園田さんが坪倉教授から与えられた研究テーマは、避難指示解除地域の医療・福祉問題を調べることだ。詳細は省くが、日常的に被災地の住民・患者からの情報収集に加え、自治体に勤務する保健師からヒアリングし、現状をまとめた。

仕事の傍ら、研究を続けるのは大変だった。1年時は週に3回の授業があり、いわきから福島市内の福島県立医大までは車で片道約2時間かかる。園田さんは「18時の授業に間に合わせるためには、時間休を細切れにとり対応していた」という。ただ、この状況もコロナの流行で変わった。オンライン授業が主流となり、遠隔地に勤務する園田さんのような学生には好都合だった。何が幸いするかわからない。

ときわ会も園田さんを支援した。学業を継続できるように勤務を調整すると同時に、看護学生や認定看護師課程などのキャリアアップのために整備していた奨学金制度を大学院生にも拡大した。

さらに2020年にはときわ会と福島県立医大が連携協定を締結し、病院内にサテライトキャンパスが設置され、来年度から稼働することになった。進学を希望しても大学までの距離がボトルネックであった浜通り地域でもアクセスが改善され、医療者が勤務を続けながら学習や研究に取り組みやすくなる。

園田さんは、「病院では、来年度、福島県立医大の修士課程に進学するコメディカルがいます。医師だけではなく、看護師やリハビリ職、栄養士など、コメディカルも研究に関わることで、現場をより深く分析し患者さんに還元できるようにしていきたい」と意気込む。

▲写真 福島県立医科大学付属病院 出典:Kozo/Wikimedia Commons

もう一人は山本知佳さんだ。現在、福島市内の福島赤十字病院のハイケアユニット(HCU)に勤務している。

山本さんは滋賀県出身。四天王寺高校から神戸大学に進み、2016年に卒業後は、神戸市立医療センター中央市民病院に就職し、救命救急センターで働いた。神戸市内の救急医療の砦で、患者は神戸市内だけでなく、遠く姫路や明石などの播磨地区からも運ばれてくる。

2017年、山本さんは南相馬市立総合病院に転職する。きっかけは姉の紹介だ。姉の山本佳奈さんは2015年4月に滋賀医科大学を卒業し、南相馬市立総合病院に初期研修医として勤務していた。山本佳奈さんは滋賀医大の学生時代から、私どもの研究室に出入りし、妹の山本知佳さんもやってきたことがある。

神戸大学を卒業し、地元の有名病院で働きながら、山本さんは何となく惰性に流されていくのを実感していたそうだ。「被災地で活躍する姉の姿を見て、心機一転、福島で働いてみたい」と希望した。

山本さんは南相馬市立総合病院では救急外来で働いた。神戸市と南相馬市では、生活環境から医師・看護師不足の状況まで全く違う。山本さんは、最も大きな違いとして「住民との距離が近いこと」を挙げる。そして、その理由として「同じ困難を経験し乗り越えたことで、他の地域より住民と医療スタッフの関係性が“近く”なったのではないか」と説明する。

職場環境も違う。南相馬市立総合病院は、福島第一原発に一番近い中核病院だ。原発作業員の診療や地元住民の内部被曝検査など、南相馬でしか経験できないことがある。また、この地域は福島県内はもちろん、全国でも有数の医師不足地域だ。山本さんは「神戸では3次救急の病院でもあり、大勢の医師・研修医が在籍していました。一方、南相馬では診療科も限られており、診療科があったとしても医師が一人しかいないといった点で、より医療スタッフ一人ひとりかが地域医療を支えていることを感じました」という。

東日本大震災以降、この地域には、姉の山本佳奈さんをはじめ、多くの若い医師や看護師が集っている。彼らの実績が米『サイエンス』で大きく取り上げられたのは前述のとおりだ。その多くが、福島県立医大の教授となった坪倉医師の元で学んでいる。そもそも坪倉医師自体、東日本大震災の時は東京大学医科学研究所の博士課程に在籍する29才の若者だった。

南相馬市立総合病院で看護師として勤務を続けるうち、山本さんは大学院に進学し、研究をしてみたいと考えるようになった。山本さんは、そのきっかけを「南相馬の救急医療の現場で住民やスタッフから震災当時の話を聞いたり、坪倉先生の活動をうかがう中で、自分も勉強したいと思うようになった」という。

幸い、南相馬市立総合病院の看護部長以下スタッフは協力的だった。山本さんは「講義や実習を受けられるよう勤務時間を調整してくれた」と語る。

坪倉教授が山本さんに与えたテーマは、原発事故直後、避難所で被災者のケアに当たった南相馬市立総合病院の職員のインタビューだった。南相馬市立総合病院の位置する原町区の汚染は軽度であったものの、多くの住民は避難し、都市機能は麻痺していた。小さな子供を抱える看護師は子どもたちの被曝を恐れるとともに、保育所や幼稚園が閉鎖されたため、従来どおりの病院勤務が続けられなくなった。結果的に「逃げる」ことになった職員と、残った職員の間には、その後様々な軋轢を生じることになる。

おそらく、この問題は原発事故に関連する普遍的な問題だろうが、これまで誰も検証したことがない。山本さんは、このような状況に置かれた看護師たちにインタビューすることができた。もちろん、研究への協力を断った看護師もいた。ただ、それでも多くの看護師がインタビューに協力したのは、山本さんが周囲の信頼を勝ち得ていたからだ。これは神戸から南相馬に移り住み、現地で働いた山本さんだからこそできたことだ。データベースを解析するだけ、アンケートを送りつけるだけの研究とは違う。私は、このような研究は本当に尊いと思う。

山本さんが南相馬市立総合病院から福島赤十字病院に移ったのは、大学院の2年生に進む2020年4月だ。1年次は座学と実習が中心だったが、2年次以降は研究が中心となる。山本さんは頻回に坪倉教授の指導を受けたいと考えた。

その際に問題となるのは通学だった。南相馬から福島県立医大までは車で約90分かかる。ときわ会が位置するいわき市と違い、一般道を利用しなければならない。冬は雪が積もる阿武隈高地を超えて行くのは、関西出身の山本さんには大きなストレスだった。南相馬市立総合病院で勤務を始めて3年が経った時、現在の職場に移ることを決心した。南相馬市立総合病院の上司や同僚たちも快く送り出してくれたという。そして、今回の修士号取得へと繋がった。

これが原発事故で被害を受けた福島の実情だ。福島に全国から若者が集い、地元の人が彼らを温かく迎え応援している。やがて、成長した彼らは全国、世界に散って活躍するだろう。そして福島と新たなネットワークを構築する筈だ。これこそ福島の財産だ。これからの福島の「復興」に期待したい。

トップ写真:坪倉教授の研究室にて。左から山本さん、坪倉教授、園田さん、趙天辰さん。趙さんは4月から大学院生。 出典:坪倉正治教授提供




この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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