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.国際  投稿日:2021/6/5

先人たちの夢が今日の日米関係に ニューヨーク日本人墓地墓参会110年


津山恵子(ジャーナリスト)

「津山恵子のニューヨーク裏窓日記」

【まとめ】

・ニューヨークには1912年に購入された日本人墓地があり、以来110年間、日本人・日系人による墓参会が続いている。

・ニューヨークに最初に訪れた日本人は、18606月まで遡る「遣米使節団」の侍たちだった。

・現在、在ニューヨーク日本国総領事館に登録しているニューヨーク州在住日本人は、45,633人。日本人墓地に眠る先人たちの努力がなければ、これほど多くの日本人が今日、快適に暮らしてはいないだろう。

 

米国の祝日であるメモリアルデー(戦没者追悼記念日)の2021年5月31日、ニューヨーク市クィーンズ区からマンハッタンを見渡す小高い丘にあるマウント・オリベット墓地に、約50人の日本人や日系人が集まった。その一角にある日本人墓地の清掃と墓参会を行い、19世紀末から渡米し活躍した先人を偲ぶためだ。

英語での会話が多い子供達から、ニューヨーク日系人会ニューヨーク日系ライオンズクラブなどのメンバーが、肌寒い曇り空のもとに集まった。ワイワイとせわしなく草むしりや草刈りに精を出し、子供達が中心となって墓石一つ一つに水を注ぎ、雑巾やたわしで丁寧に磨いた。

▲写真 お墓の前に花を植える子供達 Ⓒ津山恵子

最後に、ニューヨーク育英学園の児童が描いた日米国旗が、数十ある墓石前に飾られた。花輪も届き、清掃を始めた時に比べ、かなり彩り豊かになった。

▲写真 日米の国旗と花輪がたむけられた日本人墓地の碑 Ⓒ津山恵子

長年ニューヨークに住む日本人・日系人でさえ知らない日本人墓地の建立に尽力したのは、高見豊彦医師(1875~1945)。熊本県出身で、宣教師が開いていた英語塾に通ううちに、キリスト教教育者で同志社大学の前身、同志社英学校の創立者である新島襄氏(1843~1890)のことを聞く。新島氏は、米国に憧れ、国禁を犯して米国に密航し、留学生として頭角を表したのち、宣教師となった。新島氏の情熱に感動した高見氏は、英国船の船員となってニューヨークに渡った(ニューヨーク日系人会=JAA、本部ニューヨーク市、1914年設立、会員1000人=による)。

▲写真 高見豊彦医師 出典:ニューヨーク日系人会

高見氏は、学資を稼ぎながら英語を勉強し、その後、米東部のアイビーリーグ名門校、コーネル大学医学部を2番の成績で卒業した。在学中、日本人男子らしき遺体の解剖に立ち会ったが、名前がなく番号で処理されていた。これをきっかけに、日本人墓地購入の必要性を痛感し、「紐育日本人共済会」を設立。当時のお金で2500ドルの募金を集め、1912年、マウント・オリベット墓地内に念願の土地を購入した。

日本人墓地 JAPANESE CEMETERY」と書かれた立派な石碑の前で行われた墓参会は、今年で110年目。つまり、日本の大正時代から続いている。当時、日本人は勤勉で低賃金でも働き、米国人の職を奪うとされて、差別の対象であったにもかかわらず、墓地にそれだけの寄付が集まったのは、驚きである。戦時中、ニューヨークの日系人が自宅隔離されるなど困難を極めた最中も、墓参会は細々と続いていた。

110周年の今年、墓参会は、ニューヨーク仏教会の副住職のお経で始まり、参加者が次々に花を供えた。

在ニューヨーク日本国総領事館総領事の山野内勘二大使は、墓参会に参席し、こう語った。

「今日の日本コミュニティを築いた先人に敬意を捧げたい。ここに眠る先人の方々の夢、たゆまぬ努力のお陰で、今日の日米関係、ニューヨークの日系コミュニティは発展した」

真珠湾攻撃ののち、日系人が「敵国人」と見なされ、強制収容所に入れられたり、自宅監禁に追い込まれた際、日本人墓地はマウント・オリベット墓地の管理下となり、現在もそれが続いている。

ニューヨーク日系人会事務局長の野田美知代さんは、こう話す。

「マウント・オリベット墓地とは良好な関係を保っているが、今は墓地全体で新たな埋葬は受け付けていません。現在、日系人で亡くなった方は、ニューヨーク仏教会日米合同教会が管理する墓地がサイプレス・ヒル墓地というところにあり、そこに埋葬をしています」

▲写真 読経するニューヨーク仏教会のイザベル・シンジョー・バーナード副住職と、お焼香をあげる参加者 Ⓒ津山恵子

高見氏が設立した紐育日本人共済会は、1914年に発足した「紐育日本人会」に合併された。現在のニューヨーク日系人会の前身である。紐育日本人会は1941年の開戦で、米政府により解体・凍結されるまで、ニューヨーク地域における日本人・日系人の唯一の相互互助団体だった。

戦後の1946年、自宅監禁などから解かれた日系人は、「日本救援紐育委員会」を新たに設立。アジア救済連盟(ララ、LARA=Licensed Agency for Relief in Asia)を通じて、敗戦下の日本に対し、295トンに上る粉ミルクや粉卵、綿布などの物資を5年間にわたって送り続けた。出費の総額は、当時の価格で16万ドル相当に上ったという。

その後、日本が復興するにつれ、ニューヨーク在住日系人・日本人の福祉向上と相互扶助に目的を変え、1950年、現在の「ニューヨーク日系人会」に改名した。

以来、同日系人会は、日系人のほか、「ビジネスや学術研究などの目的で渡米した日本人」も対象の活動を続けており、元駐在員だった私も2007年から会員である。

同会では、高齢化する日系人のための敬老会無料のヘアカットなどを提供している。このほか、日系人・日本人美術家展覧会日本人墓地墓参会地域の慈善・ボランティアなど多様な活動を続けている。

▲写真 高見豊彦医師とその子孫の墓 Ⓒ津山恵子

日系人会に出入りして強く感じたことは、同会設立に貢献した高見医師をはじめ、日本人・日系人が戦前から現地に根を下ろそうとした血の滲むような努力の上に、私たちの生活が成り立っているということだ。共同通信社の特派員として渡米した私も含め、実に多くのビジネスパーソンと家族や留学生がニューヨークの地に住んだ。私が渡米した2003年には、日本食レストラン、日本食スーパーマーケットだけでなく、日本の美容室、日本のパソコン修理屋まであり、驚いた。環境だけでなく、日本人といえば、ニューヨーカーの誰もが暖かく、困った時も手を差し伸べてくれる。

2020年春に新型コロナウイルスの感染拡大が広がるまでの在米17年間、差別や嫌がらせを受けたことはほとんどなかった。しかし、トランプ前大統領が、新型コロナを「チャイナ・ウイルス」と今日まで一年以上にわたり呼び続けている。このため、アジア系市民に対する攻撃やヘイトスピーチが急増し、あとを絶たないのは、非常に残念だ。日本人だけでなく、中国・韓国・フィリピン・インド系など多くの移民の祖先が、根を下ろすために困難を乗り越えてきたことに対する揺り戻しでもある。

ワクチン接種が進み、急速に経済の全面再開と、その後の経済成長に近づく米国で、多くのアジア系は「コロナの次はヘイトか」と震え上がっている。

▲写真 アジア人ヘイトクライムに反対する集会(ニューヨーク、2021年4月4日) 出典:Spencer Platt/Getty Images

しかし、日系人会の墓参会を含め、長く続ける活動と、日本人・日系人とニューヨーカーの助け合いがますます重要だと、パンデミックの間、痛感した。

日系人会は2020年5月から、日系人高齢者に対し会員ではなくても、週に一回お弁当を届ける「プロジェクト弁当」を続けた。私の親しい日本人友人らが、酷暑の夏、極寒の冬も歩いてお弁当を高齢者に届け、安全を確認した。私自身は、日系人会のプログラムであるビジネスウーマンの会(JWBが主催するウェビナーで、2020年大統領選挙などの講演を3回行い、プロジェクト弁当を作ってくれる日本食レストランに支払う資金を集めた。

日本クラブ(1905年設立、企業会員中心)も、医療機関へお弁当を毎週配達し、ニューヨークのニュース専門局「NY1」に取り上げられた。

(参考:Nippon Club delivers bento boxes to hospital workers

また、山野内大使の呼びかけで2020年12月、「ニューヨーク日本歴史協議会」が設立された。(参考:NYに日本歴史博物館、19世紀以降の記録公開

「ニューヨークに161年前から積み重ねられてきた、日本人の美しい勇気ある話を語り継ぎ、19世紀の日本人の活躍を世の中に伝える」(同大使)とし、2021年5月には「ニューヨーク日本歴史デジタル・ミュージアム」がオンラインに登場した。

同評議会は、将来的には「ニューヨーク日本歴史博物館」を設立することを目的にしている。ニューヨークには、ユダヤ人遺産博物館、アメリカ中国人博物館などがあり、日本と日系人の歴史に焦点を当てる博物館があれば、米国に定着するために他の移民同様に苦労した日系人のことを知ってもらう拠点となるだろう。

総領事館によると、ニューヨーク市に在住の日本人は約28,000。これに対し、中国系は約57万人、韓国系で9万人超で、日系人の数は不明であるものの、日本人・日系人人口は中国系、韓国系に対しかなり少ない。

しかし、日本コミュニティは、ニューヨーカーと交わり、助け合い、「根を下ろす」という先人のような努力を今日も続けている。先人が築いた安定した日本コミュニティとニューヨーカーとの関係に、私自身も少しでも役に立ちたい。

(動画「柏原雅弘のマンハッタン・リポート」も合わせてご覧下さい)

トップ写真:2021年5月31日、日本人墓地墓参会の参加者。花輪左が山野内勘二大使 提供:ニューヨーク日系人会




この記事を書いた人
津山恵子ジャーナリスト

ニューヨーク在住ジャーナリスト。移民が多いクィーンズ区に住み、米国の社会、政治についてアエラ、Business Insider Japanなどに執筆。Facebookのマーク・ザッカーバーグ、ノーベル平和賞受賞のマララ・ユスフザイなどに単独インタビュー。元共同通信記者。

津山恵子

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