なぜ今ビートルズなのか 忘れ得ぬ一節、一場面 その3
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・映画『イエスタデイ』の舞台は、「ビートルズ」が存在しない世界。
・作中の「バック・インUSSR」をめぐる皮肉にも注目。
・映画のメッセージは、ビートルズが楽曲に込めた、自らの出自とバックグラウンドに対する誇りだろう。
私はいわゆるビートルズ世代には属していない。もう少し若い。中学に入学した年に、ビートルズが解散したとの報道に接している。
ただ、英国ロンドンで暮らした経験もあり、彼らの音楽はいつも身近なところにあった。とは言え、もしもビートルズが存在しなかったら自分の人生はどうなっていたかなどと、考えたこともない。
『イエスタデイ』という映画は、まさにそうした設定の映画だ。公開は2019年。舞台はイングランド東部のサフォーク。北海に面した、こぢんまりとした港町だ。
そこで細々と音楽活動を続けている、ジャック・マリックという男がいたのだが、ある日、原因不明の大停電が起こり、暗闇の中、自転車で帰宅途中だった彼は、バスにはねられてしまう。
病院のベッドで意識を取り戻すが、そこはなぜか、ビートルズが存在しない世界であった。偶然その「事実」に気づいたジャックは、こんなことを思いつく。彼らの楽曲を自分のものとして世に出せば、一気にスターダムに……
早速地元のライブハウスで何曲か披露に及ぶが、客の反応はいまひとつ。ちなみにこの映画は、数々のビートルズ・ナンバーに彩られているが、すべて主人公を演じたヒメーシュ・パテルが演奏し歌っている。アフリカ系移民の2世とのことで、肌が浅黒い。
▲写真 「Build Studio」にて「イエスタデイ」について語るヒメーシュ・パテル氏(2019年6月25日、ニューヨーク) 出典:Photo by Michael Loccisano/Getty Images
ともあれ客の淡白なリアクションに、落ち込んでしまうジャック。幼馴染で最後に恋愛関係になるリリーに、こう愚痴をこぼす。
「JP(ジョンとポール)にあって、JM(ジャック・マリック)にないものが、なにかあるんだ」
まあ、この映画に「ツッコミどころ」があるとしたら、まずはそこだろうな、と思った。
ビートルズというバンドが1960年代の音楽シーンを席巻し、世界一有名だと称され、日本を含む世界各国のミュージシャンに影響を与えたのは、楽曲のすばらしさもさりながら、ジョン・レノン、ポールマッカートニーというカリスマの存在を抜きにして語ることはできないだろう。
これは以前にも述べたことがあると思うが、ビートルズの面々は、イングランド西部の港町リバプールの出身で、いずれも「居残りアイルランド人」の子孫だと言われる。
18世紀以降のアイルランドは、幾度も飢饉に見舞われた。主たる原因は、疫病によるジャガイモの不作で、1845年から49年にかけての世にいう「ジャガイモ飢饉」では、100万人以上が餓死したという。
そのようなアイルランドでの暮らしを見限り、新大陸アメリカへの移住を志す人が後を絶たなかったわけだが、彼らはまず、アイルランドから最も近い港町で工業都市でもあるリバプールに、続々と移住してきた。この港からは大西洋横断航路が開かれていて、あのタイタニック号の沈没事故(1912年4月14日)も、リバプールからニューヨークを目指しての処女航海中に起きたことである。
一方、工業都市として発展を続けていたリバプールで仕事を見つけ、そのまま生活基盤を築いた人も少なからずいた。彼らがすなわち「居残りアイルランド人」というわけだ。
もう少し厳密に言うと、ジョージ・ハリスンの父親はウェールズ出身だが、アイルランド系で敬虔なカトリックであった母親の薫陶で、三男ジョージも、自身のアイデンティティについて、アイルランド系だと考えるようになったものらしい。
また、リンゴ・スターだけは、
「僕のスターキーという姓(彼は本名リチャード・スターキー)は、スコットランド系だと聞いたことがあるけど、血筋とか家系とか、あまり興味がないんだよ」
などと、いかにも彼らしいコメントをしたことがある。このため、4人のうち3人までがアイルランド系、と記された資料も見受けられる。
リンゴとは対照的に、アイルランド系としてのアイデンティティに強いこだわりをもっていたのがジョン・レノンであった。
たとえば息子にショーンと名付けているが、これはジョンをアイルランド風に発音したもの。また、映画のタイトルになった「イエスタディ」はじめ「ミッシェル」など、初期の楽曲に短調の名曲が多いのは、アイルランドの伝統音楽の影響ではないか、と見る向きも多い。日本でもよく知られる「Let it be」の歌詞なども、アイリッシュ・カトリック特有の聖母マリア信仰(ありのままに生きなさい、という教え)に根差していると言われる。
▲写真 ビートルズ(1962年1月1日) 出典:Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images
話を戻して、ライブハウスの客にはいまひとつ受けなかった「ビートルズの楽曲」だが、音楽プロデューサーの目に留まり、ジャックは成りあがって行く。本当はこの世界にもビートルズが存在し、盗作だとして訴えられるのではないか、などと怯えながら。
このあたりの展開は非常に面白いので、主人公と一緒にハラハラしながら映画を見ることをおすすめする。
もうひとつだけ印象に残ったシーンを紹介させていただくと、モスクワでステージに立つのだが、なんと「バック・インUSSR」を歌い上げる。舞台から降りた彼に、スタッフが口々にかける賛辞は、
「ロシアでなくUSSR(ソ連邦)と歌ったのが、クールだったな」
というもの。1968年にリリースされた曲で、当時は様々な批判にさらされた、と記録にある。
米国の右翼団体は、フロリダからソ連邦へと帰るフライトを題材に、
「僕たちがどれほど幸福か分からないだろう」
という歌詞の一節だけをとらえて、ビートルズが親ソ派である証拠だと攻撃した。右翼にシャレが通じないのは、洋の東西を問わないのだろうか。
現実のソ連邦は、ロック音楽自体を「西側による文化汚染」として、レコードなどの輸入を禁じた。また、この年はソ連軍がチェコスロバキアにおける民主化の動き(世にいうプラハの春)に対し、戦車を繰り出して弾圧したことから、マスメディアにおいても
「理性を欠いた冗談としか思えない」
などと散々であった。
今となっては、このような話は「ビートルズが存在する世界」でさえ、ほとんど忘れられている。つまりこのシーンは、彼らの楽曲に対して勝手なことばかり言ってきた当時のジャーナリズムや政治家に対する、痛烈な皮肉になっているのである。
この映画のプロデュースも手掛けたダニー・ボイル監督自身、アイルランド系のカトリックで労働者階級に属する両親を持つ。
彼がこの映画で本当に描きたかったのは、こういうことではないだろうか。ビートルズが国境を越え、世代を超えて受け容れられた理由は、彼らが自分の出自と、文化的バックグラウンドを誇りに思い、その思いを楽曲に込めていたからだ、と。
この文脈で考えれば、マイノリティの俳優をあえて起用した事にも納得がゆく。
アジア太平洋戦争の終戦直後、あのマッカーサー元帥がこんなことを言ったそうだ。
「アメリカ人ならアメリカ人らしく、日本人なら日本人らしく振る舞える人間こそ立派だ」
彼のことはまったく好きになれないが、この言葉は好きだ。
トップ写真:「CinemaCon」で映画「Yesterday」をお披露目するダニー・ボイル監督(2019年4月3日、ラスベガス) 出典:Gabe Ginsberg/WireImage
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。