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.社会  投稿日:2021/7/15

スポーツ映画の名シーン 忘れ得ぬ一節、一場面 その1


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・スポーツの力で国民の絆を取り戻すなどとだれも本気で受け取っていない。

・スポーツを通じての人間同士の絆を描いた映画「タイタンズを忘れない」。

・「本物の」スポーツの力を描き上げているところが素晴らしい。

 

7月に入り、いよいよオリンピック・パラリンピック(以下、五輪)の開会が秒読みとなってきたが、まさにそのタイミングで、東京では4度目となる非常事態宣言が発せられた。14日には都内の新規感染者数が1000人を超え、これは第5波が来たのではないか、とまで言われる。

当然の結果として、五輪の開催に反対、もしくは危惧する声は、今も根強い。

しかしながら、与党自民党の思惑はまるで別のところにあるようだ。

安倍前首相が、雑誌での対談で、

「歴史認識など、反日的と見なされてきた人たちが、開催に強く反対している」

などという趣旨の発言を行い、物議をかもしたりしている。

念のため述べておくと、さすがに経験のある政治家だけあって、開催に反対する人はみんな反日だと決めつけたわけではない、と釈明できるよう、ちゃんと言葉を選んではいる。

それはそうだろう。本誌のアンケートでも67%が「反対」の意思表示をしているし、マスメディアの世論調査も似たり寄ったりであるから、国民の3人に2人までが反日だとでも言うのか、となっては、たまったものではない。

ただ、これまで政府筋が主張してきた、スポーツの力で国民の絆を取り戻す、などという話は、今やだれも本気で受け取ってなどいない。

これまで幾度も述べてきたように、IOCがそこまで開催にこだわった理由とは、TV放映権料を取りはぐれるわけには行かない、ということに尽きるのだが、これでは、日本国内での視聴率は、あまり期待できないのではないだろうか。

もっとも、非常事態宣言下とあっては、仕事を終えたら居酒屋へ、というわけにも行かないので、ことによると数字が伸びるかも知れない。

もちろん、今や「在宅」でもTVにかじりつく人は少なくなる一方なので、こればかりはまったく予想が立てられない。

そこで……というのも妙なものだが、もしかすると五輪中継より感動するかも知れない、映画や書籍の忘れ得ぬ一場面・一節を紹介させていただくことにしよう。書き手の独断と偏見ではないか、とのお叱りは覚悟の上で。

スポーツをテーマにした映画は昔からたくさんあって、個人的に好きな作品も何本となく挙げることができるのだが、今回はやはり、勝利を目指して努力する「スポ根=スポーツ根性もの」ではなく、スポーツを通じての人間同士の絆というものを描き上げた一本を紹介させていただきたい。

タイタンズを忘れない(原題 Remember The Titans)』というのがそのタイトルで、米国では2000年、日本では翌2001年に公開されている。

▲写真 2000年の映画「タイタンズを忘れない」の1シーン、ウィル・パットンとデンゼル・ワシントン 出典:Photo by Buena Vista/Getty Images

1971年、公民権法が施行されていたとは言え、まだまだ人種差別が残っていた南部ジョージア州において、ある公立高校が、初めて白人と黒人の混成となるフットボール・チームを立ち上げる。その名称がタイタンズだ。高校の部活で、いちいちチーム名を名乗るのかい、とまず思ったが、それだけフットボールが盛んなのだろう。

ちなみにアメリカ語でフットボールと言うのは、防具をつけて行うアメリカン・フットボールのことだ。

もう少し厳密に言うと、フットボールは中世イングランドで生まれたスポーツだが、パブリック・スクール(中高一貫の私立校)で盛んになり、ルールを統一しようという動きが出たが、その過程で、手を使える範囲をめぐって対立が起きた。

手を使えるルールに固執したのが名門ラグビー校を中心とするグループで、最終的に彼らは、ラグビー・フットボールという新たなスポーツを確立するに至る。

一方。多数派を占めたのは。基本的に手を使わないルールを採用した側で、こちらはやがてフットボール・アソシエーションという全国組織を立ち上げるに至る。これこそがサッカーの起源で、当初はアソシエーション・フットボールと名付けられたものが、やがてアソシエーションassosiationの口語的略語形(アサッカに近い発音)から、サッカー soccerという新たな単語が生まれたのである。戦前の日本では「ア式蹴球」などと呼ばれた。

今では、英国ではフットボールと言えばサッカーを指すと決まっているため、逆にサッカーという単語があまり使われなくなり、米国では(アメリカン)フットボールと区別するために、もっぱらサッカーと呼ばれて、日本も戦後史のしがらみからそれに倣っているという「ねじれ現象」が起きている。

また、アメリカン・フットボールはラグビーの亜流だと考えられており、日本に紹介された当初はアメリカン・ラグビー、略してアメラグと呼ばれていたことを、ある年代以上の読者はご記憶のことと思う。

話を戻して、そのタイタンズが「肌の色が違う」ことに起因する内輪もめの連続を乗り越え、ついには州のチャンピオンシップを制するまでの、実話に基づいた物語なのだが、私が忘れられないのは、こんなシーンだ。

最初の試合を終えた翌日、黒人選手の一人が街を歩いていると、目の前にパトカーが止まる。乗務しているのは「黒人を目の敵にしている」と見なされ、当然ながら彼らからは蛇蝎のごとく嫌われている中年の白人警官。一瞬、パトカーの中と外でにらみ合いになるが、次の瞬間、その警官が静かに語りだす。

「俺は20年以上、この町でフットボールを見続けてる」

そして、にこりともせずに、こう続けるのだ。

「昨日の、お前のディフェンスがベストプレーだった」

それだけ言い残すと、パトカーは走り去る。続いて、黒人選手の顔がアップになるのだが、なんとも言えない、ぱっと輝くような笑顔になる。映画で笑顔のアップなど、それこそ数え切れないほど見てきたが、これがベストスマイルのひとつであった。

続くシーンが、またいい。黒人の同級生が歩み寄ってくるのだが、

「あんな奴と、一体なに話してたんだ?」

「ん?友達に挨拶されただけさ」

そうだよ、スポーツにはこういう、人と人とを結びつける力があるんだよ、と感じ入った。もちろんこれはほんの小さなエピソードで、メインのストーリーは、なんとかチームを一つにまとめたい、勝たせたい、と願う黒人のコーチの奮闘物語だ。デンゼル・ワシントンが演じた。

彼の演技力・存在感はもちろん圧倒的だったが、おそらくは無名の俳優たちが演じた、ちょっとしたエピソードに、本当に胸を打たれた。

この映画のどこが素晴らしいかと言えば、事実を基にしているということ以上に「本物の」スポーツの力を描き上げているという、その一点に尽きる。

たとえばデンゼル・ワシントン演じる主人公は、黒人である自分の活躍があまり目立つと、白人至上主義者から命を狙われるかも、という葛藤を抱えている。米国の人種問題はそこまで根深いのだ。

だからこそ、タイタンズのメンバーが、肌の色などにこだわらないワンチームとなって、強敵を打ち負かすクライマックスは、素晴らしいの一語に尽きる。

この映画を見たならば、スポーツの力で……などという政府のお歴々の言葉が、まことに白々しく聞こえて仕方なくなるのは、私だけではないであろう。

トップ写真:スーパーボウルLV カンザスシティチーフスのダレルウィリアムズ#31は、2021年2月7日にタンパのレイモンドジェームススタジアムで 出典:Photo by Patrick Smith/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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