人にやさしい社会とSNS
安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)
【まとめ】
・生活保護の人より猫が大事と言って炎上しているYouTuber がいる。
・「人を殺してはいけない」などという当たり前の社会通念はどこかにいってしまった。
・SNS上では冷静に議論をしよう。人に優しい社会にするために。
生活保護の人より猫が大事と言って炎上しているYouTuberがいるそうな。ちょっと考えれば、インターネットで世界中にそんな言説を発信すれば、どういうことになるのか分かるはずだ。インターネットで生計の一部を立てているのだから、素人ではないわけで。なんでこんなことになるのか、ちょっと考えてみる。
子どものころ、真っ白い装束に身を包んだ傷痍軍人さんがまだ街角にいた。昭和30年代のことだ。年末になると救世軍が社会鍋の街頭募金をあちこちでやっていた。(もちろん今でもやっている)「困っている人は助けなくちゃ」こどもごころにそう思った。
小学校の4,5年 のころだったろうか。クラスにいつも身なりが粗末な小さい女の子がいた。無口でいつも下を向いていた。ほっぺに「はたけ(単純性顔面粃糠疹(ひこうしん)」が出来ていて、クラスメートが汚い、といじめるのを見ていてとても不愉快だった。一時期自分もいじめの対象になり、心底、いじめる連中を腹立たしく思った。
小学校の目の前の中学校に進むと、どチビだったわたしは、3年間で25センチも背が伸び、小学校時代のいじめっ子たちは手を出さなく(出せなく)なった。結局彼らは自分より弱そうな相手にちょっかいを出していただけに過ぎなかった。
中学時代、体の大きい奴が、小さくていかにも喧嘩の弱そうな相手に膝蹴りを喰らわして失神させたことがある。デカいやつが勝つに決まっているのに喧嘩を仕掛けるのは卑怯者のやることだとそいつに言った。どうせ喧嘩を売るなら自分より強いやつに吹っ掛ければいいんだ、と思った。
大正一桁生まれの母は戦争を生き延びた生命力の強い女性だった。一人で仙台から上京し、戦争が終わるまで日本製鋼(今のJFEスチール株式会社)で働いていた。長女でもないのに母親の面倒を見ていた。母親は「弱い者いじめは絶対するな」といつも言っていた。「電車では年寄りに席を譲りなさい」とか、「困った人は助けてあげなさい」などとも。そんなことはごく当たり前のことだと思っていた。
そんな当たり前の社会通念はいつのまにかどこかに行ってしまったようだ。フランス人の友人の女性が言っていた。エスカレーターがほとんどない東京の駅でトランクを持ってあげましょうか、と言ってくれる男性は皆無で信じられない。一度手を貸しましょうか、と言ってくれた人は年配の女性だった、とあきれ顔だった。
何が言いたいかというと、日本人はいつからこんなに人に冷たくなったのだろう、ということだ。
コロナ禍でわたしたちは人と人のきずながいかに大事か気づいたはずだ。「まさかの友が真の友」というが、思わぬ人の暖かさで救われた人は多いだろう。結局、人は一人では生きていけないものであり、気づいていようといまいと、皆、誰かの助けで生活しているのだ。
植物だろうが、野生の動物だろうが、ペットだろうが、地球上にある生きとし生けるもの、すべてが貴重な命であり、大切なものだとわたしたちは教わってきたはずだ。必要でないものなどこの世にないはずなのに。そうしたものに思いを馳せる、人に寄り添う気持ちは一体どこに行ったのか。
いとも簡単に、個人の基準で「必要あり、なし」をきめることの恐ろしさをわたしたちはいつの間にか忘れてしまったようだ。
インターネットは素晴らしい人類の発明である。SNSもしかり。誰もが情報発信できるようになったことは革命的だ。しかし、今となってはフェイクニュースをどう判別したらいいのか、という別の問題が発生している。facebookやtwitter、YouTubeなどは、差別表現などを削除する動きを見せているものの、その区分けは難しいし、すべてを瞬時に削除することは不可能に近い。一方で、巨大IT企業にどこまで力を持たせていいのかという別の議論も続いている。
写真)イメージ
出典)Photo illustration by Chesnot/Getty Images
こうしたインターネット側の「情報の取捨選択」という問題と同時に、情報を発信する私たちの側にも別な問題が突き付けられている。
すなわち、「表現の自由」の名のもとになんでも発信していいのか、という問題だ。これはすこぶる難しい。誰かをおとしめたり、差別的な発言をしたり、社会から抹殺しろ、などと扇動したりするのは、どう考えてもだめだろう。名誉棄損罪や偽計業務妨害罪、へたしたら脅迫罪や殺人教唆などの罪などに問われる可能性がある。
それなのに、そうした発言を平然とネット上ではしてしまう。これはなぜなんだろう。周りに誰も「そんな発言はやめたほうがいいよ」とアドバイスする友達がいないのだろうか?それとも炎上覚悟で確信犯的に発言しているのか?
いずれにしても、今の社会、公的な場での差別発点はNGだ。炎上したらそれに応じて結構な額のお金が懐に入ってくる仕組みが人の常識を狂わしているのだろうか。そうは思いたくないが。
自分の発言が絶えず世界中の誰かに批判されると言うリスクのあるSNSではあるが、誰かの発信にすぐさま反論できるという良い面もある。
従来反対意見は相手に伝えることは難しかったが、SNSによってそれが民主化されたことは決して悪いことではないと思う。しかし過激な物言いで、相手を攻撃することが当たり前にようになり、その結果、人々が委縮して発言を控えてしまうようになってしまっては元も子もない。当たり障りのないような意見、どうでもいいような意見しか、ネット空間に存在しなくなったら社会はどうなるだろう?
罵詈雑言の応酬は結局、わたしたちの首を絞めることになることにきづくべきだ。
ネット空間という不特定多数の人々が見ている場所で、誰かの発言が気に食わないからと言って激しい言葉で攻撃することは好ましいことではない。そこには憎悪が生まれこそすれ、尊敬や共感などは生まれようがない。ではどうするか。私は、ただ、堂々と、かつ冷静に議論を戦わせればいいと思う。
そして、今回、強調したいのは、議論のベースに、ごく当たり前の社会通念があるべきだ、ということだ。
人を殺してはいけない、人や動物や生きものの命は大切にしよう、困った人は助けよう、弱い者いじめはやめよう。単純なことだ。
発信する人も、批判する人も、そうした人としての原点に立ち返りさえれば、ネット空間だけでなく、実社会も「人にやさしい」ものになるはずだ。そういう希望をまだわたしは棄てていない。
トップ写真)ホームレス 東京 1993年06月01日(火)
出典)Photo by noboru hashimoto/Corbis via Getty Images
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この記事を書いた人
安倍宏行ジャーナリスト/元・フジテレビ報道局 解説委員
1955年東京生まれ。ジャーナリスト。慶応義塾大学経済学部、国際大学大学院卒。
1979年日産自動車入社。海外輸出・事業計画等。
1992年フジテレビ入社。総理官邸等政治経済キャップ、NY支局長、経済部長、ニュースジャパンキャスター、解説委員、BSフジプライムニュース解説キャスター。
2013年ウェブメディア“Japan in-depth”創刊。危機管理コンサルタント、ブランディングコンサルタント。