「高校3年生同士で結婚」は可能か 民法改正「18歳成人」に思う その3
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・髪型や服装を縛る校則は「学校の教育権」が優先されてきた。
・18歳同士「高校在学中の結婚を禁ずる」校則も憲法違反にならない可能性が高いのでは。
・「両性の合意」規定の下、早急に論議を深めるべきは「同性婚」問題。
かつて『おさな妻』というドラマがあった。
1970年に東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送されたもので、当時小学6年生だった私は、母親につき合って幾度か見た。
実は私の母親は女子高の教師をしていて、
「学校で大変な評判だから」
という理由で見始めたらしい。つまり最初から最後までは見ていないわけだが、私の記憶がたしかならば、母親を突然亡くして保育園でアルバイトをしていた女子高生が、自分と同様に母親を亡くした園児、さらにはその父親と親しくなり……というストーリー。
原作は富島健夫の小説で、少々いわくありげなタイトルだが(当時はもちろん、そんなことは考えなかった笑)、本当のところは女子高生・主婦・母親の三役を突然担うことになった女の子の奮闘ぶりと、周囲の人たちの温かさが人気を博したらしい。要はサッカーやラグビーを軸とした青春ドラマの女子高生向けバージョンといったところではなかったか。
もちろん今回のテーマは、そのような詮索ではない。
改正前の民法では、女性の場合16歳以上であれば、親の同意を得て結婚することが可能であったわけだが、今次の改正で18歳以上が成人と認められるようになったため、この年齢であれば、当人同士の意思だけで結婚することが可能になる。
ここで問題なのは、現在18歳の日本人の90%以上は高校在学中である、ということ。
高校生同士の夫婦、それも「できちゃった結婚」となったら、ドラマの世界どころか周囲にとってはシャレにならないのではあるまいか。
別の問題もある。校則でもって「在学中は夫婦になってはいけない」と定める学校があったような場合、これは憲法違反にならないのか。
その議論の前に、どうして結婚に法律の縛りがかかっているのか、また、その法律はどのように変遷してきたのかを見てみよう。
写真)新婚カップル(京都)。イメージ
出典)Photo by Eric Lafforgue/Art In All Of Us/Corbis via Getty Images
まず、日本国憲法第24条1項には、こうある。
「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
よく知られるように日本国憲法は、敗戦後の日本を支配していたGHQ(占領軍総司令部)の主導で起草され、草案の原文は英語で書かれている。
つまりは戦前の、大日本帝国憲法の体制下にあって、こうした男女平等の規定は存在しなかった。実際に1896(明治29)年に制定された、世に言う明治民法には、
「家族が婚姻または養子縁組をなすには戸主の同意を得なければならない」(第750条。新漢字・現代仮名遣いで表記。以下同じ)
と明記されていたのである。「親の許しを得ない結婚は非合法」であったわけだが、こうした法律があるがために、若い男女の駆け落ちや無理心中が後を絶たないのだ、という批判も当時からあったと聞く。
結婚が可能となる年齢についても、
「男は満17歳、女は満15歳に至らざれば婚姻をなすことを得ず」(第765条)
と定められていた。
こちらも少々、解説が必要だろう。
明治以前には12~13歳、あるいはもっと幼い男女(というよりは子供同士)の婚姻もよく見られたのだが、未成熟な者同士の結婚は弊害が多いとして、このような規定を設ける必要があるとされたのである。
敗戦後この条文は改正され、前述のように男性は18歳、女性は16歳からとなった。ちなみに、満20歳になれば「両性の合意のみ」で結婚することができる。さらに余談ながら、明治の民法にも、
「子が婚姻をするには、その家にある父母の同意を得なければならない。ただし男が満30歳、女が満25歳に達した後はこの限りではない」
との規定も存在した(第772条)。そのトシになったら、なんでもいいから早く結婚しろ、などということでは、まさかなかったと思うが、いずれにせよ戦前は、結婚とは「家と家との結びつき」であり、親の許しを得ない結婚などあり得ない、という意識は、相当広く浸透していた。
回りくどい説明になってしまった点は申し訳なく思うが、こうした結婚観もまた、
「日本国民は天皇を家父長とするひとつの家族」
というイデオロギーに立脚したものであると、GHQの目には映った。それこそが日本国憲法において「両性の合意のみ」で結婚できるとの条文が盛り込まれた理由だったのである。
つまり、年齢制限が本質的な問題なのではない。
今次の改正で結婚可能年齢が「男女とも18歳」になったのも、従前のように男女で差があるのは、それこそ男女平等を定めた日本国憲法の精神に反する、という理由なのだ。
すると、高校生同士が夫婦になることに対して学校が反対する、もしくは校則で禁止すると言うことは、可能なのか。
法曹関係者の中には、憲法第24条1項との整合性を欠くので、そうした対応は難しいだろう、と見る向きが多いようである。
本当にそうだろうか。
まず、理由はどうあれ年齢制限がかかっている時点で「両性の合意のみで結婚できる」わけではなくなっている。しかしながら、この規定について違憲訴訟が提起されたという話は寡聞にして知らないし、そのように主張する憲法学者がいるという話も聞かない。
さらに言えば、髪型やスカートの丈などに校則の縛りをかけている例は多いが、これも杓子定規に言えば、日本国憲法が定めた表現の自由(第21条)に抵触するだろう。しかし、学校には教育権がある、という考え方の方が優先されてきたのだ。
こうした次第なので、高校生同士の夫婦の是非をめぐって憲法判断を求める訴訟が提起されたとしても、そのような校則は憲法違反である、との判決が下される可能性は、さほど高くないのでは、と私は考える。
最後に、これは成人年齢の問題と直接の関係はないが、日本国憲法第24条1項の解釈をめぐって、早急に論議を深めるべきは「同性婚」の問題ではないだろうか。ここまで繰り返し述べてきたように、結婚の条件は「両性の合意」のみで、同性婚はそもそも想定されていない、というのが目下のところ法曹界で多数派を占める意見のようである。
しかしながら、条文を素直に読む限り、同性婚を認めていない、とも考えにくい。
この問題は、いずれ項をあらためて見ることにしよう。次回は、少年法改正と民法・憲法との兼ね合いについて考えてみたい。
トップ写真)イメージ
出典)Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。