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.国際  投稿日:2022/8/17

ドイツ戦後史とロシア系ドイツ人 戦争と歴史問題について その4


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・学校教育・社会教育の両面でナチス・ドイツの「負の歴史」を払拭しようとしている。

・ロシアのプロパガンダを信じる高齢のロシア系ドイツ人と、「ロシア憎し」の若い世代の間で分断が生じている。

・ともに敗戦の憂き目を見た日本とドイツだが、戦後史の姿も、今次の戦争に対する見方も、同列に論じられるものではない

 

1970年代、私がまだ中学生くらいだった頃の話だが、日本人がドイツへ行くと、地元の人たち=ドイツ人から、

「今度はイタリア抜きでやろうぜ」

などと話しかけられる、という都市伝説(当時そのような言葉はなかったと思うが)が広まっていた。もう一度なにをやるのかと言うと、戦争である。

そうした手合いも絶無ではないのかも知れないが、基本的にこの話に真実性などはなく、それどころか、たとえば右手をまっすぐ挙げるナチス式の敬礼を人前で行うような行為は、刑法の「民衆煽動罪」に抵触するとして、罰則規定まである。

新型コロナのパンデミックが起きる以前の話だが、中国人観光客の一団が、そのポーズで集合写真を撮ったりしたところ、警察に連行されて罰金刑に処せられたと、日本でも報じられた。

今回この原稿を書くために、本誌にも幾度か寄稿している、ミュンヘン出身のサンドラ・ヘフェリンさんに情報の確認を求めたところ、

「ドイツでは結構有名な話ですよ……罰金の額ですか?たしか日本円で数万円くらいなものだったと思いますけど」

と教えてくれた。

もうひとつ、日本国憲法を改正すべきだと主張する人たちが好んで口にしていたのは、

「ドイツは戦後50回以上(正確には20世紀末までに61回)も憲法を改正している。日本が一度も改正しないのはおかしい」

ということである。ドイツに憲法はなかった、ということをご存じないらしい。

第二次世界大戦に敗れた結果、ドイツは東西に分割された。新たに民主国家として再出発したドイツ連邦共和国、俗に西ドイツと呼ばれた国であるが、この国が定めていたのは「基本法」である。そして、その末尾には、

「(基本法は)統一が成し遂げられた際には効力を失う」

と明記されていた。また、分断などさほど長くは続くまい、と考えられていたため、人権条項など、本当に基本的な事柄しか規定されていなかったのである。この結果、分断が長引くと共に、繰り返し手直しが必要になったまでの話である。

さらに、連邦国家であったため、中央政府と州政府との力関係が、幾度となく政争のテーマとなり、総選挙で与野党の力関係が変わるたびに基本法も改正されたというのが事実だ。さらには、1990年に再統一が実現した時点では、基本法はすっかり国民の間に根を下ろしていた。最終的にほぼ「改正されることなく」ドイツ憲法となったのである。

戦後史がまったく異なるのに、ドイツが頻繁に憲法を変えているからわが国も……というのでは、

「バスに乗り遅れてはならない」「西に欧州新秩序、東に大東亜共栄圏」

と言ってヒトラーの尻馬に乗った愚挙を本当に反省しているのか、という話ではないか。

今回のテーマである「戦争の記憶」についても、サンドラ・ヘフェリンさんに色々と質問したのだが、煎じ詰めると、

「日本のように、終戦を記念する式典が大々的に執り行われることはありませんが、毎年5月になると(ナチス・ドイツが降伏したのは1945年5月8日)、TVや雑誌が、アウシュビッツの記録とか、ユダヤ人問題を忘れてはいけない、という特集を組みますね」

ということであった。

移民労働者の排斥などを訴え、民族主義的な活動を続ける、ネオナチと呼ばれているグループでさえ、取材のマイクを向けられた時など、口を揃えて、

「俺たちはナチじゃない。今のドイツのために闘っているんだ」

と言う。旭日旗を掲げた街宣車が、大音量で軍歌を流しながら走り回れる国とは、やはり事情が異なるようである。

学校では戦争について、どのように教えるのかも聞いてみたが、ロシアと同様、小学校レベルでは日本風に言うと「読み書きそろばん」を教えるだけだが、彼女が通ったミュンヘンのギナジウムでは、歴史問題について「結構みっちり」教えられたそうだ。

余談ながらドイツの教育システムは俗に「三分岐方式」と呼ばれていて、6歳から学校教育を受けるのは日本と同じだが、初等教育は4年間で、おおむね10歳までの成績により、大学進学を目指すギナジウムか、全日制の職業学校への進学を前提としたレアルシューレ、職人を養成するハウプシュトーレに振り分けられる。就学年数は州によって異なり、また、最近はこうした区別のない、ゲザムシュトイーレと呼ばれる学校もある。

いずれにせよ、学校教育・社会教育の両面でナチス・ドイツの「負の歴史」を払拭しようとしているわけだが、日本の政界や言論界にしぶとく生き残っているような「歴史修正主義」の動きは見られないのだろうか。

とりわけロシアによるウクライナ侵攻を受けて、ドイツは国防政策を転換し、予算も大幅に増額された。さかのぼれば20世紀の二度の大戦で、いずれもロシア・ソ連邦を敵として戦った、その歴史はどう受け取られているのか。

これまたサンドラ・ヘフェリンさんによると、

「まっとうなドイツ人であれば、ヒトラーは実は正しかった、なんて口が裂けても言いませんけど、プーチンのやったことがあまりにひどいので、少し風向きが変わってきたという感じは受けますね」

「歴史を見つめ直せ、と言うのなら、原発を止めた穴埋めにロシアから大量の天然ガスを買って、プーチンに莫大な外貨収入をもたらした、その歴史はどうなんだ、という議論は、結構ポピュラーになってきています」

というのが実情らしい。さらに、

ロシア系ドイツ人のコミュニティーにも、深刻な影響が及んでいるみたいです」

とも聞いた。

ロシア系ドイツ人、というのは私にとっても新奇な知識であったが、1763年以降、多数のドイツ人が職や土地を求めてロシアに移住したが、前述のように2度の大戦でドイツとロシアが敵味方になったことから次第に差別を受けるようになり、ソ連邦崩壊後の経済的混乱もあって、多数がドイツへ「再移住」したそうだ。今やその数250万人に達するという。

在日のコリアンが50万人弱で、なおかつドイツの総人口が日本の4分の3ほど(約8324万人=2000年の統計)であることを考えると、相当な数字である。

そのロシア系ドイツ人のコミュニティーだが、年配の人たちは、そもそもロシア語が母国語になっていたという事情もあって、ロシア政府のプロパガンダを信じてしまう人も少なくない。ウクライナのゼレンスキー大統領が、NATO加盟の意向を示したことが戦争のそもそもの原因だ、というように。

これに対して、ドイツで生まれた若い世代は「ロシア憎し」の風潮に染まりやすい。世代が分断されてきている、というわけだ。

かつて同盟国として、ともに敗戦の憂き目を見た日本とドイツだが、戦後史の姿も、今次の戦争に対する見方も、同列に論じられるものではないのである。

トップ写真:ベルリンの戦いで壊された国会議事堂と人々(1945年7月1日、ドイツ・ベルリン) 出典:Photo by Galerie Bilderwelt/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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