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.社会  投稿日:2022/2/1

「さらなる改正」では解決にならない 民法改正「18歳成人」に思う 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・民法から親の「懲戒権」を削除し、体罰禁止を明文化すれば、児童虐待は減るのか。

・11年改正の「子の利益のため」追記で、何か好転したか。罰則規定もなく意味はあるのか。

・対症療法的な法改正は少年犯罪、子供虐待への根本的解決にならない。

 

少林寺拳法の修練の一環として、少年部(小学生以下)の指導をさせていただくこともある。「教えることは学ぶこと」なのだ。

このような話をすると、時折、

「言うことを聞かない子に体罰とか、そういうこともありますか?」

といった質問を受けることもある。怒鳴りつけるくらいのことは割と頻繁にあるが、直接手を出したことは、数えるほどしかない。

もう10年ほども前の話になるが、東京の道場で、修練を終えた後、一人の高校生が、あろうことか私の面前でタバコをくわえたものだから、次の瞬間「振り突き」を見舞った。

しばし痛そうに顔をさすっていたが(ビンタと違って握拳=俗に言うグーだから)、以下、このようなやりとりになった。

「先生は、高校時代タバコ吸わなかったんですか?」

「いや、吸ったよ」

「じゃ、なんで殴るんですか!」

まあ聞け、と前置きして、私はこう諭した。

「酒もタバコも、突っ張ってケンカするのも、女の子にちょっかい出したくなるのも、誰もが通る道だ。それは分かってる。だけど、誰もが通る道の途中で、取り返しのつかない事故に遭う奴もいるからな。大人はそういうことを見過ごしてはいけないんだ」

わかりました、と言ってタバコをしまった彼だったが、どうもその後も禁煙には至らなかったようだ。

それにしても殴ることはないだろう、と言われるかも知れない。批判は甘受するが、自己批判するつもりはないし、後悔もしていない。すべては後輩の健全な成長を願ってのことだ。

少林寺拳法を創始した開祖・宗道臣も、

「口で言ってわからなければ殴ってでも分からせるのが本物の愛情」

だと生前よく語っていたと聞く。私は「開祖を知らない第一世代」なので、肉声に接したことはないのだが。

どうしてこのような話を始めたかと言うと、18歳以上を成人とするなど、改正された民法が4月から施行されるが、それに先駆けて「さらなる改正」に向けた動きが見られるからだ。

民法は基本的な親子関係についても定めており、第822条において「懲戒権」なる文言があるのだが、時事通信が1月5日に配信したところによると、法務大臣の諮問機関である法制審議会は、この文言を削除し、体罰を禁止する規定を新設する方針を固めたという。

理由はここ数年、児童虐待事件が頻発しているが、そうした親が決まって

「しつけのためだった」

と主張するからで、言い換えれば懲戒権が免罪符のようになっているのではないか、との指摘がなされていた。

もちろん反対論や慎重論もある。煎じ詰めて言うと、世の親たちが萎縮してしまって、しつけもできなくなるのではないか、ということらしい。

▲写真 法制審議会第193回会議(2022年1月17日)。写真は法務大臣挨拶を代読する津島法務副大臣。 出典:法務省ホームページ

この懲戒権という言葉の初出は、1890(明治23)年に公布された旧民法822条で、以下のような条文であった。

「親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる」(新字・現代仮名遣いで表記。以下同じ)

今読むと、かなり乱暴な規定だが、敗戦後、日本国憲法が公布されるなど、我が国の法体系が大幅に改められた際も、なぜかこの条文は新民法に引き継がれた。ただ、懲戒場もしくはそれに相当する施設など存在せず、いわば形骸化していたのである。

そして、2011年に民法が一部改正され、以下のような条文となった。

「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」(第820条)

「親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲でその子を懲戒することができる」(第822条)

問題は、この時の一部改正も、児童相談所が扱う「虐待が疑われるケース」が急増したことからなされた、ということだ。

さらに言えば、一読してお分かりのように「懲戒することができる」とあるだけで、具体的な懲戒の範疇・手段については、なにも書かれていない。「必要な範囲」も同様で、これではたしかに「しつけのためなら、なんでもあり」と解釈する親がいるかも知れない。

だが、逆もまた真なり、と言う。

民法から懲戒権の文言を削除し、体罰禁止を明文化したら、それで虐待が減るなどと、法制審議会のお歴々は本気で考えておられるのだろうか。また、2011年に「子の利益のため」という文言を加えて、なんらかの好影響が見られたのか。

子供が泣きやまないこととか食事を残すとか、そんな理由で命に関わるほどの暴行を加える親が、自分の行為が法に照らしてどうかなど、判断できるとも思えないし、そのような手合いが、

「しつけのつもりだった」

などと言い張るのは、弁護士に入れ知恵されたのでなければ、単なるバカのひとつ覚えだろう。大体、民法で体罰を禁じても、それ自体に罰則規定が伴わなければ、どうすることもできないではないか。

個人的な意見ではあるが、虐待を減らすためと言うなら、むしろ児童福祉法の一部を改正して児童相談所の権限を強化し、虐待が疑われるケースでは、早い段階で警察が介入することも可能にした方がずっとよい。

家庭内の問題に安易に介入するのはいかがなものか、という反論も出るかも知れないが、これも私に言わせれば、虐待で命を落とす子供までいるのに、それを「家庭内の問題」で済ませてしまう人の方が、よほどどうかしている。

前回取り上げた少年法もそうだが、対症療法的に法律を手直しして行く今のやり方では、少年犯罪に対しても虐待や家庭内暴力に対しても、根本的な解決になどならないし、それでは法治国家と呼べないのである。

(このシリーズ了。その1その2その3その4その5。全6回)

トップ写真:成人式に向かう新成人たち(2020年1月13日 東京・練馬区) 出典:Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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