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.政治  投稿日:2022/2/16

朝日新聞とヒトラー その1 自紙のヒトラー利用はどうなのか


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・菅直人元首相の「ヒトラー発言」を、朝日新聞が批判的に報じているのを見て驚いた。

・朝日新聞こそ自分たちが嫌う相手に「ヒトラー」「ナチス」などの言葉を使ってきた。

・事実と異なる情報や見解は危険である。朝日新聞にはその「ゆがみ」が多い。

 

立憲民主党の菅直人元首相のいわゆる「ヒトラー発言」がなお波紋を広げている。周知のように菅氏は1月21日の自身のツイッターで日本維新の会の代表だった橋下徹氏に対して「ヒトラーを思い起こす」と発信した。「主張は別として弁舌の巧みさでは」と条件をつけてはいたが、維新側は猛反発した。

維新の馬場伸幸共同代表は菅氏に対して「非道の限りを尽くした独裁者になぞらえた侮辱発言だ。断じて見逃すことはできない」と抗議して、発信の撤回と謝罪を求めた。だが菅氏は応じていない。

この騒ぎを朝日新聞が2月9日の朝刊で報じていた。「『ヒトラー』引き合いに出した政治家発言 識者は」、「不用意に持ち出すべきでない」、「日本の見識が問われている」、などという見出しだった。

私はこの記事をさらりと読んで、驚いた。つい苦笑せざるをえなかった。なぜならこの記事は他者をヒトラーになぞらえることには批判的な見解を伝えていたからだ。朝日新聞がヒトラーへの比喩を使った菅直人氏に対して「不用意」とか「日本の見識が問われる」という表現で批判し、反対している趣旨なのだ。

私が驚き、苦笑したのは、その朝日新聞こそ長年にわたり、自分たちが嫌う相手にはヒトラーとかナチスという侮蔑的な言葉を浴びせてきた最大の当事者だったからだ。だが今回の記事はそんな自分たちのこれまでの実績はさらりと無視して、ヒトラー発言はけしからん、という立場を報じているのだ。では長年の自社の悪しき慣行をついに改めるということなのか。

ただし正確にいえば、この記事は朝日新聞自体の見解を報じるよりも、菅発言をよくないとする識者の意見を単に紹介していた。この記事は小手川太朗、石井潤一郎という両記者の署名入りだった。だが内容は朝日新聞としての自主的な見解らしき記述はなく、いわゆる識者の見解を客観的に伝えていた。以下がその核心部分だった。

「ヒトラーは絶対悪の象徴であるのは明らか。菅氏に限らず政治家は不用意にその名を持ち出すべきではない」(東京大大学院の石田勇治教授)

「ヒトラーは演説のうまさより何より人道に対する罪人。欧米で『ヒトラーみたい』と言えば、大量虐殺のような連想を生む。その理解が足りない」(法政大大学院の白鳥浩教授)

「ポピュリズムの例えで用いるのは軽々しい。相手にレッテル貼りをしたかったのだろうが、日本の見識が問われている」(同、白鳥教授)

以上はきわめて常識的な見解である。国際基準にも合致する。だから両教授とも菅氏の発信に対して「理解が足りない」、「軽々しい」、「日本の見識が問われる」と、手厳しく非難したわけだ。要するに「ヒトラーのようだ」とか「ヒトラーみたい」という他者へのレッテル貼りはよくない、と明快に断じたのである。

だが2022年2月9日の朝日新聞のこの記事は、朝日自身の少なくともここ20年ほどの紙面上での表現や主張とは正面衝突する。なぜなら前述のように朝日新聞自体がこれまで頻繁にこの「ヒトラーのようだ」式のレッテル貼りを続けてきたからだ。朝日新聞は自分たちの嫌いな相手への攻撃では「ヒトラー」、「ナチス」、「ファッショ」というののしり用語を気軽に使ってきたのだ。

だが今回の記事では菅直人元首相がまったく同じレトリック(言語表現)を使ったことに対して「不見識」とか「理解が足りない」と非難する見解を報道しているのだ。朝日新聞はこの記事で年来の自社の慣行の非を認めたのだろうか。

もし万が一、そうであれば、日本のニュースメディア界では大事件だといえよう。私の長年の朝日新聞ウォッチでも革命的な出来事となるだろう。

▲写真 アドルフ・ヒトラー(1938年3月 ベルリン) 出典:Photo by Keystone/Hulton Archive/Getty Images

さて、その点はさておき、この稿では朝日新聞のこれまでのヒトラー利用の政敵攻撃の手法の実例をあげていく。その過去の実例と今回の菅ヒトラー発言非難と思われる記事との整合性を提起したい。

その前に私自身が朝日新聞をこうして論評することの背景を改めて説明しておこう。

朝日新聞はいまでもなお日本の主要新聞、有力メディアである。社会の木鐸などという新聞を評する言葉はもうすでに腐ってしまったが、朝日新聞が日本社会の公器である現実は否定できない。多数の日本国民の読者にニュースや意見を伝えるわけだ。受け手の側はそこから自分の意見や認識を形成していく。

だがその受け手に与える情報や見解が根元からゆがんでいる場合、偏向している場合、あるいは事実と異なっている場合には、日本国民に有害となる。事実と異なる情報や見解は危険である。朝日新聞にはその「ゆがみ」が多いのだ。私自身がきわめて実証的にそのゆがみに気づいたのはもう半世紀も前だった。

私は毎日新聞と産経新聞の両方で記者を務めた。その毎日新聞記者時代の1972年4月、まだ戦火の激しく燃える当時の南ベトナムの駐在特派員となった。そのベトナム戦争について私は日本では主として朝日新聞の報道や評論によって一定の認識を築いていた。簡単にいえば、「アメリカがベトナムに軍事侵略し、現地の人民と戦い、抑圧している」という基本構図を信じていたのだ。

だが現地のベトナムで暮らしてみると、大違いである現実がわかった。南ベトナム国民の大多数はアメリカ軍の支援を望んでいた。ソ連と中国に支援された北ベトナムの共産主義政権への反発が強かった。そもそも南ベトナムで起きた戦争の主役は朝日新聞が報じたように「南ベトナムの民族解放勢力」ではなく「北ベトナム共産党政権の正規軍」だった。

それ以後、朝日新聞が「ソ連国内でも自由や人権が認められている」「中国では林彪将軍がなお健在」などという種類の虚報、誤報を発信する実例を体験してきた。朝日新聞は国際報道だけでも、これほどのゆがみを示すのだから、日本の国家や国民の国際認識にとってきわめて有害だと感じるようになった。

そうした朝日新聞に対する批判的な検証は新聞、雑誌に限らず、単行本でも総括して、発表してきた。

その実例は『朝日新聞の大研究』(井沢元彦、稲垣武両氏との共著。2002年、扶桑社)、『なにがおかしいのか? 朝日新聞』(古森義久の単著。2014年、海竜社)、『朝日新聞は日本の「宝」である』(同。2014年、ビジネス社)などである。

私の朝日新聞への評論は要するに単に競争相手の新聞だからなどという次元ではなく、長年の国際報道の現場で痛感した危険なゆがみの体験とその報告なのである。

では今回の主題である朝日新聞とヒトラーについての報告を続ける。

(その2につづく)

トップ写真:「ヒトラー」発言で物議を醸している菅直人元首相。 出典:Photo by Kaz Photography/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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