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.政治  投稿日:2022/3/12

ようやく「4島返還」に回帰か 「固有の領土」「主権有する」が復活


樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

・岸田首相らは「北方4島」について、「日本固有の領土」「不法占拠」の表現を復活した。

・安倍内閣による「2島返還」から「4島返還」に立ち戻ることを意味する。

・ロシアをウクライナ侵略の追加制裁で追い詰め、領土問題でも譲歩を引き出せ。

  

「2島返還」論という“妖怪”がようやく姿を消すか。

岸田内閣が、「北方4島」について、安倍内閣以来避けてきた「日本固有の領土」「ロシアの不法占拠」の表現を復活、従来方針に立ち戻ることを鮮明にした。安倍内閣当時の「シンガポール合意」で打ち出された「2島返還」から「4島返還」に立ち戻る意味合いもある。

ロシアのウクライナ侵攻に対する制裁もあって、領土交渉の進展が期待できなくなったことが背景にあるようだ。

主権放棄につながる「2島返還」が放擲されたことは慶賀に堪えないが、一時でも「2島返還」論が跳梁した以上、今後の交渉は困難なものになろう。

■ 外交的配慮あったこと認める

岸田首相は3月7日の参院予算委員会での答弁で、国後、択捉、歯舞、色丹の北方4島について、「わが国固有の領土」「わが国主権を有する領土」との見解を表明した。

林外相も翌8日の参院外交防衛委員会で同様の認識を強調し、さらに同日の記者会見で、「ロシアによる北方領土の占拠は、法的根拠を何ら有していないという意味で不法なものだ」と述べ、やはり政府がこれまで控えてきた「不法占拠」の表現を用いて日本政府の見解を説明した。

外相はさらに、「外交的観点から、そうした表現を避けてきた。いまの状況では、平和条約交渉の展望について申し上げる状況にないので、それを踏まえて、“わが国固有の領土”、“わが国を主権国が主権を有する島々”といっている」と述べた。

首相、外相の説明を整理して“意訳”すると、北方4島について「領土交渉への配慮から“日本固有の領土”、“不法占拠”という言葉を避けてきたが、ウクライナ侵攻で、わが国がロシアへの制裁を発動、領土交渉の見通しが立たなくなった。もはや、遠慮する必要がないので、従来の強い表現に戻した」ということだろう。

首相答弁、外相発言をうけて、各メディアは、「固有の領土」「不法占拠」という表現によって従来の原則に立ち戻ったと一斉に報じた。

それはそれで正しい見方だ。

しかし、ここはむしろ、言葉の問題だけでなく、「2島返還」から「4島返還」への回帰という、より意義ある転換に踏み切ったと解釈すべきだろう。

3月7日の参院予算委で小西洋之議員(立憲民主・社民)が「北方4島・・」という言葉を2度繰り返し、明確な表現で質問したのに対する首相答弁だったことからも明らかだ。

■ 首相、方針転換の機会をさぐっていた?

振り返ってみれば、岸田首相、林外相らは、政権発足直後から、安倍内閣が打ち出したシンガポール合意(これについては後述)、それに伴う「2島返還」の見直しを示唆するような発言をしていた。

首相は就任直後の2021年10月7日、プーチン大統領と電話協議の後、「北方4島の帰属問題を明らかにして平和条約を締結する。これが従来の政府の基本的考えだ」と明確に説明した。

林外相も2022年1月13日、日本記者クラブで会見した際、「(北方領土の)交渉の対象は4島の帰属の問題だ」とやや踏み込みながら、明確に「4島」に言及。4島の名が盛り込まれている1993年の「東京宣言」、2001年の「イルクーツク声明」にもわざわざ触れた。

3月7日の首相答弁は、これらの”集大成”とみていい。

就任以来、「2島返還」からの決別のタイミングをはかっていた首相が、ロシアのウクライナ侵攻、それに対する日本の経済制裁で領土交渉が停滞し早期返還が遠のいたとみて、「4島返還」回帰を鮮明にしたという推測が妥当だろう。

首相が3月3日の記者会見で「いまは平和条約交渉の展望について申し上げることはできない」との認識を示したことも、そうした見方の根拠になりうる。

首相は3月9日、安倍元首相と議員会館で会談したが、7日の答弁が大きく報じられた直後だったことから、「シンガポール合意」を進めた安倍氏に経緯を説明、その見直しについて、了解を求めた可能性がある。

■ 固有の領土、歴史的経緯で明らか

北方4島が日本固有の領土であることは、両国の国境を択捉島とウルップ島の間ーと定めた1855(安政元)年の日魯通好条約以来、明らかであり、いまさら論じる必要はあるまい。

ロシアの前身、旧ソ連は昭和20年8月15日の終戦のドサクサに紛れて、北方4島に侵攻し、今日まで不法占拠を続けている。

ウクライナといい、1979年のアフガニスタン侵攻といい、他国を侵略することに何ら罪悪感を感じないのがロシア、旧ソ連だ。 

日本は一貫して、「4島は固有の領土」として返還を要求してきたが、先方は拒否する姿勢を崩さなかった。

1956年、ソ連との「共同宣言」が調印され、両国は国交を回復、「歯舞」「色丹」の2島を平和条約の締結時に、日本へ「引き渡す」ことが同意された。

国後、択捉の名が盛り込まれなかったことが禍根を残す原因となったが、大戦によるシベリア抑留者の帰国、国連加盟を急ぐ当時の日本としては、ぎりぎりの選択だった。

日本はその後も粘り強い交渉を進め、4島を列記した東京宣言(細川護熙首相とエリツィン大統領)、イルクーツク声明(森喜朗首相とプーチン大統領)にこぎつけ、鉄壁ともいうべきソ連、ロシアの強い姿勢を少しづつ崩してきた。

 シンガポール合意で従来方針崩れる

2018年になって安倍首相(当時)は、この問題を一気に進展させようと、プーチン大統領とシンガポールで会談、「1956年の共同宣言を平和条約交渉の基礎とする」ことで合意した。

このことは、とりもなおさず、歯舞、色丹の2島返還へと方針を変更することを意味する。

日本国内からは、自ら国後、択捉を放棄することに強い批判が少なくなかった。

安倍氏は「わたしたちの主張をしていればいいというものではない、それで一歩も進まなかった」(シンガポール合意直後の国会答弁)などと正当性を強調した。

▲写真 安倍晋三首相(当時)とプーチン露大統領の会談(2018年11月14日 シンガポール) 出典:Photo by Mikhail Svetlov/Getty Image

しかし、ロシアは「4島返還」放棄という大幅譲歩にもかかわらず、これに応じる意思を持たず、シンガポール合意が失敗に終わったことが明らかになっていた。

安倍内閣は、その収拾をつけることなく退陣、後継の菅内閣も1年の短命でおわったため、岸田内閣がシンガポール合意についてどのような方針をとるかが焦点になっていた。

 計り知れない「2島返還」の悪影響

ともあれ、岸田内閣の「4島返還」回帰が本モノだとしたら、歓迎すべきだろう。しかし、将来、領土交渉が再開されたとしても、難航が予想される。

いったん「2島返還」を受け入れてしまった後では、「4島返還」に立ち戻ったところで、先方が応じてくるとは思えず、結局は「2島」をめぐる攻防になってしまうだろう。

繰り返しになるが、「2島返還」のもたらした災厄は大きかったというべきだ。

■ 経済担当相は廃止すべき

今後、日本のとるべき道は、対ロシア制裁のいっそうの強化だ。

安倍政権当時に決定された北方領土での共同経済活動について政府はこれまで態度を明らかにしていなかったが、松野官房長官は3月11日の記者会見で、見直しを明らかにした。松野氏は、「ウクライナ情勢を踏まえれば、ロシアとあらたな経済分野での協力を進める状況にない」と述べた。

遅きに失したというべきだろうが妥当な判断だ。

次の手としては、ロシア経済協力担当相(萩生田光一経産相が兼任)のポスト廃止、石油・ガス事業「サハリン1、2」についての再検討だ。

共同活動中止に加え、閣僚ポスト廃止、サハリンでの石油・ガス事業から撤退すれば、ロシアのウクライナ侵略に対する追加制裁にもなる。”一石二鳥”だろう。

ロシアを追い詰め、孤立させることは、先方を柔軟姿勢に転じさせ、領土問題での譲歩など好影響をもたらすかもしれない。

トップ写真:露ウクライナ侵攻を受けて記者会見に臨む岸田首相(2022年2月25日) 出典:Photo by Rodrigo Reyes Marin-Pool/Getty Images




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

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