北方領土「4島返還」に立ち返れ「2022年を占う!」日露関係
樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・日ソ共同宣言65年は、領土問題停滞で盛り上がりを欠いた。
・安倍政権の「2島返還」にロシアが冷ややかなことが原因だった。
・岸田政権は、日本の基本姿勢「4島返還」に立ち返るべきだ。
2021(令和3)年は、日本と旧ソ連が国交を回復した1956(昭和31)年の日ソ共同宣言から65年周年にあたった。
節目の年であることを知る人は少なかったろう。盛り上がりもまったく感じられなかった。
共同宣言に盛り込まれた平和条約交渉、それに伴う北方領土問題の停滞が大きな理由であることは明らかだ。
一時高まった「2島返還」の機運もすっかりしぼみ、2022年の日露関係は冷静時代のそれに逆戻りするだろう。
■盗人猛々しいロシアの抗議
12月26日の北海道新聞電子版によると、ロシア外務省報道官は、東京・新宿で同月初め開かれた北方領土のパネル展に関して、モスクワの日本大使館幹部を呼び、抗議したことを明らかにした。
パネル展は北方領土の地元、根室周辺の1市4町が主催し、北方領土の歴史的経緯をつづったパネル約100点が展示された。
報道官は「違法な領土要求の催し」、「挑発行為」と非難した。
「盗人猛々しい」という品のない言葉が、これほどまでにふさわしいことはほかにあろうか。
写真)2021年12月1日から根室市などの主催で開かれた「北方領土に関するパネル展」(東京・新宿駅西口広場)
出典)根室市公式フェイスブック
■「2島返還」めぐる熱気はどこに
思い起こせばちょうど3年前、2018年のこの時期は、シンガポールでの安倍晋三首相(当時)とプーチン大統領による会談の直後。北方4島のうち、歯舞、色丹の2島返還が実現するのではないかと、メディアが連日報じ、国会論戦でも取り上げられていた時期だった。
そうした熱気は、いまや、すっかりしぼんでしまった。日本側のはしゃぎぶりとは打って変わって、ロシアには返還の意思が全くないことが明らかになったからだ。
■「56年宣言は2島返還」の誤り
「シンガポール合意」について振り返ってみる。
安倍首相とプーチン大統領は2018年11月のシンガポールでの会談で、1956年の「日ソ共同宣言」を基礎に平和条約交渉を加速させると合意した。
日本の各メディアは、「確実な2島返還狙う」(読売)などの大見出しで、首相が従来の「4島返還」から方針を大きく転換したと報じた。
「日ソ共同宣言を基礎」にすることがなぜ、2島返還につながるのか。
共同宣言9条には、「ソ連は日本の要望、利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を引き渡す」と明記されている。時期は、「平和条約が締結された後」となっているため、その後、平和条約交渉は領土交渉と同義語となった。
「引き渡し」の対象が「歯舞」「色丹」に限られる宣言に基づいて交渉を進めるなら、「国後」「択捉」は返還の対象にならないという解釈が成り立つ。
しかし、共同宣言にさきだつ56年9月、ソ連側から日本側にあてた書簡で、「領土問題を含む平和条約締結交渉の継続に同意する」旨が明確に記されている。
歯舞、色丹の「引き渡し」は宣言に盛り込まれているのだから、「領土問題」といえば、国後、択捉の2島に他ならないことは、自明の理だろう。
日本政府も56年以後も一貫して4島返還を要求してきた。
写真)日露首脳会談(2018年11月14日 シンガポール)
出典)Mikhail Svetlov/Getty Images
■前のめりだった安倍政権
シンガポール会談直後、安倍首相は国会審議の場などで、「私たちの主張をしていればいいということではない。それで(戦後)70年間まったく(状況は)変わらなかった」などと述べ、「4島返還」要求を放擲して「2島返還」へと方針を転換したことを事実上明らかにした。
あたかもこれまでの政府方針が誤りだったという批判にも聞こえた。1993年に来日したエリツィン大統領と細川護熙首相(いずれも当時)による「東京宣言」に4島の名が明記され、その帰属問題の解決が明記された経緯などは全く無視された。
安倍氏は、「次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領との手で必ずや終止符を打つ」とも述べ、翌2019年6月の大阪G20(20カ国・地域首脳会議)までに返還を実現させたいという前のめりの姿勢だった。
■空手形か密約反故か
しかし、翌年1月、モスクワを訪問した安倍氏は見通しが甘かったことを思い知る。
プーチン大統領との会談の詳しいやり取りは明らかにされていないが、その態度は堅く、2島であっても返還に応じる姿勢を見せることはなかった。
会談後、安倍氏は「戦後70年以上残された問題の解決は容易ではない」と述べ、「必ずや解決」などと得意げに見せた自信は消え失せていた。
シンガポールでロシア側が〝空手形〟を切ったのか、何らかの密約があったもののロシア側が反故にしたのか、真相は不明だが、プーチン大統領、ラブロフ外相らは現在に至るまでも、強硬な態度、発言をとり続けている。
2021年は北方領土で軍事演習を繰り返し、7月下旬には、ミシュスチン首相が択捉島訪問を強行した。同時期、プーチン大統領は、北方領土について昨年の憲法改正で盛り込まれた「領土割譲の禁止」条項に言及、北方4島を返還する意思のないことをいっそう明確にした。
■岸田首相は、方針を決定し、説明を
安倍首相はその後、シンガポール合意を維持するのか、見直すのか明確にしないまま病を得て2020年初秋に突然退陣。後を襲って登場した菅義偉政権も、何らの決定をすることなく、1年で総辞職してしまった。
岸田政権の対露政策の輪郭が明らかになるまでには至っていない。首相は就任直後の2021年10月7日、プーチン大統領と電話で話し合った際、シンガポール合意を含め、過去の諸合意を踏まえて平和条約交渉に取り組むことを確認した。
首相は電話協議後、「4島の帰属を明らかにして平和条約を締結するという基本方針は従来とは変わりがない」とも報道陣に説明した。
歯舞、色丹の「2島返還」という安倍政権の方針を変更するという意味か。しかし、会談では「シンガポール合意」を互いに確認しているのだから、判然としない。
12月6日の臨時国会所信表明演説でも、首相が述べた対露関係のくだりは、「領土問題を解決、平和条約を締結する方針のもとに関係全体の発展を目指す」という一言だけだった。
岸田首相は、北方領土問題に臨む方針を、国民に明確に説明しなければなるまい。
2022年は当面、日露首脳が会談または接触をもつ機会は公表されておらず、先方に直接日本の方針を説明する場はないが、国民向けの説明が先方へのメッセージになるだろう。
写真)記者会見する岸田文雄首相(2021年12月21日 首相官邸)
出典)Yoshikazu Tsuno – Pool/Getty Images
■2島返還維持なら主権の放棄だ
北方4島は、旧ソ連が終戦の混乱に乗じて不法に占拠した日本固有の領土だ。
それについては、さまざまな論考があるので、ここで触れることは避けるが、歯舞、色丹に限った2島返還をめざし、国後、択捉両島を断念する方針は、わが国固有の領土つまり主権を自ら放棄することにつながる。
そもそも、国後、択捉の協議継続を認めた56年のソ連側書簡、4島の名がはっきりと盛り込まれた1993年の東京宣言の存在をことさら無視し、2島返還だけを強調するのはなぜか。牽強付会というほかはない。
誤った対応は、「奪った土地であっても、居座りさえすれば、日本はいつかはあきらめる」という誤ったメッセージを内外に発することになり、尖閣、竹島問題にも深刻、重大な影響を与えるだろう。
岸田政権は、国益を損なう「2島返還」を断念し、困難ではあっても「4島返還」という従来の日本政府の方針で進むことを鮮明にすべきだ。
領土、主権を自ら放棄することは法治国家として許されない。
トップ写真)北方領土返還要求全国大会(2019年2月7日)
出典)首相官邸ホームページ
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この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。