現、元首相「対露」で丁々発止の論戦 岸田氏、安倍外交検証の重要性認める
樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・衆院予算委員会で、岸田首相と野田元首相が、安倍政権時代の対露外交をめぐって、真剣勝負を展開した。
・元首相の追及を受けて、岸田首相は安倍対露政策について「検証が重要」と述べた。
・本来、国会で追及を受けるべきは、プーチン大統領との個人的関係を過信、国民に領土返還の幻想を与えた安倍氏自身だ。
■「国会かくあるべし」印象付けた真剣勝負
現、元首相による国会論戦は、さすが見ごたえがあった。
野田元首相(立憲民主)が6月1日の衆院予算委員会で、安倍政権の対露政策の問題点を指摘、岸田首相に検証を迫った。首相は、自ら外相として関与した経緯もあり、真正面から受けて立った。メモも見ず、丁々発止の応酬が展開された。
双方の主張が折り合うことはなかったが、揚げ足取り、はぐらかしが横行する最近の国会で、「国会かくあるべし」と感じさせる真剣勝負の趣をみせた。
結果は押し気味に進めた元首相が際どい判定勝ちーというべきか。首相は、安倍政権の対露政策が検証に値することを実質的に認めざるを得なかった。
この論争の影の主役は、いうまでもなく安倍元首相。狂気じみた独裁者、プーチン大統領との〝個人的友情〟によって北方領土問題を解決しようともくろんだ外交的失策を総括するのは岸田首相ではなく、むしろ安倍氏だろう。
写真:国際連合総会にてシリア内戦について意見を交わす野田元首相(2016年9月)
出典:Photo by Spencer Platt/Getty Images
■野田氏、クリミア併合後の甘い制裁批判
野田氏は質問の冒頭、首相在任中の2012年6月、メキシコ・ロスカボスで行われたプーチン大統領との最初の会談で、2時間近く待たされたことに触れた。岸田首相もやはり最初に会談した際、先方が2時間も遅れてきたことを紹介、プーチンの手練手管をめぐってまずは盛り上がった。
本題に入った野田氏は、安倍政権での対露外交の大きな節目について「検証しなければならない」として、最初に2014年のロシアによるクリミア併合への対応をとりあげ、日本の制裁が極めて弱く、しかも決定が各国より10日も遅れたことへの疑問を投げかけた。
クリミア併合前ではあったものの、ロシアのソチで開かれた冬季五輪に、アメリカ、フランスなど各国首脳が人権侵害を理由に見送ったにもかかわらず、安倍首相が出席したことについても、「価値観外交といいながら、ロシアには甘い」と皮肉たっぷりに批判した。
当時外相だった岸田首相は「ソチ五輪には、イタリア、オランダなどの首脳は参加した。甘かったというが、各国それぞれの事情があった。ロシア、ウクライナ双方に働きかけて緊張緩和を実現するというのが国際社会の動きだった」と当時の国際環境を説明した。
■首相、北方領土での日本人活動の意義強調
野田氏が次に取り上げたのは、16年5月の首脳会談で安倍首相が表明した8項目の経済協力、同年12月、安倍氏の地元・山口での首脳会談で決まった北方領土での共同経済活動だ。
「経済協力を行えばロシアが態度をやわらげ、領土返還に応じると期待したが、ロシアは石ころひとつ返さなかった。先方のジャパンマネー引き出しに乗せられ、食い逃げされた。精緻な議論ないまま進んでいったことはきびしく反省すべきだ」と口を極めて非難、岸田首相の見解を求めた。
首相は「北方領土で日本人、日本企業が活動する環境を作ることは重要であり、1956年の日ソ共同宣言以来、先人たちが取り組んできた課題だった」と説明。「それぞれの法的地位をめぐって結論を出せなかったが、枠組みをつくって法的に位置づけようと合意したのは、領土交渉において重要なことだった。最大限努力した結果で不当ではなかった」と真っ向から反論した。
■元首相、「シンガポール合意は後退」
検証要求のしめくくりとして、野田首相は18年11月のシンガポール合意をとりあげた。
「56年の日ソ共同宣言を平和条約交渉の基礎とする」という合意内容について、(1993年10月の)細川護熙首相とエリツィン大統領(いずれも当時)との会談では、4島の帰属を解決して平和条約を締結するとなっているにもかかわらず、2島の引き渡しだけがうたわれている56年宣言を交渉の基礎とすることは、大きな後退、痛恨の極みだ」と迫り、総括を求めた。
■岸田首相「日本の立場に変化なし」と強調
岸田首相は「56年宣言は2島の扱いは明らかにしているが、残り2島もあきらめたわけではない。引き続き帰属を明らかにしていく」と答え、シンガポール合意はあくまでも、歯舞、色丹の「2島先行返還」にすぎないことを強調。「だからこそ、シンガポール合意以後も、4島の帰属を明らかにして平和条約交渉を進めるという日本の立場を何度も明確にしている。方針が変わったわけではない」とも述べ、立場が不変であると力説した。
岸田首相の答弁は一貫して強気だったが、安倍氏はシンガポール合意の後、「われわれの主張をしていればいいということではない。それで戦後70年間、一歩も進まなかった」(合意直後の衆院予算委員会)などと述べ、2島返還への方針変更だったことを明確に認めている。
それを考えれば、岸田首相の反論も勢いを失うというべきだろう。
■元首相「検証がリアリズム外交の一歩」
論戦の最後で、元首相は「経済協力で領土が返ってくるという甘い幻想を振りまいたのは安倍元総理だ」「2島返還は将来、北方領土交渉が再開するときに負の遺産になる」と重ねて安倍対露外交を激しく非難。加えて、岸田首相が「新時代のリアリズム外交」を標榜していることに関して、「安倍外交以降の問題をしっかりと政府の中で総括するのが、その一歩だ」と迫った。
■首相「経緯を念頭に、領土考えるのが重要」
岸田首相は「2014年以降の対露外交のありかたは不適切だったとは思わない」と反論しながらも、「これまでの日本外交がどうであったのかをしっかり振り返りながら、前を見つめなければならない」「現在の状況に至った経緯を頭に置きながらロシアとどう付き合っていくのか、北方領土問題にどう取り組むのか、考えていくのは重要なことだと思う」とも述べた。
実際に検証作業を行うかはともかくとしても、安倍対露外交が、検証に値することを認めた発言であり、岸田首相にとっては、ぎりぎりの答弁だったろう。
■追及されるべきは安倍元首相その人
首脳同士の丁々発止は、大きな主張で平行線のまま終わったが、この間、元首相は野党議員にありがちな声を荒げて罵倒することはなく、理詰めで追及。岸田首相も、自らの外相当時の動きに詳細に言及しながら、丁寧に所信を展開した。
岸田首相は、そうした表情は一切見せなかったが、内心、野田元首相の主張に同感していたのかもしれない。
というのも、昨年秋の就任以来、安倍政権の方針を修正、「4島の帰属を解決して平和条約交渉を進める」と従来の日本政府の基本方針に明確に立ち返っているからだ。
本来なら、衆院第一委員室の岸田首相の席に安倍氏その人が座り、〝証人〟として、国民の信を問うこともなく「2島返還」を強行しようとした失政について、国民に説明、謝罪すべきだったろう。
1日の論戦終了後、議員会館の野田事務所に、有権者からの電話が相次いだという。「よく言ってくれた」という称賛がほとんど、中には「自民党支持者だが、全く同感だ」というのも何件かあったという。
トップ写真:ロシア訪問でプーチン大統領へ表敬する岸田元外務大臣
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この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。