愛菜よ、死ぬな! 方言とソウルフードについて その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・香川県出身、都内在住の大学生が「まじで半径1キロメートル圏内にうどん屋ないの死ぬ」とツイート。香川の食文化について考えるきっかけになった。
・『UDON』という映画が、人口100万の香川県にうどん屋が900軒以上あると紹介。
・『四国新聞』によると、うどんをソウルフードとして愛する香川県民の糖尿病発症リスクは他県に比べて高い。
タイトルを見て、一体何が起きたのかと思われた読者もおられようが、そういう名前の女の子がいるというだけの話。有名な女優と同名だが、こちらの名前の読み方は「まな」ではなく「あいな」だ。
個人情報を無闇に拡散するのはよろしくないので、当人が公開しているプロフィールをさらに簡略化してお伝えさせていただくと、香川県丸亀市にある高校の少林寺拳法部OGで、現在は都内の大学に通っている自称ショウリンジャーである。
修行歴30年を超す私だが、そんな呼び名は初めて聞いた……という話ではなくて、3月中旬に彼女のツイッターを偶然読んで、目が点になった。
いわく
「まじで半径1キロメートル圏内にうどん屋ないの死ぬ」
おいおいおい……まじで点になった目がひとまず元に戻ったところで、まず疑問に思ったのは、23区内にある大学で、そんなことがあり得るだろうか、ということ。ちょっとした規模の駅には、必ずと言ってよいほど立ち食い蕎麦屋があって、うどんも食べられるのだが。しかしGoogleマップで即座に検索できる昨今、命がけで探してもないというのだから本当にないのだろう。もしくは、あれをうどんとは認めていないか笑。
そもそも、香川県の基準で期待されても、と言わざるを得ないので。
2006年に公開された『UDON』という映画(末広克行監督、ユースケ・サンタマリア主演)で仕込んだ知識なのだが、人口1200万の東京にマクドナルドがざっと500軒あるのに対し、人口100万の香川県には、うどん屋が900軒以上あるのだとか。
写真)きつねうどん。カリフォルニア・サンラモンの丸亀製麺にて撮影。(2022年3月30日)
私自身も、この連載で複数回語らせていただいたと思うが、総本山少林寺で修行するために香川県の多度津町(丸亀市とは隣接している)というところに住んだ経験があるので、たしかに「うどん県」の名は伊達ではない、という程度の認識はあった。また、香川県で生まれ育った拳士の知り合いも大勢いる。くだんのショウリンジャーとは、本山のイベントなどで面識があったというだけの話だが。
ともあれ私と同じ昭和世代のジモティに、どのくらいの頻度でうどんを食するものなのかと尋ねたところ、
「ほとんど毎日。多いときは1日2回」
という答えが返ってきた。さらには、前述のうどん屋とマクドナルドの話も、
「それも全盛期の話ではないでしょう。全盛期には、香川県では交通信号よりうどん屋の数の方が多い、とまで言われたくらいですから」
と教えられた。知識とお金はいくらあっても邪魔にならない、というのが私の座右の銘なのだが、こんな知識が一体なんの役に立つのかは分からない……などと言いつつネタにしているわけだが。
映画つながりでさらに言えば、以前この連載でも紹介した『青春デンデケデケデケ』(1992年公開・大林宣彦監督)も香川県の観音寺市が舞台。時は1960年代、ベンチャーズに感化されてロックバンドを立ち上げた高校生たちの物語だが、なんと毎回うどん屋でミーティングをしていた。
あれはおそらく、マクドナルドもファミレスもなかったからだろう、くらいに考えていたのだが、どうやらそこまで単純な話でもなかったようだ。考えてみれば自宅や学校内でもミーティングはできるわけで。
香川県人にとって、うどんこそソウルフードなので、うかつに
「うどんがなければラーメン食べればいいのに」
などと口走ろうものなら、ヒンシュクを買うどころか、最期は断頭台かも知れないのだ笑。
私自身はと言うと、麺類ならなんでもいけるので、それゆえ若い頃からイケメン作家と呼ばれていた……というのは嘘だが、無論うどんも嫌いではない。
しかし、うどん県に住んだからと言って、それほど足繁くうどん屋通いをすることもなかった。
理由は単一ではないのだが、ひとつには「意外に高い」ということがある。
東京のうどん屋チェーンでは通常「小」が1玉で「中」は1.5玉、そして「大」が2玉だが、うどん県ではそれぞれ1玉、2玉、3玉となる。私はいつも大を注文するので、よく
「3玉ですが、よろしいですか」
と店の人に聞かれたものだが、これは余談。
なにも入っていないかけうどんでも、大は400円くらいする。天ぷらを2個くらい追加すると600円以上。これなら牛丼の大盛りを食べた方が安くて満足度も高い。
それ以上に、香川県のうどん屋には、致命的な欠陥があった。大半の店が午後3時くらいに閉店してしまうのである。
開店時間はまちまちだが、朝6時に開く店も少なくない。つまり、ジモティが1日2回食べることもあるというのは、朝・昼食をうどんで済ませるということなのだろう。
それのなにが悪い、と言われるかも知れないが、私見ながら栄養源としてのうどんの価値とは、消化が良くてすぐエネルギーになる、ということだろう。私としては、道場に行く前の腹ごしらえにはちょうどよいはずだった。満腹で修練するのは考えにくいことだが、と言って空きっ腹を抱えていてもスタミナの点で問題が残る。サッカー日本代表は、キックオフの1時間半前に、うどんやおにぎりで炭水化物を摂ると言うではないか。3時前に食べたら、7時過ぎから修練を始めた時点では、何も食べていないのと同じになる。
実はかの地のうどん文化には、栄養の観点から見ると問題がある。だいぶ前に『四国新聞』の記事を読んで、おやおや、と思ったことがある。
香川県民はうどん屋に行くと、十中八九おにぎりかいなり寿司を一緒に注文する。その結果、いわゆる炭水化物の重ね食いになってしまって、糖尿病の発症リスクが他県に比べて大分高いのだとか。これまた古参の本部職員などに言わせると、
「うどんにおにぎりは、合うんや」
で片付けられてしまうのだが、私は特に感化されなかった。単に、それで大を頼む客が珍しいのか、と納得しただけである。専門家ではないので、うどんの「大」と「小プラスおにぎり」で、いかなる違いがあるのかまでは分からないが。
別のジモティからは、こんな質問を受けたこともある。
「東京はやっぱり蕎麦の文化なんですか?」
私は、そうですね、と答え、そこでやめておけばよかったのだが、こんな風に続けた。
「昔ながらの江戸っ子の言い方だと、蕎麦食い(そばっくい、と発音する)というのは蕎麦が大好きで味にもうるさい人のことだけど、うどん食い、というのは大阪の人間に対する悪口なんですよ」
相手は苦笑いしていただけだったが、内心はどうであったか。単にこちらが少林寺拳法大拳士ということでトラブルに発展しなかった、などということでなければよいのだが笑。
蕎麦の文化については項を改めるとして、たった1行のツイートから、あらためて食文化について考えるきっかけを得た。書き手のショウリンジャーに贈る言葉。
「死ぬな!」
(つづく)
トップ写真)香川県琴平町で働くうどん職人たち。(2013年1月1日)
出典)Photo by Jacob Jung/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。