意外と深い「時そば」の世界観 方言とソウルフードについて その4
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・噺の蕎麦屋をほめちぎるやりとりに、江戸時代の「B級グルメの神髄」が描かれている。
・「卓袱(しっぽく)」の由来、箸とフォークの歴史、器と素材選び、江戸後期の国風文化の成熟…。
・知識を仕込んで『時そば』を聞けば、江戸落語と日本の食文化の、新たな魅力に気づく。
今回この記事を書くために、いつもは「空き時間の友」でしかないYouTubeに、検索ワードを入力して2時間あまり視聴した。色々な師匠の『時そば』を聴くためだが、特に面白かったのは、若手の噺家さんが上げた動画で、
「このところずっと、蕎麦をたぐる(食べる)練習して、少し自信がついてきたから、近いうちに高座にかけてみようかな」
「でも、あまりにポピュラーなんで、やりにくいんだよね」
などと語っていた。
たしかにこの噺は、見ている方まで蕎麦が食べたくなるように演じられないうちは、高座にかける(寄席で演じること)べきではない、などと言われているらしい。芸事はなんでもそうだが、基本的なものほど難しいのだ。
ストーリーだけなら、ご存じの向きもおられようが、屋台の夜鳴き蕎麦屋で、16文(現在の貨幣価値で500円ほど)の代金を、
「銭、細けえんだ(小銭しか持っていない)」と言って「ひい、ふう、みい」と数えつつ渡して行き、途中で「何時(なんどき)だい?」と問いかける。蕎麦屋が反射的に「へえ、ここのつ(深夜零時前)」と答えるや、すかさず「じゅう、じゅういち……」とやって一文ごまかす。
これを陰から見ていた男が、からくりに気づいて「俺もやってみよう」と翌日、小銭を懐に蕎麦屋を呼び止めるのだが、あとは是非とも実演を見ていただきたい。個人的に大好きなのは柳家喬太郎師匠の噺で、特にマクラの部分が『コロッケそば』という一席になっており、シャレがきついを通り越して、もはや無茶苦茶だが、とにかく笑える。
もともとは上方落語の『時うどん』で、三代目の柳家小さんが改作して江戸に持ち込んだと聞くが、私がこの噺を好んで聴くのは、釣り銭をごまかす描写などより、最初の蕎麦屋をほめちぎるやりとりの中に、江戸時代の「B級グルメの神髄」が描かれているからだ。
まず、注文するのが「しっぽくそば」。
漢字を当てると「卓袱」で、本来はテーブルクロスのことだ。
江戸時代の長崎において、オランダ商人を接待すべく和風の懐石料理を出したが、食べ方の分からない相手はとまどうばかり。そこで中華料理に倣って大皿に盛り合わせたところ、今度は喜んで食べた。
これが長崎名物・卓袱料理の起源なのだが、やがて京都で、松茸や山芋など、今の感覚でもかなり豪華な具を乗せたうどんを「しっぽくうどん」と称するようになり、それがさらに江戸の蕎麦屋に伝わって「しっぽくそば」となったらしい。ただ、江戸時代の文献には「しっぽくそば」という名前だけ記され、どのような具が乗っていたのか、よく分からない。噺の中では、厚切りのちくわが入っていて、これまた世辞の対象となる。
つまり、当時としては結構モダンな食べ物だったことが分かる。これを、蕎麦好きのためのサイトと称しながら「ちくわを入れたかけそば」と書いていた人がいる。薬味のネギ以外に、なにか具が入っていれば、それは「種物(たねもの)」であって、断じてかけそばではない。本を書く前に本を読め、という格言もあるが、この程度のことも知らない人に蕎麦についてのウンチクなど語って欲しくない。
話を戻して、お待ちどうさま、と出された時、
「お待ちどうじゃねえや。早いじゃねえか蕎麦屋さん。江戸っ子は気が短けえからな」
などと、また褒める。江戸っ子に限らず、およそファストフードを注文したら、待たされるのは嫌いな人が多いのではないか。私も、評判のラーメン屋で、やむを得ず行列したことはあるが、基本的には、そこまでして食べたいとは思わない方だ。
牛丼の吉野家のキャッチフレーズは「早い、安い、旨い」であったが、実はその裏に、
「生娘をシャブ浸けにするように、田舎から出てきた若い女性を牛丼中毒にする。男に高い食事をおごってもらえるようになると、牛丼食べたがらなくなるから」
などというマーケティング戦略が隠されていたことを、最近知った。マーケティングに関する講演会でこんなことを言った常務は解任されたらしいが、当人が、シャブ(覚醒剤)はともかく、なにか悪いものでも食べたのではあるまいか。
写真)牛丼 (当時、BSE発生により米国産牛肉の輸入に関する日米協議が行われた) 2004年1月23日
出典)Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images
またしても『時そば』に話を戻して、新しい割り箸を供され「きれいごとで、気持ちがいいや」と言う。
少し前、森林資源保護の観点から割り箸はよろしくない、などと言われ「マイ箸」を持参するのがブームになったことがある。その際、
「割り箸は間伐材の再利用なので、むしろエコなのだ」
という反論がなされた。しかし、江戸時代では木材と言えばまずは建材、そして間伐材なども、もっぱら燃料として利用されていたので、客の一人一人に割り箸を出すのは、たしかにコスト面での負担がバカにならなかったろう。
箸についてさらに言えば、ヨーロッパでナイフとフォークを使う食事法が普及したのは、17世紀頃のことである(イタリアではもう少し遡れるらしいが)。それ以前はと言うと、肉をナイフで切って、そのまま突き刺して食べ、最後はナイフの切っ先を爪楊枝のようにして、歯の間に挟まった肉をそぎ取っていたのだ。これでは危ないから、ということでフォークが普及したようなわけで、1000年以上も前から箸を使いこなしてきたわれら大和民族に対して、したり顔でテーブルマナーとやらを説く手合いなど、それこそ「攘夷」の対象にしてよいとさえ思う。
まあ、洋食がこれだけ普及した今、テーブルマナーの有用性そのものまで否定する考えはないが、音を立てて蕎麦を食べるのはマナー違反だ、などと言われると、江戸っ子を自認してなどいない(板橋区出身なので笑)私でさえ、
「べらぼうめぇ、そば湯で顔洗って出直してきやがれ、この南蛮かぶれのスットコドッコイ」
などと、啖呵のひとつも切りたくなってしまうのだ。
さらには「ものは器で食わせる、ってえが、ほんとだな」などと言って、丼まで褒める。
これまたヨーロッパを引き合いに出すと、食器に絵付けをするようになったのは、東洋からの影響に違いない。詳細な歴史についてまで私の調べは行き届いていないが、英語で陶器のことをChina、漆器のことをJapanと表現することからも、容易に想像できることではないだろうか。
フランス料理など、器や盛り付けにこだわるのではないか、と言われるかも知れぬが、あれはそもそもヌーベル・キュイジーヌ・フランセーズ(新しいフランス料理)と言って、素材の選び方から盛りつけまで、和食から強い影響を受けたものなのだ。
前々からよく言われていることだが、江戸時代の後期と言えば、日本の国風文化(ごく大雑把に言えば、10世紀以降、中国文化から相対的に自立して発展してきた文化)が、もっとも成熟した時期で、屋台の蕎麦ひとつにも、それが反映されている。
こうした知識を仕込んだ上で『時そば』を聞いたなら、江戸落語と日本の食文化の、新たな魅力に気づくことができると思う。
トップ写真)ニューヨーク「松玄」のごまだれ蕎麦 アメリカ・ニューヨーク
出典)Photo by Ramin Talaie/Corbis via Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。