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.国際  投稿日:2022/5/11

プーチン演説にサプライズなし


宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)

「宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2022#19」

2022年5月9-15日

【まとめ】

・対独戦勝記念日のプーチン露大統領演説で「勝利」や「併合」宣言がなかったのは、ロシアの苦戦と劣勢を鑑みれば驚くことではない。

・ウクライナを「主権国家」として認めることになる上に、総動員できる大兵力が残っていないため、宣戦布告はなかった。

・プーチン大統領がようやくロシアの状況を正確に理解し、演説の内容をトーンダウンしたものか。

 

今週は外交関連イベントが盛り沢山だったため、掲載が一日遅れてしまった。過去数日間に、戦勝記念日におけるロシア大統領の演説韓国新大統領の就任演説フィリピンでの大統領選挙があった。何かサプライズでもあるかと思ったが、結果的にあまり「驚き」はなかった。これが筆者の正直な感想である。

まずはプーチン演説から始めよう。一部メディアは同演説で「ロシアの勝利」が喧伝され「宣戦布告と総動員」が発表される可能性がある、などと報じていた。案の定、時事通信は「演説ウクライナ侵攻を正当化 対独戦勝記念日、ロ大統領が演説―『総動員と併合』言及せず」という記事を配信している。「勝利」や「併合」宣言がなかったのは、十分な戦果がなかったからだ。勿論、ロシアと同様、米国も「情報戦」を戦っており、米国やウクライナ発の「戦況情報」がすべて正しいという保証はない。それにしても、現在ロシアは誇るべき戦果を出せないでいる。そんな中で「勝利」を宣言しても、逆に内外から突っ込まれるのが関の山だろう。

宣戦布告」などと言い出したのは英国防相だったと思うが、筆者は当初から懐疑的だった。宣戦布告は「主権国家」に対するものだろうから、戦争を宣言すればウクライナの「主権」を認めることになるからだ。宣戦布告で国内の「総動員」が可能になるとも言われたが、今のロシアに「動員」可能な大兵力が残っているかは疑問だ。

その意味では「勝利も、併合も、総動員も」ない演説にサプライズはない。むしろ、プーチン大統領がウクライナ国内でのロシア軍の苦戦と劣勢をようやく正確に理解し、それを前提に演説内容をトーンダウンした、もしくは、そうせざるを得なかったのだと思う。これからプーチン氏が「戦略的に正しい判断」をしてくれれば良いのだが。

▲写真 ロシアの戦勝記念日パレード 出典:Photo by Contributor/Getty Images

続いて、韓国の新大統領について。保守系の尹錫悦新大統領は演説で北朝鮮に核開発中断を求める一方、日韓関係の改善や米韓同盟の強化など具体的な外交方針には言及せず、単に「自由と人権の価値に基づいた普遍的な国際規範を積極的に支持し、グローバルリーダー国家としての姿勢を示す」と述べた、などと報じられた。

日本は林外相を派遣、記者会見では何を聞かれても、「日韓関係のこれ以上の悪化を放置してはならないという認識で一致し、早期に解決すべく、ハイレベルも含め、スピード感をもって協議をしていくことで一致した」と繰り返し述べていた。記者団は大いに不満だろうが、筆者はこうした寡黙さも「プロの外交」だと思っている。

日本が首相ではなく外相を派遣したのは正しい判断だ。極論を言う人を除けば、日本での相場観は、「韓国側が日韓関係改善を望んでいるとしても、従来の経緯もあり、ボールは日本側にはない。言葉も大事だが、行動が伴わなければ日本としても動きようがない。当面は様子見」といったところだろう。急がば回れ、である。

フィリピンの大統領選挙はマルコス候補の圧勝だったが、これも予想通りだったので、詳細は追ってコメントする。

さて、恒例の英語表現だが、今週はMAGAなる表現を取り上げる。4月20日付NYTWith or Without Trump, the MAGA Movement Is the Future of the Republican Partyと題する興味深い投稿を掲載している。 

ここでいうMAGAとはMake America Great Againの略で、元々は1980年代レーガン大統領が使った言葉だ。最近になってトランプ候補が使い2016年の大統領選挙で勝利したため、今はレーガン主義というより、トランプ主義を示すキャッチフレーズになりつつある。トランプは敵対者を「He is not MAGA」などと批判している。

件のNYT稿の結論は「トランプがいるか、いないかでトランプ主義がより強力になるかどうかは不明だが、MAGA運動が弱体化する兆候はない。Whether Trumpism is more powerful with Trump or without him is still an open question, but the MAGA movement shows no real sign of abating.」となっている。実に恐ろしい話ではないか。

最後に、今週最も大きなショックを受けたのは慶応大学の中山俊宏教授のご逝去である。日本のアメリカ通の中でも中山さんの視点と感覚は圧倒的に鋭かった。アメリカについて筆者の目が曇ったなと思った時、筆者が最も頼りにしたのは中山教授の論評だった。日本は実に惜しい人を失った。心から、心から、ご冥福をお祈りしたい。

〇アジア

ロックダウンを続ける中国上海市当局が住民を強制的に隔離施設に送っているのは違法だとして、中国の憲法学者が「直ちに中止すべし」と批判する意見書をウェイボ上で公表したという。投稿は即時削除されたが、実に勇気ある知識人を中国はまた一人失ったことになる。こんなことが一体いつまで続くのか。

〇欧州・ロシア

スウェーデンの連立与党・社会民主労働党が同国のNATO加盟申請の是非を近く正式に決めるという。同党が申請に賛成すれば議会で賛成派が多数となる。一方、フィンランドの世論調査ではNATO加盟支持が、以前の20-30%から、ロシアのウクライナ侵攻を経て今は76%に達したという。プーチンの判断ミスは高くついたものだ。

〇中東

米シンクタンクが発表した中東諸国での世論調査で、中東、特にペルシャ湾岸のアラブ諸国で米国の影響力が低下し、逆にロシアが存在感を強めていることが明らかになったそうだ。湾岸アラブ諸国が対イラン抑止で頼りにするのは米国のバイデン政権ではなく、イスラエルになりつつあるのだろうか。隔世の感のある結果である。

〇南北アメリカ

アメリカで武器貸与法が復活したという。ロシアの軍事侵攻が続くウクライナなどに対し軍事物資を迅速に貸与することが可能となるらしいが、こんな法律が再び制定されるとは思わなかった。やはり、今は1930年代の「勢いと偶然と判断ミス」が支配する時代に戻りつつあるのだろう。

〇インド亜大陸

スリランカの首相が辞任した。インフレを巡り数週間抗議デモが続いていたが、デモは暴徒化し、外出禁止令の下で軍に出動を要請する騒ぎが続いていた。同首相は実弟である同国大統領に辞表を提出したというが、こうした事態を中国は如何に見ているのだろうか。今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きは今週のキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。

トップ写真:5月9日にモスクワで行われた戦勝記念日パレードに出席するプーチン大統領 出典:Photo by Contributor/Getty Images




この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表

1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。

2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。

2006年立命館大学客員教授。

2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。

2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)

言語:英語、中国語、アラビア語。

特技:サックス、ベースギター。

趣味:バンド活動。

各種メディアで評論活動。

宮家邦彦

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