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.国際  投稿日:2022/5/30

陰謀説の危険 その3 日本を傷つけた捏造文書


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・陰謀説文書「田中上奏文」は「日本による世界征服の計画書」と受け止められ、全世界で日本のイメージを一気に悪化させた。

・戦後、捏造だと立証されたが、中国はその後も歴史教科書で事実として教えてきた。

・捏造文書には「アメリカを倒さねばならない」とも書かれていた。陰謀説は一国の運命を変えるほどの重大な危険をも発揮しうる。

 

近代の世界の歴史までをも変えたとされる陰謀説の紹介を続けよう。

第一はこの連載の二回目の記事で伝えたユダヤ陰謀説の原典、「シモン賢者の議定書」だった。

第二の歴史的に広く知られた陰謀説文書は「田中上奏文」である。この捏造文書は日本をまともに傷つけた。

1929年ごろから中国で広範に語られるようになったこの「田中上奏文(メモランダム)」はまずアメリカで誕生した。その内容は当時の日本が中国の軍事支配、さらには全世界の制覇までを狙っているのだという帝国主義的な野望を示す記述だった。

アメリカで生まれた後、すぐに中国に流され、反日の最大宣伝材料のように幅広く官民に伝播した。やがてヨーロッパへも広がった。その結果は全世界規模の日本への敵意や反感のエスカレートだった。

この文書も後に完全な捏造だったことが証明された。だがすでに遅し、という部分も大きかった。中国や欧米ではその捏造文書に記された日本の野望を事実と受けとり、官民の両方のレベルで日本への敵対や憎悪を燃え立たせる効果を生んだからである。

この捏造文書は第26代内閣総理大臣の田中義一が1927年に昭和天皇へ「極秘に呈した上奏文」の翻訳であるとされていた。具体的には「中国の征服には満蒙(満州・蒙古)の征服が不可欠で、また世界征服には中国の征服が不可欠である」という意見の上奏だとしていた。だからこの文書は「日本による世界征服の計画書」だとされた。

1927年といえば、昭和2年である。日本は現実にはこの時点で中国大陸での勢力拡大という動きはみせていなかった。中国では国民党の蒋介石が南京に新政府を樹立していた。その蒋介石もこの年には日本を訪問し、中国共産党との闘争への日本の協力を求めていた。

日本は中国大陸ではアメリカやイギリスとの関係もまだ対決はなく、両国が日本と共同で自国の国民や権益を守るために出兵するという行動までとっていた。だが「田中上奏文」なる偽文書がその日本のイメージを一気に変えたのだった。とくに中国では国民党、共産党の別を問わず、この偽文書に依存して、日本を邪悪な世界征服企図者として描いていった。根拠のない陰謀を記した捏造文書を事実として扱ったのである。

しかも中国では日本が敗北した後もこの「田中上奏文」を歴史上の事実として扱い、高校生用の歴史教科書では史実として記載し、生徒たちに教えていた。なんと私が産経新聞中国総局長として北京に駐在した2000年の時点でもこの世紀の捏造文書が事実として中国の若者たちに教えられていたのだ。これこそ陰謀説が事実や現実の領域に組みこまれる悪例の極致だといえよう。

「田中上奏文」がまったくの捏造だったことは戦後まもない東京裁判の過程でも立証された。

その後のアメリカの歴史研究でも再三再四、偽造であることが裏づけられた。だが中国では2000年の時点でなお歴史教科書で事実として教えられていたのだ。

中国の高校生用の歴史教科書「世界近代現代史下巻」は1920年代後半の日本の動きについて、まず田中義一内閣が中国大陸への侵略的政策を強めたことを強調していた。

以下のような記述だった。

「1927年、軍閥の田中義一が組閣を果たし、中国への武力干渉を強めるようになった。日本は中国の山東省へ出兵し、『済南事件』というのをでっちあげ、とくに中国東北部への侵略を進めた。田中内閣は『東方会議』で『対華政策綱領』を制定し、中国東北部と内蒙古は中国本土とは区別して考えることを明示するようになった。この考えは事実上、東北部と内蒙古は中国から分割し、日本が占領するという方針だった」

同教科書は田中内閣のそうした侵略性の根拠として「田中上奏文」を紹介していた。生徒の目を特に引くように特別のコラム風の囲みの記述だった。

「1929年、中国の雑誌が(田中内閣の)『東方会議』の秘密文書の存在を報道した。その文書は『田中上奏文』とされ、『支那を征服しようと欲すれば、まず満蒙を征服せねばならない。世界を征服しようと欲すれば、まず支那を征服せねばならない。わが国は満蒙の利権を手に入れ、満蒙を拠点に貿易などの仮面で支那四百余州を服従させ、全支那の資源を奪うだろう。支那の資源をすべて征服すれば、インド、南洋諸島、中小アジア諸国、そして欧州までもわが国の威風になびくだろう』という内容だった」

この捏造文書には「中国を制圧するにはアメリカを倒さねばならない」とも書かれていた。だからアメリカへの挑戦と受けとられた。日本の侵略性を全世界に対し、いっきょに印象づける歴史的な文書とまでされたのだった。日本の立場を悪くする世紀の陰謀説文書だったわけである。

陰謀説というのは一国の運命を変えるほどの重大な危険をも発揮しうるという歴史上の実例だったといえよう。

(その4につづく。その1その2

トップ写真:第26代内閣総理大臣・田中義一(右)(1921年頃)「田中上奏文」は戦後、捏造と立証された。 出典:Photo by Buyenlarge/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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