「新しい資本主義」は新しいのか?
神津多可思(公益社団法人 日本証券アナリスト協会専務理事)
「神津多可思の金融経済を読む」
【まとめ】
・「新しい資本主義」実行計画案は、人への投資、イノベーションの促進、新興企業の育成などが核となっている。
・米国型資本主義とは違う価値を重視するという主張は織り込まれていない。
・もっとミクロに踏み込んで丁寧な政策を立案・実行することこそが「新しい資本主義」に中味を入れることになるのでは。
岸田政権は「新しい資本主義」をスローガンとして掲げている。言葉が先行し、何を意味するのかが必ずしもはっきりしないとの批判の声も聞くが、要するに、これまで日本が目指してきた資本主義とは違う資本主義を目指そうということなのではないか。
今日、日本社会の様々なところに滲み出ている閉塞感を思えば、これまでと同じことを目指していけば良いという議論にはなかなかならない。では一体、何がこれまでとは違う新しさなのだろうか。
■ 成長か分配か
日本企業の低収益性、日本経済の低成長を是正するためには、規制を緩和し、競争的環境を作り、イノベーションを促進することが重要という一連の議論が繰り返しなされてきた。しかし、結局のところ、それらの点が目に見えて改善されたとは言えない。だから、片方では、まだまだ努力が足らないので、ここで綱を緩めるべきでないという主張もある。成長と分配という対比で言えば、成長が足りないという議論だ。
他方、格差、地球環境破壊などの問題が新聞紙上で取り上げられない日はない。そうしたことが問題となっているのには、これまでの成長・効率至上主義の帰結という側面があることは否定できない。今後、何か改善を図るとすれば、安全・安心、安定、持続性といった別の価値に、社会としてより重点を置くことになる。例えば分配重視という議論だ。
さらに、こうした対比とは離れるが、金融経済と実体経済の乖離に対する漠とした不安もあるように感じる。特に米国で顕著だが、現在の株価、住宅価格が持続可能なものなのか、これまでの強力な金融緩和によって行き過ぎが生じているのではないかという不安だ。
そもそも、2000年代の終わりに起こった国際金融危機は、高収益、高成長の飽くなき追及という貪欲さの帰結だったという反省もある。さらには、そのような米国型資本主義、あるいは新自由主義への反発から、今日の例えば中国のように、米国型ではない経済を実現しようという動きが生まれたとも言うことができるだろう。
「新しい資本主義」も、経済運営の重心を、収益・成長最優先とは違う軸へと少しずらそうということなのだと思うが、しかし、日本は米国型資本主義へのキャッチ・アップがなお不十分なところも多い。そこでの方針修正となると、これまでのモメンタムとの整合をどう図るかといったことも含め、ある種の戸惑いが生じても不思議ではない。
収益、成長、効率を指向する価値観と、安全・安心、安定、持続性を重視する価値観のバランスをどうとるか。かつ、日本の社会が受け入れることができるようなバランスとはどういうものか。「新しい資本主義」の模索は、そういう問い掛けでもある。
今日の米国経済は、圧倒的勝者が全体の成長を牽引している。所得格差を拡大させながら、経済全体としては日本より高い成長を実現しているのである。元々、日本はそういう経済を実現したかったのだろうか。さらには、日本の社会はそういう経済を受け入れることができるのであろうか。
▲写真 日米豪印首脳会合(クワッドリーダーズサミット)に出席する岸田文雄首相(2022年5月24日) 出典:Photo by Yuichi Yamazaki/Getty Images
■ 日本の新しい資本主義
先般、政府から「新しい資本主義」実行計画案が発表された。内容をみると、人への投資、イノベーションの促進、新興企業の育成などが核となっており、上述の分配の面よりは成長の面が前面に出ているとの論評が多い。
議論の本質がバランス論だという整理をすれば、部分を取り上げての論評はあまり意味がないが、日本経済の元気を取り戻すという観点から、今回の実行計画案に盛り込まれた施策は非常に重要である。現在、日本経済が置かれている新しい環境にフィットした持続性のあるビジネスの分野へと、ヒト・モノ・カネの経営資源を円滑にシフトさせていくことは、日本経済の活性化に不可欠だ。
しかし、政治的な配慮なのであろうか、新しさの部分、即ち、持続性といった面からの価値をより重視していくという面は、今回の実行計画案ではあまり明示的に触れられていないようだ。本当は、これまで目指してきた米国型資本主義とは違う価値を重視するという主張が織り込まれていなければ、新しい資本主義にはならない。
参議院選挙を前にアピールできる内容にはならないのかもしれないが、所得の再分配にまで具体的に踏み込まなくても、米国型資本主義を一辺倒に目指すような方向性を見直すというメッセージがあっても良いのではないか。
少子高齢化が速いスピードで進んでいる点を冷静に認識すれば、経済全体として例えば+2%の実質成長を安定的に続けていくことが、今すぐにも実現できるというようなことがあるのだろうか。足元のインフレ率の上昇を踏まえると、+2%のインフレが実現すれば、その成長率目標が実現するというのは、一体、どういうロジックに立脚したものだったのだろか。
日本経済を持続的な状態に持っていくために、2025年に財政の基礎的収支を黒字化させるというのがベストなのだろうか。他方で、財政赤字は気にすることがないといった主張を本当に信用して良いのだろうか。
このように、これまでの米国型資本主義追及路線の中で掲げられてきた金融・財政のマクロ安定化政策に限ってみても、もう一度見直し、考えを整理すべき論点は多々ある。
国民は、安心して経済活動に従事できる環境の実現を望んでいる。本当に困っている人が誰かを探し当て、効果的に手を差し伸べてくれることを政府に求めている。補正予算を何十兆円組む、あるいは超金融緩和を絶対堅持するといった、超マクロの議論に終始せず、もっとミクロに踏み込んで丁寧な政策を立案・実行することこそが、「新しい資本主義」に中味を入れることになるように思う。
トップ写真:オリンピック直前の東京(2021年7月12日東京・渋谷) 出典:Photo by Takashi Aoyama/Getty Images
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この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト
東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト
1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。
関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員。ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。