経済のダイナミズムを失わせない金融政策 ~経済の構造変化が進む中にあっても金利の上下変動はあった方が良い~
神津多可思(公益社団法人 日本証券アナリスト協会専務理事)
「神津多可思の金融経済を読む」
【まとめ】
・日銀は長短金利操作の運用柔軟化を決めたが、政策金利を動かした訳ではない。
・しかし、景気循環で金利も上下するダイナミズムが少し戻ってきた。
・ダイナミズムの復活は、日本経済をより元気にすることに繋がる。
日本銀行は、長短金利操作の運用を柔軟化することを決定した。これを巡って、金融市場では事前に様々な意見が交わされた。その中には、かつてのゼロ金利解除の拙速の誤りを繰り返してはならないという主張もあった。
拙速かどうかの判断は、金融政策で何が実現できるかという見方による。金融政策は物価の安定を目的としているので、何%かはともかく、一定のプラスのインフレ率が実現できなければ緩和すべきでないという立論も可能だ。
そこで、日本経済に構造変化を促す強い力が作用していて、安定的にプラスのインフレ率を実現できるまで時間がかかるとしたらどうだろうか。そういう状況でも景気は循環する。
実際、景気の振幅は小さくなっていても、その中で日本経済には調子の良い時も悪い時もあった。その時、金利だけが上下しないと、金融面から経済の新しい発展の萌芽を生み出すダイナミズムを殺してしまうことにならないだろうか。
不況期にこそ次の経済発展の萌芽がたくさん生まれるということは長く言われてきた。また、金融政策が景気の循環を平準化するものであることを考えると、経済の好不況に合わせ金融環境の引き締め・緩和を行うというのが金融政策の本来の姿ということもできる。
日本経済の場合、一定水準のインフレ率の実現ばかりをみてきた結果、景気の循環を通じて金融政策が緩和方向ばかりに動き、それが結局、日本経済のダイナミズムを奪ってきた面はないだろうか。
低金利がゾンビ企業を生むという直截なロジックも、実は景気の循環を通じた経済のダイナミズムが弱まっていることを指摘しているのかもしれない。
■ 2000年8月と2006年3月・7月の金融政策の変更
2000年8月、日本銀行はゼロ金利を解除し、政策金利の誘導目標を0.25%とした。速水総裁の頃のことである。現在の植田総裁は、当時、審議委員で、それに反対したことが最近よく取り上げられている。当時、その後すぐに金融緩和に戻らざるを得なかったこともあり、この決定は拙速であったと批判されることが多い。
当時の日本経済の状況はどうだったか。内閣府が発表している景気基準日付の景気の山谷で振り返ってみると、1999年1月を景気の谷として、日本経済はもう1年以上拡大局面にあった。その次の山は2000年11月だった。景気の谷と山の中間で金融政策を中立化するのだとすれば、2000年8月の時点での政策変更はむしろ慎重であったとさえ言えるかもしれない。それも中立と言える政策金利が0.25%としてのことである。
さらに時代は下って、2006年3月に日本銀行は量的緩和を停止した。そして7月には、再びゼロ金利を解除し、政策金利の誘導目標を0.25%とした。福井総裁の頃のことだ。当時も、景気は2002年1月を谷として、日本経済はすでに4年以上拡大局面にあった。次の山は2008年2月なので、これもまた折り返し時点としてはやや後ずれしていたとも言える。
この時も拙速だとの評価が出た。当時の感覚からすれば、日本経済は実力を十分に発揮しておらず、まだまだ金融政策を中立に戻す時期ではないと受け止めていた人がいても不思議ではない。しかし、今から振り返れば、景気循環に沿って金利もまた上下するというダイナミズムを保つためには、この時点でゼロ金利を解除するという判断も十分に合理的であったように思う。
拙速の誤りを繰り返さない。景気循環の中で金利を上下させ経済のダイナミズムを失わせない。どちらの立論が正しいか、客観的な正解はない。しかし、なかなか実現できないことができるようになるまで、ずっとスタンスを変えないという金融政策が、金融市場ひいては日本経済の元気を失わせているという感覚も、今となってはあるのではないだろうか。
■ 不況期にこそイノベーションが生まれる
恥ずかしながら原著に当たったことはないが、これまでに自分が学んだジョセフ・シュンペーターの景気循環の考え方によれば、不況期にこそ次の好況期の種がまかれる。そもそも景気の後退は、新たに生まれたイノベーションがビジネス・モデルとして具体化し、それが経済に行き渡るところで起こるという整理であったと理解している。
人口動態、新興経済の勃興、情報通信革命の急展開。それら日本経済に大きな構造変化を迫る力が波状的に押し寄せる中で、日本経済は、ちょっと総需要ショックが入るとすぐにマイルドなデフレに陥ってしまった。そういうことを繰り返す中で、経済が不振だという感覚をなかなか拭えずにきた。
だからこそ、金融緩和の手綱は緩めることはできないという声が強かったのである。しかし逆に、景気が循環する中にあっても一方的に金融緩和が強化されてきたことで、日本経済になかなか元気が戻らないという側面がありはしないかというのが、最近の直感のひとつであるような気がする。
もちろん、高齢化などの要因により、日本経済の元気さは不可避になくなっている面もあるだろう。だから、金利の低下は実力の反映であり、それが元気のなさの原因だというのは本末転倒と考えることもできる。他方で、その金利の低下は1つの景気の循環を通しての平均値が下がることであり、金利が変動せず、一方的に低下ばかりすることとは違うという整理もできる。
経済で暮らす人が高齢化すれば、経済もまた高齢化せざるを得ない。その過程を通じて景気の振幅も小さくなるのかもしれない。令和の時代の好況は、昭和世代の記憶にあるような好況とは違うものなのだろう。
しかし、一般的に新しい経済発展の種が、景気の後退局面にたくさん蒔かれるのだとしたら、それは金融環境の面で金利の上下があってこそのこととは言えないだろうか。それを促す金融政策が日本経済のダイナミズムを失わせないことになるのではないだろうか。
低金利環境がゾンビ企業を生んでいるという整理は、直截で分かり易いが、このような循環の側面が省かれたロジックとなっている。今後の景気後退局面でまた金融緩和に戻ることは当然あるだろうが、拡大局面においては、どこかで政策金利は中立に戻り、さらに中立以上に高い金利となり、その後、また下がってくるというのが標準的なパターンなのではないか。そういうことを繰り返しながら、中立金利が低下していくのであれば、それは景気循環を通しての金利の平均値が低下していくのであろう。
■ 2010年代以降の金融政策
そうした一つの景気循環内の政策金利の上下は、2000年代までは、批判はあったにせよ一応存在していた。しかし、2009年3月に景気の谷を過ぎて以降、政策金利が上の方向に動いたことはない。その間、景気の山は、2012年3月、2019年10月と2回あった。しかも、2016年2月のマイナス金利、9月のイールド・カーブ・コントロールは、景気の拡大局面において導入された。
このように、振幅が小さくなったとは言え、景気が変動している中で、それとは関係なくもう10年間以上、金融環境は一方的に緩和方向へ動いてきた。そのことが、不確実な未来に挑戦する企業のリスク・テイクの姿勢に全体としてどのような影響を与えてきたか。そういう問題意識もあって良いと思う。
今回、日本銀行は長短金利操作の運用柔軟化を決めたのであって、政策金利を動かした訳ではない。しかし、経済の実態に合わせて金融環境も上下するという意味でのダイナミズムが、少し戻ってきたということができる。そういうダイナミズムの復活は、長い目でみて日本経済をより元気にすることにも繋がるのではないだろうか。
トップ写真:日銀の植田和男総裁
出典:Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images
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この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト
東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト
1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。
関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員。ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。