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.経済  投稿日:2023/3/3

今後のインフレを考える どういうインフレが問題なのか?


神津多可思(公益社団法人 日本証券アナリスト協会専務理事)

「神津多可思の金融経済を読む」

【まとめ】

・米国は、足元のインフレ率が何%まで低下すれば先行きのインフレが制御できると考えられるのか難しい

・日本は、インフレがどのようにしてより高い成長に結び付くのか、道筋がはっきりしていない。

・世界標準の2%インフレ率を実現することがマクロ経済にとって最も良い選択であるかどうか不透明。

 

最近の国際金融市場は、世界経済の先行きについて、判断が楽観的になったり悲観的になったりというのを繰り返している。世界経済を取り巻く環境が新しい局面に入り、なかなかビジョンが定まらないということなのだろう。

世界のインフレがどうなるかという不確実性を起点に、長期金利、株価、為替レートなどの主要金融指標が上下している。米国の金融引き締めが想定以上に厳しいものにならないという見方が広がると、株価は堅調に推移する。しかし、インフレがなかなか収まらない兆候がみえると、一層の金融引き締めが必要ということになり、調整が起こる。

米国経済について言えば、経済活動の活発さが確認できると、結局それは良いことではないと受け止められているようにみえる。一体、金融市場はこれから起こるかもしれないどういう状況を心配しているのだろうか。

 どういうインフレを回避しようとしているのか

米国のインフレ率が低下しないと、さらなる金融引き締めが必要だ。そういう整理は、至極もっともであり分かり易い。しかし、では高いインフレ率、例えば前年比で5%や6%で安定してしまったらどうなのだろうか。経済学的には、それが合理的に予想されるのであれば、消費とか投資の実質的な活動には悪影響はないことになる。

米国のインフレ率は、消費者物価総合の前年比をみると、直近ピークは昨年の6月で+9.1%だった。それが今年の1月には+6.4%まで低下している。米国の中央銀行である連邦準備理事会(FRB)がより重視していると言われる個人消費支出デフレータの前年比でみても、昨年7月の+6.8%が直近のピークで、12月にはそれが+5.0%にまで低下している。

それでも、インフレ圧力が強いからさらに金融引き締めを続けるとFRBは言っているし、金融市場もそれを受け入れている。要するに、前年比でこの程度のインフレだと、先行き予断を許さないということなのだろう。インフレが本当に怖いのは、それが制御できなくなってしまうことだ。何%まで上がるか分からない状況になると、経済活動に大きなマイナスの影響が出る。実質価値で考えた損得が分からなくなってしまうからだ。

5%や6%のインフレでは、先行きのインフレが制御できるかどうか確信が持てないので、もっと低いインフレが実現するまで金利は引き上げなければならないとしよう。では、足元のインフレがどこまで下がれば安心できるのか。現在、米国で起こっているのは、モノのインフレは収まってきてはいるが、賃金の影響をより強く受けるサービスのインフレ圧力はなお強いということだ。煎じ詰めれば、労働需給がタイト過ぎるので安心できないという話になる。

2%のインフレ目標は世界標準と言うが、だからと言って2%インフレが実現するまで金融引き締めを続けて、失業率が高くなり過ぎては、一体、何のための金融政策かということになる。コロナ禍が終わり、米中対立がより先鋭化し、ロシアがウクライナに侵攻しているという、これまでとは様変わりの状況において、足元のインフレ率が何%まで低下すれば、先行きのインフレが制御できると考えられるのか。難しい問い掛けだ

一方で、人口動態や働き方の変化を織り込んで、タイト過ぎず、ルース過ぎない失業率、即ち自然失業率が、現在、何%なのかということについては、それよりはもう少し考えるヒントがある気がする。

 日本への含意

翻って、日本の状況をみると、モノのインフレはまだピークアウトしておらず、それが消費者物価を押し上げている。これまでの輸入インフレは、なお完全には国内価格に転嫁されておらず、それは企業の収益を圧迫しているはずだ。しかし、コロナ禍対応の財政支出や、ポスト・コロナの経済活動の正常化の中で、その影響は深刻には出ていないようだ。

モノのインフレがサービスに波及するかどうかは、まさにこれからであり、だからこそ今春の賃上げが注目されている。日本社会の慣行からすると、どうしても賃金の上昇はインフレに遅行する。したがって、賃金の上昇を受けたサービスのインフレも、これから起こる。それでも、日本銀行の政策委員による現在の見通しでは、2023年度を通してみると2%インフレは実現しない。

しかし、1年前には現在ほどのインフレは見通せていなかった。来年の今頃どうなっているかは、世界経済の大きな環境変化を思えば、まさに不確実だ。そもそも、1月の日本の消費者物価指数の前年比は+4.2%と、41年振りの上昇となっている。もう長いこと経験のしたことのないインフレの中で、どのような価格設定が実現するかはっきりしない。2%のインフレが定着するかもしれないし、あるいは2%近辺ではうまく制御できないかもしれない。

仮に、2%インフレが安定的に実現したとしても、それによってどういう良いことが起こるのだろうか。安定的な成長を実現するための2%インフレであったはずだが、海外要因でのインフレが、賃金上昇を通じて国内要因でのインフレになり、それがどのようにしてより高い成長に結び付くのか。その道筋は必ずしもはっきりしていない。

不透明なことばかりだが、米国で今起こっていることから学ぶとすれば、労働市場の状況が重要になるのではないか。今春のベアの後に、労働市場が過熱状態に入るのか、まだ供給に余裕があるとみなせるのかの判断が焦点になりそうだ。つまり、自然失業率が安定的に達成されるかどうかだ。

そこで考慮する必要があるのは、経済全体として生産性をもっと高めたいのであれば、労働力をより生産性の高い分野へとシフトさせなくてはいけないので、その分、摩擦的失業は増えるということだ。それを織り込んだこれからの自然失業率をどうみるかは、決して簡単な問題ではない。

しかし、単に機械的にインフレ率だけをみて金融政策を行うより、そうした点のチェックもしたほうが、元々、実現したかった良い経済状況に近づけるのではないだろうか。そもそも、世界標準だという2%インフレは、コロナ禍前、米中対立の先鋭化前、ロシアのウクライナ侵攻前の標準だ。これからの世界経済の環境にあっても、その標準をできるだけ早く実現することが、マクロ経済にとって最も良い選択であるかどうか。それ自体も不透明なのである。

トップ写真:ワシントンD.C.で講演するパウエルFRB議長。0.25%の金利上昇を 4.50%から4.75%の範囲にすると発表した(2023年2月7日)出典:Photo by Julia Nikhinson/Getty Images




この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト

東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト


1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。


関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。

神津多可思

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